稲葉一鉄(いなば・いってつ 1515 ~ 1588※)とは、美濃の戦国武将である。一鉄は出家後の号であり、名は稲葉良通(いなば・よしみち)。
安藤守就・氏家卜全と並ぶ西美濃三人衆のひとり。美濃国・曽根城主。
初めは美濃の斎藤家に仕えていたが、織田信長に寝返り、以降その配下として活躍した。三人衆の中で最も最後まで生き残った人物。非常に頑固な性格だったと言われ『頑固一徹』の語源は彼の名前であるといわれている。
稲葉氏は元々は伊予河野氏の一族で、一鉄の祖父・稲葉塩塵(稲葉通貞)のときに美濃に流れてきた。説によっては安藤守就と同じ伊賀氏の一族であった稲葉氏の名を、河野出身の塩塵が継いだとされる。
そんな訳で稲葉氏の家紋は河野氏と同じ(折敷に三文字)であり、通字の「通」も共通している。
稲葉通則の六男として誕生。美濃守護土岐氏が後継者争いでゴタゴタする中、稲葉氏は土岐頼芸の側についていたのだが、1525年に敵対する浅井亮政との『牧田の戦い』で父と5人の兄が全員討死してしまう。このため、僧侶になっていた良通(一鉄)が急遽、稲葉の家督を継いだ。
祖父・塩塵らの後見を受けて無事に育った良通は、はじめ土岐頼芸に仕えた。この頃、彼の姉妹・深芳野が頼芸の側室となっており、後に斎藤道三に譲られ、斎藤義龍を産む事になる。
道三が国盗りを起こすと彼に味方し、やがて義龍と道三が対立すると義龍に味方し・・・と巧みに主を変えながら、安藤守就・氏家卜全とともに西美濃三人衆と呼ばれる美濃の有力者となった。ところが、義龍の子・斎藤龍興には疎んじられた。
このため、美濃侵攻を進めていた織田信長の調略に応じ、他二人と共に織田家に鞍替えした。彼らの寝返りが決定打になり、1567年、稲葉山城が陥落して龍興は逃亡、美濃斎藤氏は滅亡した。
以後は織田家臣として各地を転戦した。この時点で既に50歳を超えているがまだまだ元気。浅井・朝倉との戦い、長島一向一揆との戦い、長篠の戦いなどなど、信長の有名な戦いには毎回のように参加しており武功を挙げまくっている。特に姉川の戦いでは初め横山城包囲に参加していたが、途中で浅井本隊の横っ腹への攻撃に移って大打撃を与えており、徳川家康に次ぐ戦功第二とされた。
長島一向一揆との戦いでは、1571年に氏家卜全がしんがりを務めて戦死しているが、一鉄も1573年にしんがりを担当、囮作戦を成功させて生き延びた。
1579年、嫡男の稲葉貞通に家督を譲る。このとき65歳。貞通は34歳、自分と共に各地で戦いの経験を積んでおり、年齢的に見ても特に申し分ないタイミングでの隠居だが・・・何か気になるものがあったのだろうか。
この翌年、安藤守就が内通の疑いをかけられて織田家を追放されてしまう。美濃の有力者として隠然たる力を持っていた安藤(伊賀)一族を排除して、岐阜城主となっていた織田信忠の統治を安定させるため、とも言われているが詳細は謎。
稲葉家は特にこうした処分はなく、織田家臣として存続した。初めは親族にあたる安藤一族を匿ったりしていたらしいが、結局信長が安藤氏を許すことはなく、本能寺の変の直後に守就たちが反乱を起こした際には一鉄自ら討伐した。
なお武田家滅亡の際、旧主である土岐頼芸が発見され、彼を美濃に帰還させている。
明智光秀の家老だった斎藤利三は、元々は稲葉家臣で一鉄の娘(姪とも)を妻としていた。そうした縁で利三の娘・福(のちの春日局)は稲葉家に引き取られて養育されることになった。
清洲会議の後、美濃は織田信孝が治めることになるが、賤ヶ岳の戦いが勃発すると稲葉氏は羽柴秀吉・織田信雄の側に付いた。小牧・長久手の戦いでは秀吉方で参戦。これ以降前線に出ることはなく、1588年11月、74歳で死去。
『頑固一徹』のイメージから無骨な人物と思われることが多いが、学問や茶道にも通じた教養人であり、信長からも高く評価されていた。あと肖像画の眉毛がとっても太い。
