篭手切江(刀剣乱舞)とは、ブラウザゲーム「刀剣乱舞-online-」に登場するキャラクターである。
私は篭手切江。正宗十哲の名高い、郷義弘の打った脇差です。
稲葉家と細川家、その両方に大変お世話になりました(刀帳)
越中国の刀工、郷義弘作の脇差。稲葉家と細川家を行き来した。
補佐役の気質は強く、主に対して如才なく振る舞う。
着付けが得意で、周囲のものを着飾ってくれる。
刀種は脇差。刀派は江(2018年11月27日以降追加)。
脇差が追加となるのは2015年10月29日の物吉貞宗(刀剣乱舞)以来となる。
2017年8月15日~8月29日の「秘宝の里~楽器集めの段~」にて、10万玉の確定報酬として登場。
かつて連隊戦において10万魂の確定報酬だった大包平(刀剣乱舞)に続く「10万の男」となった。
かつてない程に高い目標設定に騒然とする審神者達だったが、イベント開始から8時間後に入手報告が上がり、改めて審神者の底力の恐ろしさを思い知らされることとなった。
なお期間中にのみ使用可能な「調査道具」は入手玉が3倍になり、かつ楽器が確定で1つ入手できる課金アイテム。最短で入手した審神者曰く、約0.3伊東ライフ諭吉おひとりさま程度で目標達成できたとのこと。ただしこれを使わずとも、無課金であっても小判と時間さえつぎ込めば、決して達成不可能ではない目標である。
かつてはイベントでの入手のみに限られていたが、2018年7月3日のメンテナンス以降、通常マップ(2-2、2-3、7-2、7-3)でもドロップする仕様に変更となった。
ややラフな黒髪に黒縁眼鏡が印象的な、真面目そうな少年(少年と青年の中間)。
右頬に2つ横にならんだ黒子があるのが特徴。一人称は「私」。
戦装束はかっちりした印象のブレザー風の洋装で、松葉色のダブルのジャケット、チェック柄のパンツと、学校の制服のようにも見える。左腕には袖鎧と篭手を着用。
内番装束は緑を基調としたジャージ姿。紋は細川家の「松笠菱」と稲葉家の「折敷に三文字」を組み合わせたもの。
全体的に生真面目な性質の伺える台詞が多いが、曰く目指す所は「歌って踊れる付喪神」。
歌や踊りの練習に余念がなく、いつか「すてえじ」で輝ける日が来るように努力を重ねているという、例によってぶっ飛んだ設定が露わになった。ちなみに「すてえじ」「れっすん」など、横文字は全部ひらがな表記となっている。かわいい。
とは言っても刀の本分である戦ばたらき、内番や審神者への補佐に手は抜かない様子。
「私はまだ、見習いですから」とあくまでも謙虚に審神者に接し、また衣装を見立てては着付けを手伝ってくれる。なお審神者曰く「手がきれい」らしい。
下積みは大事だと考えているようで、誉を取れば「こうやって実績を積んでいきたいですね」、ランクアップでは「どうですか? 日々のれっすんの成果です!」と、見た目通りの真面目さが伝わる台詞を口にする。
隊長に選ばれると「わわ私が『りいだあ』!?よ、よいのですか?」と慌てふためくなど、自分が主役というよりは補佐としての気質が強い模様。かわいい。
攻撃する時はその号に相応しく「最小限にして最速で」「剣を持つ腕を斬れば!」と、篭手(小手)を狙って敵を無力化する戦法を好んでいる模様。
また真剣必殺時には右の腰が露わになり、不動明王の種字「カーン」がタトゥーで入っているのが確認できる。
かつて細川家に共にあった歌仙兼定と共に出陣すると、回想「歌のかたち今昔」が発生。
「伝統的な歌(和歌)」を好む歌仙に対し、篭手切は「今風の歌と踊り」の方を好むと打ち明ける。歌の在り方こそ違えども「すてえじ」で観衆を沸かせる事を目指し、「せっかくだから応援してくれ」と告げる篭手切と、終始穏やかに接する歌仙の姿が描かれた。
また平野藤四郎と共に出陣すると、回想「輝ける星を目指して」が発生。
「れっすん」に熱心な篭手切に対し、平野は「江の方々は、皆さんこんな感じなのですか?」と尋ね、全員がそうだという回答を得る。マジか。
それは素敵だと言う平野は、逆に「粟田口は向いていそうだけどやらないのかい」と問われ、「出し物としてくらいなら」と返答。「名物三作」に数えられる郷義弘と粟田口吉光の関係が示唆される回想となった。
2018年11月27日、同刀派の刀剣男士・豊前江が実装。一緒に出陣することで回想『すていじ あくと1』が発生するようになり、豊前の事を「りいだあ」と呼んで慕う篭手切と、鷹揚に応じる豊前との微笑ましいやり取りが見て取れる。
その後桑名江(刀剣乱舞)、松井江(刀剣乱舞)の実装に伴いシリーズ化。メンバーが増えて嬉しさのあまり鼻血が出そうになっている。よかったね。
Lv20で特にランクアップ。
