笑福亭松之助とは、落語の名跡である。これまでに2人がこの名を名乗っている。
本名明石徳三。1925年8月6日生まれ。兵庫県神戸市出身で、生家の目と鼻の先に繁華街の新開地があった。
芸人を目指すため、1948年6月に当時戎橋松竹で落語を披露していた5代目笑福亭松鶴に入門。芸人の中でも噺家を選んだのは「漫才だと相方と喧嘩をするかもしれないが、噺家ならその心配がない」と考えたため。入門からわずか12日で初舞台を踏んだが、場所は寺田町の大阪市交通局の職員住宅で本名での出演だった。師匠の家に住み込んだり通ったりすることなく、戎橋松竹の楽屋に通って弟子修業に励み、入門から半年で松之介の名前を与えられる。
80歳を越えた2000年代半ばを過ぎても40分を超える長ネタを演じ、映画監督をつとめ、ブログを開設して自ら積極的にメッセージを発信するなどエネルギッシュに活動を続けていた。2012年を最後に出演しなくなったが、毎年元旦に放送される笑点の東西大喜利では西軍の一員として出演。東軍(いつもの笑点大喜利メンバー)の特に水色から小便が近いといじられたり、松之介本人もそれをネタにしていた。
タレントの明石家さんまの師匠としても知られている。遅刻魔のエピソードの多いさんまだが、松之助と共演する際は早めに現場入りし、松之助の楽屋の前で長時間直立不動の姿勢で立ち、松之助といるときには、師匠と弟子という間柄を厳しく守り、座ることなく必ず立っているという。
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最終更新:2025/03/30(日) 15:00
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