「おはようございますー! って今何時? まぁいっかー!」
舞風(まいかぜ)とは、艦隊これくしょん~艦これ~に登場する、帝国海軍・陽炎型駆逐艦18番艦「舞風」をモデルにした艦娘。
担当声優はブリドカットセーラ恵美。担当イラストレーターはコニシ。
2013年7月10日のメンテナンスで実装された、陽炎型の18女(陽炎型全19隻のうち艦これに実装されているのは6番艦以外の計18隻)。最近になって「秋雲」が陽炎型19番艦という扱いになるまでは陽炎型の末っ子であったということもあってか、陽炎型の中でもロリロリしい外見と声をしている。
登場時の自己紹介で「暗い雰囲気は、苦手です!」と言い切るように、徹頭徹尾テンションの高いウザカワ系元気少女。また舞風という名前からかダンスマニアというキャラ付けになっており、母港でもクリックすれば「おぉ、提督ノリがいいねー。一緒に踊るぅ?」、補給すれば「また、踊れますね!」、ドック入りすれば「踊った後はごはんがおいしいなぁ!」、戦闘でも「さぁ、華麗に踊りましょう!」「それっ、ワン・ツー!」といった調子で踊ってばっかりいる。
そんな、一見なにも考えて無さそうな舞風だが、史実(後述)では「赤城」を雷撃処分し、自らも最期はまるで射撃練習の的にされるかのようななぶり殺しに遭い、乗員全員が戦死するという壮絶な生涯を送っている。それを踏まえた上で聞く「暗い雰囲気は、苦手です!」という自己紹介の台詞は、なかなか重い。
ちなみに2014年9月現在、建造では入手できず、入手方法は3-3「アルフォンシーノ方面海域」全域と5-2「珊瑚諸島沖海域」のボスドロップの2箇所のみとなっている。とはいえ3-3は道中でもドロップするため、地獄と言われる3-4のボス勝利でしかドロップしないというツチノコ並の希少度を誇る同型艦の「初風」や、4-3ボスおよび5-2ボスでしかドロップせず図鑑コンプを目指す提督を苦しめる「三隈」(こちらは後日建造落ちしたが、よりによって大型艦建造のみである)に比べればレア度は低め。3-3攻略中や、3-3-1レベリング中にひょっこり入手したという提督もそれなりにいるのではないだろうか。ちなみに入手時期的に駆逐艦縛りの3-2攻略に投入する事は、ほぼ不可能である・・・(3-3へ行くにはその3-2を突破しなければならず、西方海域やこれまでに攻略してきた海域にドロップ箇所は無い)。
イベント海域でもドロップすることがあるので、そこで運良く入手していれば3-2攻略へ投入する事が出来るが。
図鑑のテキストや轟沈台詞では、史実でも行動を共にしていた同型艦の姉(15番艦)「野分」に言及しているが、長らく「野分」は実装されず舞風好き提督をやきもきさせた。舞風の実装から実に1年4ヶ月が経過した2014年の秋イベントにてようやく「野分」が実装され、舞風提督・陽炎型提督を喜ばせた。その1年後、2015年秋イベントにて、さらに16番艦「嵐」、17番艦「萩風」も実装され、開戦時の第四駆逐隊が勢揃いした。
ちなみに誤解されやすいが、髪型はツインテではなくポニテ。
公式のイラストコラムではツインテで描かれた事もあったが、後に執筆者が勘違いだったと自身のTwitterで発言している。
中破絵をみると判るがぺったんこである。というか、陽炎型は11番艦、12番艦、13番艦、17番艦と末妹以外は基本的にぺったんこである。道理で末妹が夕雲型と間違われるわけで(そぉれワンツー!(雷撃))
「舞風」は④計画第114号艦として1940年4月22日に大阪の藤永田造船所にて起工、1941年7月15日に竣工し「舞風」と命名、横須賀鎮守府に所属した。
太平洋戦争が開戦すると、姉の「野分」「嵐」「萩風」とともに第四駆逐隊を編成、南方作戦支援に従事する。ちなみに艦これでは舞風は野分の事ばかり言うので、この2隻が常に組んでいたように思われがちだが、実は開戦時は第一小隊が「野分」「嵐」ペアで、「舞風」は「萩風」と第二小隊を組んでいた。といっても、状況に応じて編成は臨機応変に変更されていた模様。
