石井慧介とは、DDTプロレスリングに所属する日本のプロレスラーである。二つ名は「ひとり四天王プロレス」「桃色ニールキック」。
高校卒業後、2007年に全日本プロレスの武藤塾公開入団テストに合格。練習生として全日本プロレスに入団するも、デビューを果たせぬまま退団。しかし退団後、DDTプロレスリングに入団し、2008年7月にリングデビューを果たす。
その後は短期間でコロコロリングネームを変えてみたり、男色ディーノ率いるベルトハンター×ハンターに加入したり、何度かアイアンマンヘビーメタル級王者に輝いたり、コスプレで入場してみたり、新日本プロレスの高橋広夢に勝利したり、自主興行を開催したりするものの、評価はいつまでも「活きのいい若手」のままだった。2011年にはCMLL認定KO-Dタッグ王者に入江茂弘と共に輝くものの、その評価を覆すまでには至らなかった。
大きな転機となったのは2012年の両国ピーターパン直後のDDT後楽園ホール大会。この大会のメインは王者石川修司対挑戦者入江茂弘のDDTエクストリーム級選手権試合であったが、王者石川修司が王座を防衛した直後にリングに乱入。DDT内の序列を変えると宣言し、石川修司だけでなくHARASHIMAやKUDOらの現在のDDTのトップにケンカを売ると共に、同じ若手の入江茂弘と高尾蒼馬にユニットの結成を持ちかける。入江と高尾はこの提案を受け入れ、ユニット「チームドリームフューチャーズ」(略称:チームドリフ)を結成する。
チームドリフ結成後の勢いは凄まじく、11月には石川修司からDDTエクストリーム級のベルトを奪取。翌年1月には新設されたKO-D6人タッグ王者の初代王者に輝く。
しかし、ユニオンプロレスには完全に外敵のような形でいきなり入り込んでベルトを奪取した上、肝心の試合内容が伴っていないにもかかわらず尊大な態度でリングに上がり続けたために、ユニオンだけでなくDDT本隊のリングでもブーイングを浴びる事態になってしまう。しかも6人タッグのベルトを奪ってからわずか1ヶ月以内にエクストリーム級のベルトは木高イサミに、6人タッグのベルトはアントーニオ本多・佐々木大輔・火野裕士組に奪われてしまう。
その後、高木三四郎大社長に「お前にはプロレスラーとして致命的な何かが足りない。」言われ、何が足りないかを知っているらしいMIKAMI、DJニラ、本間朋晃、ヨシヒコ、高木三四郎と戦い(DJニラ戦は高尾蒼馬と組んでニラ・高木三四郎のタッグマッチ。ヨシヒコ戦はチームドリフ対飯伏幸太、伊橋剛太、ヨシヒコの6人タッグマッチ。)、最終的には何が足りないかは全くわからなかったものの、その後はブーイングを浴びたりすることはなくなった。
その後、アントーニオ本多からいつでもどこでも挑戦権を奪い、同じチームドリフの入江茂弘の持つKO-D無差別級王者に挑戦。敗れはしたものの、今後もチームドリフのリーダーとして活躍が期待される。
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最終更新:2024/04/25(木) 01:00
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