入社当時は実況担当ではなかったが、後に担当するようになった。
競馬実況の印象が大きいが、実は1996年のプロ野球でパリーグの優勝(オリックス)が決まる試合の担当もしていた。
馬場鉄志の後任のポジションだったものの、現在はアナウンス部長の役職になったため実況の一線からは退いてる形になっている。
競馬の実況を担当していた頃は、スティルインラブ、アパパネの牝馬3冠達成の瞬間やディープインパクトやアーネストリーの宝塚記念制覇の実況などを担当している。
2003年秋華賞「スティルインラブ、アドマイヤグルーヴやはりこの2頭、すとぅりーんらぶが勝ちましたっ!!」スティルインラヴが牝馬3冠を達成時。
2006年宝塚記念「ロンシャンのスタートラインがはっきりと見えました!」
凱旋門賞に挑む前のディープインパクトの宝塚記念のレース。
2010年宝塚記念「ナ・カ・ヤ・マ・フ・ェ・ス・タ」
単勝37.8倍のナカヤマフェスタが先頭で駆け抜けそうだったので思わず1文字ずつ丁寧に言う事に。
2011年宝塚記念「これはすごい競馬になった、アーネストリーが粘るアーネストリーが粘る」
この時はレコードタイムが出たレースだった。
2010年秋華賞「白いシャドーロールが揺れてアパパネだアパパネだ、牝馬3冠を獲った!」
スティルインラヴ以来の牝馬3冠達成時。
2012年のマイルチャンピオンシップ 「武豊がマイルチャンピオンシップを勝ったぁ!」
武豊は2010年のローズキングダム以来約2年ぶりのJRAのG1勝利だった。
等といったものがある。
2014年6月にアナウンス部長に就任したことにより実況から離れ、更に2018年6月にアナウンス部から離れ部長の席を大橋雄介アナに譲った。
名前の石巻ゆうすけ、この「ゆうすけ」はひらがなが本名である。
これは出生時、「悠」を使った名前で両親は届けようとしたが当時は名前に使えなかったそうで、そのままひらがなで届け出ることになったそうである。
詳しくは本人による自己紹介動画で
石巻ゆうすけ本人による自己紹介(YouTube) (現在は非公開状態)
2005年10月9日の放送では、毎日王冠の3連単の払戻金の読み上げに苦労していた。
「140万7せん・・・・うん? 140万7せん・・・・・うん? 1・10・100・1000・・・、147万!147万9620円大変失礼しました」となっていた。
本人の名誉のために書くと、今でこそ100万円超えの配当はWIN5もあって珍しい事ではないが、当時は3連単が登場してまだ1年で(この時は3連単は後半4レースのみの限定発売)、当然WIN5も無く100万円超えはまだなじみがなかったからというのもある。
またこの時はF1の日本グランプリが、15時35分の毎日王冠の発走直前まで地上波で生中継していて、(競馬中継は16時まで)毎日王冠、京都大賞典のあとの短時間にそれまでのレースの払戻金を含めて伝えていたこと、そして特別体制の中継のためいつもならスタジオにいるはずの当時の番組司会の宮川一朗太、解説の大坪元雄、ご意見番の杉本清などがスタジオにおらず助け舟をする人もいなかったため、相当な混乱になったようである。
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最終更新:2024/04/19(金) 10:00
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