竹田恒泰とは、日本の右派政治評論家・コメンテーター・作家である。元慶應義塾大学大学院非常勤講師。
室町時代初期に天皇家から分かれた世襲親王家・伏見宮家の分家の一つである竹田宮家の末裔。曽祖父にあたる初代竹田宮が明治天皇の娘を娶っており、女系では明治天皇の玄孫にあたる。
しばしば旧皇族として扱われることがあるが、これは本来1947年に一斉皇籍離脱を行った伏見宮系皇族ら当人を指す用語であり、恒泰はもちろん父の恒和(現日本オリンピック委員会会長)もこの時点では生まれておらず、一度も皇族の身分を得たことはないため誤りである(旧皇族に該当するのは祖父・伯父まで)。
皇室論・天皇史・ナショナリズムを論じており、著書を多数出版しているほか、「そこまで言って委員会NP」などのテレビ番組にもコメンテーターとして出演している。またニコニコ動画に公式チャンネルや公式ブロマガを開設しニコニコユーザーとの交流を深めている。
また、後述の女性スキャンダルでたびたびメディアを賑わせており、こうした言動からしばしば「皇族タレント」「皇族芸人」と揶揄されることもある。
2015年4月19日、20代の一般女性と結婚したことを自身のブログと読売テレビ「そこまで言って委員会NP」で発表した。[1]
1975年10月24日、竹田恒和の長男として生まれる。弟・妹が1人ずつおり、弟の恒俊は現在TBSに勤務している。いずれも2007年に離婚し竹田家を離れた昌子前夫人の子であり、寿々子現夫人との間に血の繋がりはない。
慶應幼稚舎から慶應大学法学部までエスカレーター式で進学。大学時代はバックパッカーとして世界中を巡りつつ、藤田祐幸助教授の環境学ゼミに所属。藤田は当時から熱心な反原発派として知られる人物であり、彼の指導を受けたことは後に竹田が右派には珍しい脱原発論者となるきっかけになった。
卒業後は会社を興すなど青年実業家として活動する傍ら環境問題への関心を深め、環境関係の団体・私塾を立ち上げて講演会や勉強会を開くなど環境活動家としても活躍した[2]。2002年には環境都市創設を掲げて横浜市長選への出馬を表明したが、後に票割れの回避を理由に立候補を辞退し中田宏の支援に回った。
またホームレスの支援ボランティアに参加したり、イラク戦争の開戦が間近に迫った際には「イラク攻撃を止めさせる緊急アピール」に発起人として加わりつつ自らイラクを訪問、戦争回避のために奔走するなど、この頃はリベラル派・左派側が取り組むようなテーマにも携わっていた。
一方、2002年にはマルチ商法として問題になったスカイビズの勧誘に関与していたとして被害者から糾弾され、週刊誌で取り上げられるという不名誉な事件も起きた。
スカイビズとはアメリカに本部を置く同名の会社が行っていたホームページ開設サービス。一見まっとうなネットサービスに見えるが、「1口125ドルで複数口加入可」「誰かを勧誘して『ファミリー』にすると増加数に応じて報奨金が入る」「自分の『ファミリー』がさらに『ファミリー』を作るとその分も加算される」「解約は72時間以内のみ(クーリングオフ制度は無視)」という典型的なマルチ商法のオプションが付いており、国民生活センターではオプションのほうがメインになっておりマルチ商法にあたるとして警告を発していた[3] 。
被害者によると、2000年春頃に竹田の自宅を訪れた際にスカイビズの勧誘を受け、その場で登録。当時の竹田の公式サイトには会員勧誘のためのミーティング告知もあったという。取材に対して竹田は「スカイビズは適正価格でサービスを提供しておりマルチ商法にはあたらない」「むしろ自分はマルチ商法にならないようストップをかけていた側」と反論[4]。また後日公式サイトで「解約せずサービスを受けたのだから被害は存在しない」とも主張した[5]。
その後スカイビズ社は連邦取引委員会の提訴を受けて資産を差し押さえられ破綻。残った資産が被害者救済に充てられたが、全世界での被害総額1億4000万ドルに対して回収できたのは2000万ドルに留まった[6][7]。
2004年末に小泉純一郎首相(当時)が有識者会議を設置したのを機に、皇位継承者不足を解決するための女系天皇容認の是非が議論されるようになった。男系維持を天皇制の本質的価値とみなす右派は女系継承を否定し、旧皇族系男子の皇室復帰によって継承者不足を解決すべきだと主張した。
当事者となった旧皇族系男子の多くは議論に加わるのを避けたが、竹田は積極的に男系維持・旧皇族復帰を主張し、旧皇族系男子は責任を果たす覚悟を持つべきだと論じた。自身も旧皇族系男子であり、かつ明治天皇の玄孫にあたるという権威も相まって、竹田の発言は右派の間で積極的に引用された。
こうした中、2006年に出版した初の著書「語られなかった皇族たちの真実」で学術賞・山本七平賞を受賞すると、2008年には前年に田母神俊雄航空幕僚長更迭騒動で話題を呼んだアパグループの「真の近現代史観」懸賞論文で最優秀賞を受賞。竹田は右派論壇の中で注目を集めるようになる。
2007年からは保守系の憲法学者・小林節の下、慶應大学大学院修士課程で憲法の講義を担当した。ただしこの講義は統治機構・人権等の理論や実務を扱う一般的な憲法講義とは異なり、1年間ひたすら天皇について論じるという特殊なものだった。またこの頃から憲法学者を自称するようになったが、講義の特殊性に加え憲法に関する学術論文や学会発表の形跡が見られないことから、自称としても不適切ではないかとの指摘がある。