ステータスは必殺が脇差中でトップタイ、その他のステータスも高い部類に入る。反面打撃はワーストタイとなっているが、レベルアップと錬結、刀装等によって十分カバーできる範囲である。
南北朝時代の刀工、郷義弘(ごうのよしひろ/ごうよしひろ)作の脇差。
郷義弘は越中国新川郡(現在の富山県魚津市)松倉郷に住んだ事から、この名字で呼ばれた。なお江戸時代以降、「郷」は「江」と表記されている。
鎌倉時代末期の刀工・正宗の高弟「正宗十哲」の一人に数えられ、「享保名物帳」では正宗、粟田口吉光と並び「名物三作」と称され、おおいに珍重された。しかし在銘の刀が皆無である事から偽物も多く、刀剣鑑定家・本阿弥家が鑑定した作、後世において郷義弘作であると認定された作しか存在しない。
このため「郷(江)とお化けは見た事がない」と言われるほど希少な刀剣であり、「全ての日本刀の中で最も入手困難なものの一つ」とも呼ばれている。
著名作には松平家伝来の「稲葉江」、前田家伝来の「富田江」(共に国宝)のほか、重要文化財指定を受けて現存する「五月雨江」などが知られている。
また虎徹こと長曽禰興里が郷義弘の作風に学んだ他、井上真改など後世の刀工にも大きな影響を及ぼしている。
号の「篭手切」の由来は不明。「篭手切」自体は裁断銘(切れ味の良さを茎に記したもの)としてよく用いられる表現で、同じ号を持つ著名な刀剣も多い。
表に金象嵌で「コテ切義弘 本阿(花押)」、裏に銀象嵌で「稲葉丹後守所持」と入る他、不動明王の種字が彫られている。
目釘孔は2つで、キャラクターの特徴である黒子はここから来ている可能性がある。
この「稲葉丹後守」こと稲葉正勝は、徳川家光の乳母・春日局の子。
母の縁もあって家光の小姓となり、家光が将軍即位後には側近として老中にまで栄達した人物である。
最初の来歴は寛永2年(1625年)頃。細川幽斎が所持していたが、その後稲葉家に渡っている(異説あり)。
老中として今後の活躍が期待された稲葉正勝だったが、若くして病を得、寛永11年(1634年)に死去。しかし死の直前、弟・稲葉正利が仕えていた駿河大納言こと徳川忠長の不品行による改易(後に切腹)に連座・処断される所を、僅かな余命を賭して幕府に嘆願。正利はかねてより縁深かった細川忠利(細川忠興の嫡子)が治める肥後熊本藩に配流という寛大な処分となった。
この際、忠利に篭手切江が譲られ、再び細川家に伝来した。なおこの頃既に小夜左文字は同家を離れている。
細川家と稲葉家(稲葉淀家)は様々な縁で結ばれており、忠利の母は明智光秀の娘・細川ガラシャで、正勝の外祖父・斎藤利三は同じく明智光秀の重臣である。
また利三の息子(=正勝の叔父・春日局の兄)斎藤利宗は山崎の戦いの後、身柄を忠興が預かり、助命が叶った後は豊臣・徳川に仕えた。更に忠利の妹・多羅が傍流(稲葉臼杵家)の稲葉一通に嫁ぐなど、浅からぬ関係にあった。
忠利は15歳から江戸城で人質生活を送っており、正勝とは友人として少年時代を過ごした。上記の縁もあって春日局からも厚遇され、これが秀忠・家光に重用される事に繋がった。その他、両家が親密な関係にあった事が伝わる書簡が残っている。
その後元禄13年(1700年)、正勝の孫・稲葉正往が老中に就任した折、再び稲葉家に戻った。
以後は同家に伝来したが、大正7年(1918年)に売立(オークション)で出品・落札。その後昭和6年(1931年)に再び出品・落札された。
その後は市井を流れ、時期は不明ながら実業家・古美術収集家の黒川幸七氏の手に渡った。現在は公益財団法人黒川古文化研究所所蔵となっている。
2017年10月14日~11月26日、黒川古文化研究所にて開催される「刀剣のかがやき 刀装具のいろどり」において展示。
掲示板
6 ななしのよっしん
2017/09/30(土) 01:19:02 ID: 3i2qnYnecx
郷ひろみからきていると思っているのは自分だけじゃないはず
7 ななしのよっしん
2018/06/06(水) 22:00:56 ID: /XDIqo4xbZ
アイドル設定があるって言われてるけど、入手して一通り台詞聞いてみたけどアイドルって発してる台詞は無いのね
一部では郷義弘が題材のミュージカルから来てるって言ってるの見かけるけど、そこから歌って踊ることに拘ってることになったのかな
8 ななしのよっしん
2018/09/09(日) 18:51:51 ID: 2e7CdTe2ng
なかなか脱がな…真剣必殺しない
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最終更新:2024/04/23(火) 15:00
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