第5号輸送艦とは、大東亜戦争中に大日本帝國海軍が建造・運用した一等輸送艦5番艦である。1944年8月5日竣工。甲標的の発射実験を行って見事成功させた。
第一号型輸送艦とは帝国海軍初の一等輸送艦である。特務艦特型とも。正式名称は第一号型輸送艦なのだが、他に分類された艦が無かった事から、艦種名の一等輸送艦とも呼ばれていた。
今まで輸送任務は駆逐艦や水上機母艦、民間から接収した輸送「船」が担っていたが、1942年8月より始まったガダルカナル島争奪戦にて、多くの駆逐艦や輸送船を強行輸送の末に失った事により、1943年中期に軍令部から2種類の輸送艦の計画要求が出された。この計画案から誕生したのが一等輸送艦と二等輸送艦だった。
第一号型輸送艦は最初から輸送任務を念頭に置いて設計。生産性を高めるため、丙型海防艦や丁型海防艦に用いられている簡易線図を流用し、ブロック工法と電気溶接を採用して工期を大幅に短縮、およそ1ヶ月程度の工事で完成出来るよう目指している。敵勢力圏内での強行輸送を視野に入れ、12.7cm連装高角砲、25mm対空機銃(艦によって数と位置が変動)、爆雷投下軌道1条、九三式探信儀、九三式水中聴音機、22号水上電探を装備。電探装備に限れば駆逐艦並みもしくはそれ以上の充実が図られた。一等輸送艦は駆逐艦そっくりの見た目をしていたためアメリカ軍から駆逐艦と誤認される事もたびたびあったという。
肝心な輸送能力は補給物件260トンを積載可能、浜辺への緊急輸送を可能とする大発4隻を持ち、これらの舟艇は艦尾に設置されたスロープからそのまま海へ発進出来るため、洋上停止せずとも補給任務が可能だった。戻って来た舟艇は3基のデリックで回収する。
1944年3月22日に呉海軍工廠で起工、5月10日発令の達第153号により第5号輸送艦と命名され、5月25日に進水、6月27日に艤装員長として海防艦鵜来より転属してきた乗松芳雄少佐が着任し、8月5日に無事竣工を果たした。竣工と同時に戦時編制で連合艦隊附属となる。
7月、一等輸送艦を甲標的輸送に使う案が提示される。というのも甲標的の輸送が可能な艦艇は非常に限られており、かつては水上機母艦が担っていたのだが、千歳と千代田は空母に改装され、一気に12隻搭載可能な日進は昨年7月22日に沈没してしまったため、現在輸送が出来るのは伊号潜水艦だけとなっていたのである。加えて甲標的を曳航する輸送方法は既に失敗していて搭載式で運べる艦も求められていた。
8月17日、第5号輸送艦の艦尾スロープを使って情島沖で甲標的丙型第36号と第69号の発進実験が行われた。その結果、見事に実験は成功。速力10ノット程度であれば甲標的の洋上発進が可能と判明したため、以降の一等輸送艦には甲標的2隻の輸送能力も付与され、安全に輸送出来る手段を得たおかげで、セブに8隻に及ぶ集中配備が出来た。また戦争末期におけるフィリピン及び沖縄への輸送にも運用されている。
8月30日、戦雲急を告げるフィリピンのセブ島へ向かうべく、軍需物資や甲標的を積載して呉を出港。道中で比島部隊より甲標的、電探、兵器物件の半数をセブに、12cm高角砲弾と残りの兵器物件をサンボアンガに揚陸するよう命じられ、9月10日にミンダナオ島サンボアンガに到着。現地で物資を揚陸した。続いてセブへと移動して甲標的を第33特別根拠地隊に送り届ける。一等輸送艦のおかげで、マニラから強引に甲標的自身を航行させる必要が無くなったのは輸送面で大いに助けとなった。
しかし、フィリピン南部では西カロリンから転戦してきた米機動部隊が傍若無人に暴れ回っており、サンボアンガ到着の前日にはダバオ、デゴス、サランガニ、サンオーガスチン、スリガオの各航空基地が猛攻を浴びたばかりであった。そして第5号の次の目的地はそのダバオ方面だった。攻撃の激しさたるや、第5号輸送艦の戦闘詳報に「昭和十九年九月一日以降同島(ミンダナオ島)茲に周辺には敵機は編隊に依る銃爆撃を開始 特にダバオ、サランガニ方面の施設及艦船に対する攻撃は激化しつつつあり」と記述されるほど。
9月12日午前3時、姉妹艦たる第3号輸送艦や護衛の隼艇3隻(第52号、第62号、第67号)とともにセブ島を出発、正午頃、隼艇3隻がブランカ岬北方で離脱した。第5号が出発した後、米機動部隊がセブとバゴロドの航空基地及び艦船を狙って空襲を仕掛け、セブ湾内の艦艇13隻と商船11隻が撃沈される大損害が発生。護衛してくれた3隻の隼艇もまとめて沈められた。間一髪虎口を脱したと言える。
目的地のダバオは敵の苛烈極まる空襲下にあって補給が途絶えかけており、空襲を避けるべく先発した第3号の後を追いながら湾内に突入、9月13日にダバオへ到着して急ぎ補給物資を揚陸し、その日のうちに作業を完了させた。
1944年9月14日午前5時15分、第5号輸送艦はダバオを出港。空襲が始まる前に湾内からの急速離脱を図った。だがダバオ南方15海里、湾内から出る前の午前7時、米第38.1任務群の敵艦上機117機がダバオを空襲。5分後に敵戦闘機20機以上が第5号輸送艦目掛けて突撃してきたため、対空戦闘を始めると同時に面舵一杯で回避運動を取る。
午前7時15分、対空射撃が敵機1機を捉えて撃墜するが、午前7時22分、敵空母ホーネットⅡ所属のSB2Cヘルダイバー急降下爆撃機の編隊に襲われ、爆弾3発が左舷艦尾に直撃、午前7時27分に沈没してしまった。乗組員2名以外全員行方不明。就役から僅か1ヶ月程度で撃沈という一等輸送艦の高い損耗率を物語る最期だった。
11月10日除籍。
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最終更新:2025/12/10(水) 03:00
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