なお2013年度限りで小林が退官したことに伴い、竹田も非常勤講師を雇い止めになり母校を去っている[8]。後に小林は「憲法を勉強させるために講師にしたのに肩書きを営業の看板に使い、注意しても無視された。みだらな話でも慶應講師の肩書きが出てきてぞっとした」と振り返り、竹田を起用した自分を恥じているとコメントした。
2011年頃より執筆ペースを加速させ、「日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか」「日本人はいつ日本が好きになったのか」などの本や、「面白いけど笑えない中国の話」「笑えるほどたちが悪い韓国の話」などの嫌中・嫌韓本を次々に出版。右派論壇における地位を確固たるものとした。
また2012年に右派系トークバラエティ番組「たかじんのそこまで言って委員会」の準レギュラーとなったのを皮切りに、テレビ番組への出演機会が急増。同年11月には公式ニコニコチャンネルを開設し、「日本のソボクなギモン」と題した生放送を毎週配信するなど知名度を高めた。
他方で舌禍事件も増加した。2013年10月には京都朝鮮学校公園占用抗議事件[9]を取り上げた「たかじん~」の番組中で「在日は通名を使って犯罪歴を消してまた犯罪を犯している」と主張し、在特会の活動を評価したことで抗議を受けた。竹田は正当な発言だと主張したが、読売テレビは「不正確で誤解を生む表現」として謝罪した。また翌2014年2月にはソチオリンピックに出場した日本選手に対し「メダルは噛むな。君が代は直立不動で歌え。国費で送り出されておいて負けて『楽しかった』『思い出になった』なんて発言はあり得ない」とツイートし、物議を醸した[10]。
舌禍と並行して女性スキャンダルにも見舞われた。2013年11月に歌手の華原朋美との交際が取り沙汰されるようになり、竹田の求愛ぶりが話題を呼んだが、上記のオリンピック絡みのツイートも影響して翌年2月に破局。その後華原への求愛が続いていた2013年12月に元AKB48の畑山亜梨紗と知り合い交際を始めていたとの疑惑が浮上し、「二股」「両天秤」と揶揄されるなど自身のイメージを大きく損ねる結果となってしまった。[11][12][13]
その後、2014年9月に韓国映画「悪魔は誰だ」のトークショーに出演した際に畑山と破局していたことが発覚[14]。またこのトークショーで「日本では作れない力のある映画。深い人間愛を感じた」と韓国製の同映画を称賛したため、ネット右翼から怒りや失望の声が上がったという[15]。
2014年11月 自身のブログにて某女子高生の身体の一部を勝手に撮影し、アップするという事案が発生。意図的に身体の一部が入るよう撮ったのはブログ文章で自白している。
隣の女子高生にドキドキしちゃいました。。。
一般的な「盗撮」という行為に値するかどうかは微妙な所ではあるが、非常識な行為である。
2019年11月8日、戦史・紛争史研究家の山崎雅弘氏が自らのTwitterアカウント(短文投稿コミュニケーションサイト)にて、富山県朝日町の教育委員会が講演会の講師として竹田氏を招いたことについて「この人物が教育現場に出してはいけない人権侵害常習犯の差別主義者だとすぐわかる」などと批判するツイート(書き込み)を投稿した。
この山崎氏のツイートに対して、竹田氏はこのツイートを含む5つのツイートを名誉毀損であるとして反発。損害賠償やツイートの削除、謝罪広告の掲載を求めて裁判を起こした。
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竹田氏は当初、「「負け戦」を経験してもらおう。」「山崎雅弘氏の知り合いの弁護士は、負けるリスクについても説明したのですかね?私の弁護士は、勝ち目のない訴訟はやめるように助言してくれます。それが本当に信頼できる弁護です。」等、自らの勝訴を確信しているかのようなツイートも行っていた。
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ところが、2021年2月5日に出された東京地裁の判決では、裁判長は竹田氏について「他国や他民族に批判的な意見をする際、あえて攻撃的で侮蔑的とも取れる表現を多用している」と指摘したうえで「一定の批判は甘受すべき」とし、山崎氏のツイートについて「本件各ツイートが,いずれも原告の社会的評価を低下させるものであったとしても,公正な論評ないし意見の表明として違法性を欠くものであるというべきである」と判決文に記載して、竹田氏の請求を棄却した。[16]
竹田氏はこれを不満として控訴したが、二審の東京高裁も2021年8月24日に一審の判断を指示し、竹田氏の訴えを棄却する判決を下した。[17]また判決文においては控訴人(竹田氏)に関して「既に述べたところからすれば,本件各ツイートの表現が控訴人の言動や表現方法等から導かれる意見ないし論評として不相当又は不合理なものとまでいうことはできない。」と一審の判決文に追記した。[18]
竹田氏はさらに上告して最高裁判所にて争う姿勢を見せたが、2022年4月に最高裁判所第二小法廷がこの上告を棄却。竹田氏の敗訴が確定した。[19]
生家の竹田家は概要で触れた伏見宮家から分かれた数多くの分家の一つである。
