第442連隊戦闘団とは、第二次世界大戦でアメリカ陸軍が編制した日系人を中心とした部隊である。
キャッチフレーズは「Go for Broke!(当たって砕けろ/死力を尽くせ!)」。愛称は名誉戦傷戦闘団(purple Heart battalion) 。
第二次世界大戦前まで、アメリカには多くの日本人が移り住んでおり、日系二世など世代が変わりつつあった。
すべてを変えてしまったのは真珠湾攻撃で始まった対日戦争で、主に西海岸・ハワイを中心として暮らしていた日系人の多くが財産の没収、強制収容所送りとなってしまった。
アメリカとしては日本軍がもしハワイ、アメリカ西海岸に上陸した場合日系人の動向が読みきれないこともあり、厄介払い的な意味合いもこめて日系二世で陸軍士官らを中心とした第100大隊を編制、東海岸側の州へと送り込んだ。
彼らは高い士気、練度でたちまちのうちに有名になる。
そんな中、強制収容所に日系人を収容していることを日本が宣伝していることに対応するためアメリカは日系人を中心とした部隊を編成する必要に迫られる。ここでハワイ(あまりにも日系人が多いためこちらは強制収容は行われなかった)や西海岸の強制収容所から人員を募り、第442連隊を組織する。
先行して組織された第100大隊は欧州のイタリア戦線に投入。ここで最初の戦闘を行い、数多くの犠牲を払ってイタリア各地の防衛戦を突破。ローマ解放の最有力地点まで進出したが軍上層部の意向で白人部隊にその名誉を譲ることとなっている。ここで第442連隊が欧州へ到着。第100大隊と合流。ここに改めて第442連隊戦闘団となってフランス戦線へと転戦することとなる。
第36師団に編入された第442連隊戦闘団は1944年10月よりフランス戦線で戦いを繰り広げるが、この戦いの最中テキサス州兵大隊が孤立。ドイツ軍に包囲される事態が発生した。数度にわたる連隊の救出作戦も失敗し「失われた大隊」と呼ばれていた中、10月からはほぼ毎日のペースで戦いに投入され疲弊している第442連隊戦闘団に大統領の直接命令が下され、大隊救出のために動くこととなる。
参加したダニエル・イノウエ(のち上院議員)が後に語った言葉が残っている。
「いわば使い捨てでしょう。しかし、私たちはそれを歓迎したのです。
なぜなら、それこそ(日系人の)価値とアメリカへの忠誠をを証明するチャンスでしたから」
この戦いで孤立したテキサス州兵大隊211名を救うため、第442連隊戦闘団の日系人兵士たちは「バンザイ!」と叫びながら突撃(日本軍が行ったような自殺的突撃ではなく、あくので白兵突撃の鬨の声)。
彼らはこれまでの戦いと合わせて、200名の戦死者、600名あまりの重傷者を出しつつ任務を果たすこととなった。
作戦終了後、第442連隊戦闘団を閲兵した師団長であるダールキスト少将があまりに少ない所属兵士達の姿を見て、「全員を整列させろといったはずだ」というが、指揮官代理の言葉は「目の前に並ぶ兵士が全員です。残りは戦死か入院です」と答えたという。
フランス戦線参加時点で2800名あまりの人員はその半数、1400名ほどにまで半減。通常200人程度で構成される中隊編成だが、K中隊は18名。I中隊は8名(!)という有様になっていたという。
師団長であるダールキスト少将の命令により10月の間、ほぼ戦いをつづけた結果ともいえる。このあまりの結果と有様に師団長は絶句。スピーチもできなかったという。
通常、部隊の30%が失われた時点で「全滅」判定がされるが、彼らはまさしく全滅の憂き目に会いながらも敢闘したエピソードとなって、現在でもアメリカ陸軍の第二次世界大戦における十大戦闘の一つに数えられているという。
その後、後方で再編を受け、45年4月にふたたびイタリア戦線へと転戦。イタリア方面の第15軍集団率いるクラークの要請に基づくもので、かの地でもドイツ軍イタリア半島防衛のゴシック・ラインをめぐる戦いに参戦、活躍する。この際、第92師団に配備されるが、この師団もまた「バッファロー・ソルジャー」と呼ばれる黒人兵主体の師団であった。
