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神鷹単語

シンヨウ

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神鷹とは、大日本帝国海軍に所属した航空母艦の1隻である。

概要

神鷹はその名の通り、を意味する。
神鷹は日本生まれではなく、元々は北ドイツロイド汽船の東洋航路貨客船シャルンホルストであった。
日本への来訪時に第二次世界大戦が勃発したため本へ戻れず抑留されていたが、太平洋戦争時に日本海軍ミッドウェー海戦によって正規空母を失うと、空母不足を解消するためにドイツとの交渉の上購入。
空母へと改造されて運用された。

艦歴

シャルンホルスト1934年5月3日ブレーメン造船所で起工。12月4日に進し、命名。そして1935年4月30日工した。船籍地をブレーメンとし、船は北ドイツロイト社となった。

5月3日から処女を開始し、ハンブルクを出発。ブレーメンを経由して横浜を来訪した。その後、ブレーメン横須賀間の極東航路に就き、片約3万キロののりを往来していた。しかし1939年8月26日神戸港からマニラ経由でシンガポールへ向かっている時にドイツから緊急通信が入る。それは最寄の中立港に入れという示だった。つまり第二次世界大戦が勃発し、それに伴って本への帰還が不可能になってしまったのだ。このためシャルンホルストは一旦神戸港へ引き返し、9月1日に入港した。

ドイツへののりには敵である連合軍が支配する場所が多く、給油もままならないシャルンホルスト神戸港に抑留される事になる。乗組員は中立条約によって交があったソ連を通じて何とか本へ戻ったが、シャルンホルストはそのまま日本国内に留め置かれた。

しばらく浮いているだけの日々が続いていたが、1941年12月8日太平洋戦争が勃発。そして翌年6月ミッドウェー海戦で大敗した帝國海軍空母の調達が急務となる。優秀な大船舶が次々に空母へと装されていく中、帝國海軍に、浮いているだけのシャルンホルストが映る。空母が1隻でもほしい帝國海軍はこのシャルンホルストを譲ってほしいとドイツ政府と交渉。戦後額(船価の2倍)を支払うという約束シャルンホルストを購入し、6月30日に第1004号艦として空母への装が決定。7月2日、船へ移し、買い取り成立。異説として、日開戦に伴って売却され1942年4月の時点で既に空母化が内定していたとするものがある。完成時期未定ながら、空母装予定艦に定され、装や装備については在庫のあるものを流用。足りないものは製造という形を取った。

ともあれ1942年9月21日、建造中止で解体された大和4番艦の資材を流用して装開始。

改装は進んだものの・・・。

194310月7日試のためを出発。徳山で操試を行った。ところが操試中に管が破裂するという事故が起きている。その後は試を行い、11月1日の全試では21.97ノットを記録。
11月18日終末試を行い、翌19日からは航空兵装と電探の試を実施。ところが缶が破裂する事故が発生し、終末試をやり直している。

194312月15日装が了し工。書類上では大に分類された。艦長には石井芸江大佐が着任し、軍艦神鷹と命名された。神鷹は帝國海軍2隻電気推進艦で、マイヤーを持つ一の日本艦となった。装工事が了したものの、機関の不調が多かったため、とりあえず航空機輸送に限定して任務に就かせる事にした。

搭載機は零戦21機、補用機3機、九六式艦攻6機の計30機。航空機に限れば祥鳳に匹敵するスペックだったが、航続距離に不安があった(18ノットで6900里)。
排水量2万716トン、出2万6000、最大速22ノット、燃料2771トン、全長198.64m、全幅25.6m、飛行甲全長180m、飛行甲全幅24.5m。

194312月20日上護衛総隊に編入される。しばらく瀬戸内海で慣熟訓練をしていたが、缶の故障に悩まされた。翌21日、さっそく因の造船所に入渠して整備を受けている。

年が変わって1944年1月8日空母海鷹とともに南西方面へ輸送する航空機を搭載して出港。駆逐艦3隻の護衛を受けて航行していたが、不安視されていた缶が故障し、翌日に佐伯へ帰投する羽に。そのため、性は高いものの使い勝手が悪かったドイツ製ボイラーを大ロ号艦本式2つと換装する工事が行われ、1944年3月に工事了。5月23日軍工に入渠し整備。出渠後の6月9日弾薬類を搭載。制動索の実験を行った後、爆弾を積載した。6月23日マリア戦の戦訓から25mm単装機12門を追加。試を行った後、物件を積載。

6月29日から7月4日にかけて第931航空隊の97式艦攻14機を使って瀬戸内海西部で発着艦訓練に従事。12日からは門を出港し、フィリピン向けの航空機を搭載しつつヒ69船団を護衛。他にも大海鷹が船団に加入しており、3隻合わせて零戦95機、雷電10機、月光9機、彗星5機、山5機が積み込まれた。そして神鷹だけが対潜用の97式艦攻14機を搭載。
20日、敵潜水艦撃されるが、発見がかったため回避に成功。翌日マニラへ入港する。
7月31日シンガポールから出るヒ70船団を護衛し、8月14日に門へ到着。続けて翌日には門を出港するヒ75船団を護衛した。10月2日シンガポールを出たヒ76船団を護衛して内地に向かっていたが、いきなり輸送船1隻が被。護衛として駆逐艦海防艦を付けてマニラへ向かわせた。更にその中で台湾沖航空戦に巻き込まれ、11日に三亜へと退避。その後機動部隊によるマニラ襲もあり18日まで退避する。船団分割により貨物船3隻を三亜に残し、神鷹らは本土をして出港した。21日、台湾峡南でB-24の触接を受けたため攻撃を避けて神鷹は先行する事になった。船団の護衛を海防艦に任せ、一足く離脱した。24日、ようやくへと到達し修理を受ける。

11月14日、門を出港するヒ81船団を護衛してシンガポールす。

1944年11月17日、済州西方潜水艦スペードフィッシュから撃を受け、4本が命中。炎上し、右へ傾きながら艦首を上にして沈没した。石井艦長以下1100名が戦死、生存者は僅か60名だったという。1945年1月10日、除籍。

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最終更新:2019/12/07(土) 09:00

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最終更新:2019/12/07(土) 09:00

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