元々伏見宮家とは南北朝時代の北朝内における皇位継承争いに敗れて京都・伏見に逼塞していた崇光天皇の子・栄仁親王が起こした家である。後に勝者側の後光厳系が4代で断絶したため皇統奪還に成功、第3世代から後花園天皇を輩出することになった。以後の天皇は今上天皇に至るまで全て彼の直系子孫にあたる。
従来であれば天皇家本家となった伏見宮家は消滅してもおかしくなかったが、後花園天皇は弟の貞常親王に生家を継がせ、独立した世襲親王家としての特権を与えた。こうして天皇家本家とは別系統で伏見宮家は皇室内に存続し続けることになり、血統的には遥か彼方に遠ざかりながらも途絶えることなく数百年を過ごした。
明治維新時の当主・邦家親王は大勢の健康な男子を儲けたため、大日本帝国時代の皇室内には邦家親王の子が起こした分家宮家が乱立することになった。その一つである北白川宮家から、更に分かれて設立されたのが竹田宮家である。明治天皇の第六皇女・昌子内親王が初代当主の恒久王に嫁いだため、以後竹田宮家には女系で明治天皇の血が流れることになった。なお他にも3人の皇女が伏見宮系宮家に嫁いでいる[20]。
2代目・恒徳王の代で大日本帝国は崩壊、1947年10月に伏見宮系皇族は全員皇籍を離脱する運びとなった。それから半月後、恒徳王改め一般国民・竹田恒徳の三男として生まれたのが恒和であり、恒和の長男として1975年に生まれたのが恒泰である。なお恒徳の妻(恒泰の祖母)は明治の元勲・三条実美公爵の孫娘にあたる。
「GHQの陰謀によって旧皇族が皇籍離脱に追い込まれなければ、竹田恒泰氏は今も皇族であられたはず」という主張が見受けられるが、結論から言えば仮に祖父の代での一斉離脱が無かったとしても、恒泰は現在と同様に生来皇族としての身分を持たない、平民あるいは華族であった可能性が高い。
と言うのも皇族、特に伏見宮系皇族が増え過ぎて皇室財政が逼迫したことから「伏見宮系皇族は長子孫の系統かつ邦家親王から4世以内の者のみ残し、それ以外は原則として臣籍降下」という内規が大正時代に制定されていたためである。実際に内規制定後、各宮家の次男や三男は次々に臣籍降下して皇室を去っており、父・恒和も三男である以上は一斉離脱の有無にかかわらず元々いずれ臣籍に下る定めの身の上であった。
なお内規はあくまで原則であるため、血統保存の必要性などから例外が認められる可能性はあったが、恒和の長兄・恒正が健康に成長したこと、天皇家本家に恒和と同世代の男子が5人も居たことから[21]、恒和が成人・独立する時期に敢えて彼を例外扱いして皇室に留める理由は見当たらない。
よって一斉離脱がなくとも恒和は次兄・恒治の後を追う形で皇室を去っていたことになるが、その場合は華族制度が廃止されていれば当然一般国民となり、存続していれば華族5等級の3等である伯爵位を与えられていたと考えられる。これは各宮家から最初の臣籍降下では侯爵を、2番目以降では伯爵を与えるとされていたためである[22]。
以上より仮に1947年の旧皇族の皇籍離脱が無かったとしても、恒泰の立場は今と同じ一般国民か、あるいは伯爵家の推定相続人かのどちらかであり、いずれにせよ皇族の地位に就くことは無かっただろうと言える。
光厳天皇
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崇光天皇 後光厳天皇
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伏見宮栄仁親王 後円融天皇
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貞成親王 後小松天皇
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貞常親王 後花園天皇 称光天皇
│ │ (断絶)
────(10世代略)──────────(13世代略)────────
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邦家親王 孝明天皇
┌───┴──┬─(略)… │
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(伏見宮家) 北白川宮能久親王 明治天皇
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(北白川宮家) 竹田宮恒久王┬昌子内親王 大正天皇
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│ │
恒徳王 昭和天皇
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│ │ │ │
△ △ 竹田恒和 今上天皇
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△ △ △ 恒泰 △
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最終更新:2024/04/17(水) 07:00
最終更新:2024/04/17(水) 07:00
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