上述の通り、嫡男(次男)の稲葉貞通(1546~1603)に家督を譲っている。貞通は関ヶ原の戦いで西軍に属したが、途中で東軍に寝返って功を挙げたため、戦後豊後臼杵藩5万石の大名となった。以後、幕末まで続く。
庶長子に稲葉重通(?~1598)がいる。こちらは別家を興して、一鉄が隠居後に住んでいた美濃清水城を継いだ。重通の子・稲葉通重は関ヶ原で貞通と共に行動して清水藩1.2万石を安堵された・・・が、乱行を起こしたために1607年に早々に改易された。
同じく重通の子に稲葉道通という人物がいる。「みちみち」ではなく「みちとお」と読むらしい。名前のインパクトもすごいが、なかなかどす黒いエピソードが残る。
兄の牧村利貞が1593年に病死したとき、その息子がまだ幼少のため、道通が2万石の遺領を継いだ。関ヶ原の功績で更に加増されて伊勢田丸藩4.5万石を領する。が、甥が成人しても兄の領地を返すどころか甥を暗殺するという暴挙に出て、その半年後に急死。呪いと噂される。その息子・稲葉紀通も狂気の末に自殺しており、この系統は断絶している。
そしてもう一人、稲葉正成という人物について紹介しておく。彼は稲葉氏の庶流の林氏の出身で、織田家臣の林秀貞とも同族である。彼は初め重通の娘婿となっていたが、妻に先立たれたため、重通の養女となっていた斎藤福(春日局)と再婚した。そして小早川秀秋の家老となり、関ヶ原での寝返りを実現させている。秀秋の死後は一度没落するが、福が徳川家光の乳母となったことで取り立てられた。最終的にこの家系は淀藩10万石を領する譜代大名となっており、外様で5万石の稲葉宗家よりも格上だった。
「信長の野望」(PC)シリーズにおける稲葉一鉄(稲葉良通)の能力一覧。
戦国群雄伝以来皆勤で、顔グラも初期から変化が少なく、力強く頑固そうな親父顔である(でも戦国群雄伝では白髪だった)。統率を中心に政治教養分野も高い、場所を選ばず働ける人材。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | 73 | 政治 | 71 | 魅力 | 66 | 野望 | 73 | ||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | 74 | 政治 | 56 | 魅力 | 69 | 野望 | 72 | 教養 | 69 | ||||
覇王伝 | 采配 | 78 | 戦闘 | 77 | 智謀 | 49 | 政治 | 56 | 野望 | 72 | ||||
天翔記 | 戦才 | 154(A) | 智才 | 104(B) | 政才 | 142(B) | 魅力 | 68 | 野望 | 72 | ||||
将星録 | 戦闘 | 77 | 智謀 | 72 | 政治 | 71 | ||||||||
烈風伝 | 采配 | 63 | 戦闘 | 69 | 智謀 | 71 | 政治 | 70 | ||||||
嵐世記 | 采配 | 62 | 智謀 | 68 | 政治 | 65 | 野望 | 67 | ||||||
蒼天録 | 統率 | 62 | 知略 | 65 | 政治 | 66 | ||||||||
天下創世 | 統率 | 63 | 知略 | 64 | 政治 | 63 | 教養 | 62 | ||||||
革新 | 統率 | 78 | 武勇 | 70 | 知略 | 72 | 政治 | 71 | ||||||
天道 | 統率 | 78 | 武勇 | 70 | 知略 | 72 | 政治 | 71 | ||||||
創造 | 統率 | 76 | 武勇 | 67 | 知略 | 71 | 政治 | 70 | ||||||
戦国立志伝 | 統率 | 76 | 武勇 | 67 | 知略 | 71 | 政治 | 70 |
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最終更新:2025/03/28(金) 09:00
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