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稲田堤は東京都稲城市でも調布市でもありません! |
稲田堤(いなだづつみ)とは、神奈川県川崎市多摩区の北東部を指す地域名であり、
神奈川県内でありながら、あまり神奈川県だと思われていない地域の一つである。
地名としては「菅稲田堤一丁目∼三丁目」と付けられているが、これは1985年の住居表示実施によって名付けられた。本来は多摩川と丘陵に挟まれた低地を浸水被害から守るべく造成された堤防のことを指す。
現在は、JR東日本南武線の稲田堤駅・京王電鉄相模原線の京王稲田堤駅の周辺地域を指す名称とされる。1971年の相模原線開業以降、大きく発展してきた地域である。
平安時代末期、稲毛氏が近くの丘に築城し、領国として治めていた。そのため長く「稲毛領」と呼ばれる一方、ここで良質の米を産出したことから「稲田」いう別名が使われ始めたようである。ところが江戸時代になると、多摩川原に生い茂るスゲを由来とする「菅村(すげむら)」という村名となる。菅村は17世紀までは「多摩郡」だったため、本当に稲田堤が東京都であった可能性も微レ存。明治時代になり、菅村は周辺各村と合併し「稲田村」となる。この稲田村が19世紀末、堤防に桜を植えたところ評判が上がり、「稲田堤」の名で親しまれるようになった。1927年、南武鉄道(現・南武線)が開業した際、「稲田堤停留場」が設置され、以降は地域名として定着した。なお稲田村は1932年に「稲田町」となったが、わずか6年後に川崎市に合併されたほか、堤防の桜もその後撤去されてしまった…。
南武線に沿う府中街道と、府中街道から堤防までの「中央通~駅前多摩川通」の周辺が商業街区となっている。堤防の近くに小田急バスの「稲田堤」という終点があったが、2022年に廃止となった。街道の南西部の丘陵は開発が進み、西菅団地などの住宅建設が行われたが、里山の雰囲気を色濃く残す一帯も存在する。また駅に近い場所にも田畑が残る場所もある。
…むしろ京王相模原線と京王稲田堤駅が開業したことが、地域の神奈川っぽさを薄れさせる要因になったのではないかと推測される。また地続きである東京都稲城市とは風景が似通っており、元々さして神奈川っぽくなかったという噂もある。実際は稲城市の方があんまり東京っぽくないけどな!
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最終更新:2025/03/27(木) 05:00
最終更新:2025/03/27(木) 04:00
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