石嶺和彦(いしみね かずひこ)とは、元プロ野球選手である。
OB | |
---|---|
石嶺和彦 | |
基本情報 | |
国籍 | ![]() |
出身地 | 沖縄県那覇市 |
生年月日 | 1961年1月10日 |
身長 体重 |
175cm 80kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 外野手、捕手 |
プロ入り | 1978年 ドラフト2位 |
引退 | 1996年 |
経歴 | |
選手歴 監督・コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
1961年1月10日生まれ。沖縄県那覇市出身。小学5年時より本格的に野球を始め、捕手として県内でも有数の選手となった。
豊見城高等学校へ進学。2年時にはチームの4番打者として活躍し、初の甲子園大会に出場。以降3年夏までに4度甲子園大会に出場。3年夏の甲子園大会では本塁打を放つなど、プロからも注目を集める選手となった。
1978年ドラフト会議にて、広島東洋カープと阪急ブレーブスからドラフト2位指名を受け、抽選の結果阪急が交渉権を獲得。石嶺が膝の半月板を故障していたことや、両親と高校の監督が社会人へ進むことを希望していたことから交渉は難航したが、12月に阪急入団を決めた。
入団初年度は一軍出場無し。二軍では膝に負担をかけないために代打中心に起用され、打率3割を記録。しかし、秋季キャンプ中に膝の半月板が外れてしまい、年末に手術を受けている。
1980年、手術から復帰し、半月板を支える周辺の筋肉を中心に鍛えることになった。一軍出場は無く、二軍で代打中心にプレー。
1981年、オープン戦でサヨナラ3ランを放ったことから打撃力を上田利治監督から評価され、開幕一軍入りを果たす。なお、この年阪急は開幕に5人の捕手を一軍登録させていた。同年、36試合に出場し、打率.214、2本塁打、5打点を記録。
1983年、スタメン出場の機会を増やしたが、同時に膝への負担も大きくなり、シーズン終盤には試合出場もままならなくなり、藤田浩雅が正捕手に収まっている。
1984年、外野手に転向。当時の阪急は福本豊、簑田浩二ら外野陣の層が厚く、出場機会が限られたが、簑田の故障や水谷実雄のスランプによりシーズン半ば頃から指名打者として出場するようになる。同年6本塁打を放ち、長打力をアピールした。
1985年、指名打者や代打の切り札として活躍。代打成績は3割後半の打率を残し、6本のシーズン代打本塁打を記録。最終的には打率.302、14本塁打、34打点を記録した。
1986年、指名打者に固定され、開幕からしばらくは不調だったが5月以降は復調。7月には当時の日本記録となる56試合連続出塁を達成。オールスターゲームにも初出場を果たし、最終的には打率.300、33本塁打、96打点を記録し、ベストナインに選出された。しかし、試合後から朝まで酒を浴びるように飲む不摂生な生活がたたり、オフに肝炎が発覚。
1987年、肝炎の治療のためキャンプは出遅れたが、開幕にはなんとか間に合った。点滴を打ちながらも試合に出場し、5月には一時打撃3部門でトップに立ち、6月には月間MVPに選ばれるなど好調を維持。オールスターゲームでは4番打者を任され、シーズン終盤には6試合連続本塁打を記録。最終的には打率.317、34本塁打、91打点を記録し、2年連続でベストナインに選出された。
1989年、移籍加入の門田博光と、外野手と指名打者のポジションを併用しての出場が増えたが、打撃に集中できなかったからか20本塁打と伸び悩んだ。
1990年、レフトに固定されたが、元々守備に期待されていないと割り切り打撃に集中。その甲斐あってか本塁打を量産。オレステス・デストラーデや清原和博らと本塁打王を争い、パ・リーグ2位タイとなる37本塁打を放ったほか、107打点を記録し、打点王を獲得し、外野手としてベストナインにも選出された。また、期待されていなかった外野守備も、捕手出身故のコンパクトかつ正確な送球で、パ・リーグ最多の14捕殺を記録している。
1993年オフ、同年導入されたFA制度を使用しFA宣言。中日ドラゴンズ、西武ライオンズ、阪神タイガースなどから獲得の意思を伝えられ、交渉の結果、阪神タイガースへ移籍することが決まった。
1994年、クリーンナップの一角として活躍し、全試合に出場してチーム最多の77打点を記録。ただ、広い阪神甲子園球場での外野守備は、膝に爆弾を抱えている石嶺には足に負担が大きかった。1995年、連続試合出場の記録が894試合で途絶え、9本塁打、33打点と成績低迷。1996年、移籍加入の平塚克洋の活躍や桧山進次郎の台頭もあり、26試合の出場にとどまり、同年限りで現役を引退。
引退後は解説者・評論家を務めた後、中日ドラゴンズや横浜DeNAベイスターズ、オリックス・バファローズ、KBOの高陽ワンダーズ、KTウィズで打撃コーチを務めた。
天体的な内角打ちを武器に、長打を量産したスラッガー。プロ入り前に膝を悪くしていたこともあり、指名打者での出場が中心であった。
オールスターゲームでも強さを見せ、MVP受賞こそ無いが、4割近い打率を記録し、優秀選手賞に2度選ばれている。
通算:16年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 1566 | 5756 | 5189 | 614 | 1419 | 269 | 875 | 13 | 6 | 52 | 456 | 53 | 776 | 160 | .273 | .335 |
掲示板
掲示板に書き込みがありません。
提供: enoaaa2000
提供: ゲスト
提供: ナギ
提供: の△の
提供: 真空(まそら)
急上昇ワード改
最終更新:2025/04/02(水) 05:00
最終更新:2025/04/02(水) 05:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。