石井琢朗単語

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石井琢朗(いしい たくろう1970年8月25日-)とは、栃木県出身の元プロ野球選手である。現在横浜DeNAベイスターズの一軍野手総合コーチを務める。

本名は石井忠徳(いしい ただのり)

概要

小学校から投手として野球を始める。

足利工業高等学校ではエースとなり、2年に甲子園大会に出場した。

1988年ドラフト外で横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に入団。この頃は本名を登録名にしていた。

大洋・横浜時代

入団から3年間は投手であったものの、バッティングセンスを見いだされ4年から内野手に転向。この際に登録名を現在の「石井琢朗」に変更する。するとその年の後半には三塁手レギュラーに定着し、翌年には盗塁王ゴールデングラブ賞三塁手部門のタイトルを獲得。スター選手に登りつめる。


1996年大矢明彦監督によって遊撃手コンバートされ、以後10年に渡って遊撃レギュラーの地位を不動のものとする。


1998年にはマシンガン打線の1番打者として38年ぶりの優勝に大きく貢献した。


2006年正月古木克明から石井豚朗と書き間違えた年賀状を送られた。
5月11日東北楽天ゴールデンイーグルス戦で通算2000本安打を達成し名球会入り。投手として一軍で勝利を上げた2000本安打達成者は川上哲治に次いで二人。しかし、この年のオフに膝の手術を受けて以降成績が低迷。


2008年若返りを理由に戦力外通告を受ける。前述のように長年にわたりベイスターズを支えてきた功労者であったため、ファンからは退団を惜しむ突然解雇を発表したフロントに対する非難のが寄せられた。

現役続行を希望し、11月12日広島東洋カープが獲得を発表した。背番号は25。

広島時代

2012年8月27日に、2012年シーズン限りでの引退を表明。9月30日(対阪神タイガース戦)で引退試合が行われ、慣れしんだ1番遊撃手としてフル出場すると2安打を放った。4打席に放った右前打が通算2432本(歴代12位)、現役最後の安打となった。シーズン終戦となった10月8日は古巣の横浜戦ということもあり、試合前には引退セレモニーが行われた。安打を放つことはできなかったが、1番遊撃手としてフル出場を果たした。

引退後

2013年から広島の一軍内野守備走塁コーチに就任。同年打撃コーチに就任した新井宏昌とともに、球団としては10年ぶりの生抜きOB以外のコーチ就任となった。


2016年からは一軍打撃コーチに配置転換される。前年オーダーを一人で決め前任者の新井コーチとの確執を生んでいた緒方孝市監督の反省もあり、チームの大半の打順や起用法を担った。exit4番・新井貴浩調子を維持するため、藤浪晋太郎菅野智之など苦手とする先発投手の日にはスタメンから外した。また同じ打撃コーチ東出輝裕から"授業"と揶揄されるほど選手とのミーティングを底。三振を減らすための打席での状況判断等を叩き込んだ。チームに欠かせない名参謀として活躍し、同年のリーグ優勝に貢献した。


2018年から2019年東京ヤクルトスワローズの一軍打撃コーチを務める。

2020年から2021年読売ジャイアンツで一軍野手総合コーチ三軍野手コーチを務めた。

2022年から横浜DeNAベイスターズの一軍野手総合コーチを務める。

人物

朗のの字が「」に似ている事から、ブタローという野次を受けた事がある(本人はものすごく気にしている)。

以前は女遊びがしく、ファンから足も速いが手はもっと速いと呼ばれていたほどであった。

応援歌

球団 レス No プレイヤー
横浜 ピコカキコ#495 2357
2357

広島移籍後も、横浜時代の応援歌がそのまま使われた。

成績

年度別投手成績

年度 球団 登板 先発 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
1989年 大洋 17 2 0 0 1 1 0 0 .500 30.1 19 19 14 12 3.56
1990年 2 1 0 0 0 1 0 0 .000 4.0 2 0 5 4 9.00
1991年 9 2 0 0 0 2 0 0 .000 14.2 8 4 16 15 9.20
NPB:3年 28 5 0 0 1 4 0 0 .200 49.0 29 23 35 31 5.69

年度別打撃成績









































1989年 大洋 17 5 5 1 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .400 .400
1990年 2 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000
1991年 10 2 2 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .500 .500
1992年 69 250 219 26 59 3 3 3 23 4 16 1 12 2 33 4 .269 .312
1993年 横浜 121 503 414 53 110 19 5 5 36 24 39 2 42 6 64 5 .266 .341
1994年 130 554 451 68 113 21 2 3 40 10 39 0 69 0 66 6 .251 .350
1995年 124 546 444 69 137 22 2 2 41 23 23 2 69 7 63 4 .309 .407
1996年 129 604 496 94 140 19 3 1 29 45 25 1 75 7 76 3 .282 .383
1997年 132 612 521 95 166 23 1 10 44 23 23 4 57 7 58 5 .319 .390
1998年 135 630 555 103 174 34 5 7 48 39 2 2 63 7 69 4 .314 .389
1999年 131 622 537 108 157 24 3 8 58 39 2 3 73 7 81 4 .292 .382
2000年 134 619 546 91 165 19 5 10 50 35 5 3 61 4 83 5 .302 .375
2001年 140 647 580 81 171 34 4 8 36 26 7 1 54 5 81 3 .295 .359
2002年 140 636 569 78 156 29 2 8 49 19 12 2 48 5 95 2 .274 .335
2003年 115 483 314 49 96 12 1 6 26 20 21 0 46 1 53 3 .231 .310
2004年 131 590 535 80 158 26 6 10 43 11 6 2 45 2 85 3 .295 .356
2005年 146 688 612 95 156 22 2 8 40 18 7 1 61 7 77 6 .255 .329
2006年 146 675 604 91 174 30 0 6 32 12 5 1 63 2 99 4 .288 .357
2007年 108 412 360 35 99 11 0 2 13 6 27 0 21 4 39 5 .275 .322
2008年 98 319 279 26 73 7 0 2 18 1 12 0 23 4 47 2 .262 .327
2009年 広島 89 246 211 27 48 10 3 2 18 2 11 0 20 4 33 4 .227 .306
2010年 74 165 148 15 47 5 1 0 20 1 5 0 11 0 20 2 .318 .369
2011年 61 106 92 11 23 2 2 1 4 0 2 0 12 1 13 1 .250 .337
2012年 31 47 42 2 7 1 0 0 2 0 0 0 5 0 4 1 .167 .255
NPB:24年 2413 9967 8638 1298 2432 373 50 102 670 358 289 25 930 82 1241 76 .282 .356

タイトル・表彰

タイトル
盗塁王 4回 1993年1998年-2000年
最多安打 2回 1998年2001年
ベストナイン 5回 1997年-2001年
ゴールデングラブ賞 4回 三塁手1993年-1995年遊撃手1998年
JA全農Go・Go賞 1回 好走塁賞:1996年4月
日本シリーズ優秀選手賞 1回 1998年
セ・リーグ特別功労賞 1回 2012年
その他
オールスターゲーム出場 6回 1995年1997年-2001年

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