筒井敬三(つつい けいぞう)とは、元プロ野球選手である。故人。
OB | |
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筒井敬三 | |
基本情報 | |
国籍 | ![]() |
出身地 | 和歌山県海南市 |
生年月日 | 1925年6月24日 |
没年月日 | 1959年12月6日 |
身長 体重 |
168cm 68kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 捕手 |
プロ入り | 1946年 |
引退 | 1958年 |
経歴 | |
選手歴 コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
海南中学校、横浜専門学校を経て、1946年にグレートリングに入団。
初年度の1946年、正捕手として起用されると、91試合に出場。打率.282、4本塁打、34打点を記録して、読売ジャイアンツを退けてのリーグ優勝に貢献。また15盗塁を記録するなど、足のあるところも見せた。
1948年、全試合(140試合)に出場。打率.238、2本塁打、33打点を記録。
1949年、127試合に出場して、打率.274、3本塁打、66打点、12盗塁を記録。同年、4月の読売ジャイアンツ戦では、筒井が守備妨害をしたと巨人側が訴えたが認められず、巨人の監督であった三原脩監督から筒井が頭を殴打されるという、『三原ポカリ事件』という騒動もあった。
その後も南海の正捕手として活躍を続け、オールスターゲームにも4度選出(出場自体は2度)された。
1956年、高橋ユニオンズへ移籍。正捕手として121試合に出場。
1957年、高橋ユニオンズを吸収合併した大映ユニオンズへ移籍。同年は75試合に出場。
1958年、東映フライヤーズへ移籍したが、8試合の出場に終わり、同年限りで現役を引退。
引退後、東映の二軍バッテリーコーチに就任。しかし、同年末の12月6日、選手寮でガス漏れ事故に巻き込まれてしまい、ガス中毒で死去。享年34歳。
キャッチング技術の巧みさや打者に語りかけて集中力を削ぐ強かさなどを武器にした捕手。当時としては珍しい俊足の捕手でもあり、2桁盗塁を3度記録している。
通算:13年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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NPB | 1052 | 3211 | 2903 | 265 | 685 | 28 | 276 | 60 | 47 | 3 | 234 | 22 | 288 | 32 | .236 | .298 |
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最終更新:2025/07/28(月) 15:00
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