第442連隊戦闘団の兵士らはここでも、冬を挟んだとはいえ、5か月もの間膠着したままの戦線をわずか30分少々で突破するなどの活躍を見せ、その後終戦を迎えた。
第442連隊戦闘団の終戦までの死傷率314%(9486人)。アメリカ陸軍の中でももっとも多くの勲章授与部隊となりおよそ18000近くの勲章や賞状を受けたという。その中には議会の承認を得る最高位の名誉勲章もある。この他にも名誉戦傷(Purple Heart)勲章を多く受けたことから"名誉戦傷戦闘団"とも言われることになった。
大統領から贈られる部隊感状は7つを数え、これは現在に至るも最多という。この7枚目を授与するにあたり、時の大統領トルーマン自ら連隊旗に感状を括りつけるという名誉を与えている。
第442連隊戦闘団に加わった日系人の若者の多くは自ら日系人の地位確立を目指したのかもしれない。
しかし戦後も日系人迫害は続いたが公民権運動を経て日系人はアメリカ社会に認められるようになった。日系人の強制収容に対するアメリカ政府の謝罪と賠償が1988年(レーガン政権)と1992年(ブッシュ政権)の二度に渡って行われ、特にレーガン大統領はその際「諸君はファシズムと人種差別という二つの敵と闘い、その両方に勝利した。」と第442連隊戦闘団を讃えるコメントを出している。まさしく血で贖った代価なのかもしれない。
2011年11月、オバマ大統領と合衆国議会はテキサス大隊救出作戦から65周年を祝うとともに、その健闘を称え第442連隊戦闘団に対して議会名誉黄金勲章を授与した。この勲章授与式時、統合参謀本部議長であるマレンは以下のようにスピーチした。
第442連隊戦闘団は現在解体されたものの、すべての始まりだった第442連隊第100大隊(連隊に他の大隊は所属していない)が予備役部隊としてハワイを中心に太平洋各地の基地に展開している。部隊を構成するのは現在もなお日系人やアジア系アメリカ人が占めているという。イラク戦争にも派遣されていた。
ちなみに第442連隊戦闘団に参加した著名人としては、ダニエル・イノウエ上院議員(最終階級・陸軍大尉)がいる。(2012年12月死去)
氏は第442連隊戦闘団所属時、戦傷により右腕を失ったが退役後弁護士へ。その後日系初の上院議員に当選。長年その任についた。この功績をたたえられ2000年に名誉勲章を受け、その死後2013年5月にアメリカ海軍は今後建造される予定であるイージス艦アーレイ・バーク級駆逐艦DDG-118の艦名として「ダニエル・イノウエ」(USS Daniel Inouye)と命名することを決定した。
掲示板
98ななしのよっしん
2023/02/04(土) 01:47:04 ID: lLDDmCyJpl
99ななしのよっしん
2023/02/04(土) 17:50:51 ID: ShJtIJ+new
>>97
敵民族系国民と言っても、日系人だけなんだけどね。
ドイツ系・イタリア系は多数派だから入れれないけど。
というか戦争始まる前はナチス支持者が資産家層でもいたくらいだからね。
中国が敵国だったら中国系を収容しただろうし、当時の黄禍論って結構根深い。
100ななしのよっしん
2023/02/07(火) 12:55:06 ID: iqCOTE462N
731部隊は戦時中というどさくさに紛れて、数々の外道行為を繰り返してた所謂、吐き気を催す邪悪
442連隊はいかなる境遇だろうが一歩も引かず、自分達の信じた祖国への忠誠心を示す為にひたすら奮闘し、蛮行にも走らなかった所謂、黄金の精神
ざっとまとめるとこんな感じ
急上昇ワード改
最終更新:2023/03/22(水) 18:00
最終更新:2023/03/22(水) 18:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。