脱亜論とは、
1885年に時事新報という当時あった新聞に掲載された社説。著者名はないのだが、福沢諭吉が書いたということで研究者の意見は一致しており、高校の日本史の教科書などにも福沢諭吉が書いたものだと記述されている。(もちろん、少数説だが福沢諭吉が書いたものではないという意見もある)
内容は「西洋化や西洋的な価値観を受け入れていくことはもう防ぐことはできないことであり、むしろ西洋に倣い追いついていくことが大事なんだよ。しかしながら、清朝や李氏朝鮮(いずれも当時)は儒教など東洋的な遅れた価値観にしがみついたままで、近代化しようという気がまるでないね。なので両国ともそのうち西洋の植民地となってしまうだろうよ。日本も東洋人であるから西洋の人々に『一緒や』と思われたら嫌だよね。日本はアジア的な価値観を捨てて西洋と同じグループに入るようにしよう」というものである。
・・・という、中韓をこき下ろすフレーズから、近年では嫌韓や名誉白人などの文脈からこの脱亜論が語られたり、再評価されたり、「さすがは明治初期に学歴の大切さを説き、現代でも私学のトップである慶応義塾大学を創設した傑物だ」と福沢諭吉を評価することもある。
そんなわけで、現代の中韓でも「差別主義者」扱いされ、非常に評価の低い福沢諭吉であるが、(中国韓国では早稲田大学の方が人気ですし知名度もあります)実際の所はそうではなかったという話もある。むしろ、福沢諭吉は朝鮮については近代化を期待し改革派を支援していたという意見もある。事実慶応義塾には朝鮮からの留学生が在籍していたし、福沢諭吉自身キンタマこと金玉均と親交があった。
しかし、朝鮮は日本のように明治維新のような近代化は起こらず、改革派は敗北し、清朝に従いへつらう道を選んでしまい、民衆もそれを支持してしまっている状態であった。福沢諭吉はそんな朝鮮に失望して脱亜論を書いたのであり、差別主義者ではなかったのだという説が強い。つまり、現代で語られる「脱亜論」は嫌韓やらと結びついて一人歩きしているものであり、福沢諭吉本来の意見ではない解釈である、と。
そもそも無記名であること、これ以外で福沢諭吉が「脱亜」という言葉を使っていないこと、似たような論調の意見を以後書いていないこと(強いて言うならば学問ノススメには『中国は欧米を夷荻扱いしていて傲慢だ』『儒教だの漢文だの東洋哲学だのの文学は役に立たないからもっと実学を学ばねばならん』程度のことは書いてあるが)などから、実は他人が書いたという説もある。
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最終更新:2025/07/15(火) 04:00
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