開戦直前の12月4日、ベトナム沖のカムラン湾へ向かった舞風は前述の通り萩風と共にマレー作戦やフィリピン攻略作戦を支援。年が変わって1942年2月、スターリング湾を出港しジャワ作戦に参加、4月にはベンガル湾作戦に参加した。5月27日、柱島を出撃し、ミッドウェー海戦に参加。爆発炎上した「加賀」の乗員の救助にあたり、そして「赤城」の雷撃処分を担当している。ミッドウェー海戦終結後、舞風は北方のアリューシャン作戦を支援するため大湊経由でアッツ島方面へ進出。7月12日に柱島へ帰還した。8月、ガダルカナル島に米軍が襲来しソロモン方面の戦いが始まる。これに伴い舞風は8月16日、呉を出港。ラバウルへ進出し、ガダルカナル島への輸送作戦に従事する事となる。ところがバディの萩風が編成の関係で嵐と組んでいたガ島輸送作戦で大破、嵐を護衛にして内地まで帰還することになり、舞風はここで野分と組むことになり、そのまま8月24日に生起した第二次ソロモン海戦に参加、続く10月に生起した南太平洋海戦にも参加。大破した翔鶴を護衛し、横須賀まで送り届けた。12月1日、ブカへの輸送作戦中に損傷した姉妹艦野分をラバウルまで曳航。その名の通り風のように北へ南へとあちこちを飛び回った。
12月31日、第一次ガダルカナル島撤退作戦に参加。ショートランドを出撃した舞風は僚艦とともに敵の魚雷艇を撃退し、道を開く。第二次作戦にも参加し、再びショートランドからガダルカナル島へ向かうが、道中で空襲に遭う。舞風は至近弾を受けて航行不能となり、長月に曳航されて引き返した。
1943年1月10日、ラエ輸送作戦中に「磯風」とともに米潜水艦「アルゴノート」を撃沈する戦果を挙げる。2月1日、ショートランド泊地を出港し、第一次ガダルカナル島撤退作戦に参加。
2月4日、ガダルカナル島撤退作戦時にショートランド方面で至近弾を受け大破航行不能となるが、「雪風」に護衛曳航されてなんとか帰還。内地に戻って7月まで横須賀で修理を受け、復帰後は「野分」とともにトラック島方面で護衛任務に従事した。10月10日、上海からラバウルへ陸戦部隊を輸送。11月25日、トラック・マーシャル諸島間の輸送作戦に参加。12月1日には第三戦隊を護衛してトラックを出発。佐世保まで送り届ける。
1944年1月3日、佐世保を出撃し、ロレンゴウ輸送作戦に従事。2月17日、内地へ引き揚げる在留邦人600名あまりを乗せた特設巡洋艦「赤城丸」の護衛として、姉の「野分」、練習巡洋艦「香取」とともにトラック島を出港し内地に帰還する予定だったが、早朝からトラック島大空襲(アメリカ側の作戦名「ヘイルストーン作戦」)に遭遇する(というか、脱出しようとしたが間に合わなかった)。米攻撃機により「赤城丸」は撃沈され、600名あまりの乗船者のうち生存者は50名足らずだった。
空襲で「舞風」「香取」は滅多撃ちにされ大破航行不能となったところを、さらに戦艦「ニュージャージー」「アイオワ」、重巡「ミネアポリス」「ニューオリンズ」、駆逐艦4隻からなる米艦隊による射撃目標とされる。唯一無傷だった「野分」は必死に逃げ延びたものの、航行不能状態で集中砲火を浴びた「舞風」「香取」はなすすべもなく撃沈され、両艦とも乗組員全員が戦死した。「舞風」「香取」は沈むその瞬間まで反撃の発砲をし続けたと言われている。
なお、このトラック島大空襲では他に艦娘では「阿賀野」「那珂」「文月」が沈んでいるほか、「秋津洲」「松風」が中破、「春風」「時雨」「明石」などが損傷を受けている。
余談だが、失われた「舞風」の補充として第四駆逐隊に編入されたのが、第二四駆逐隊が仲間を全て失い解隊となって行き場を失っていた「満潮」で、以降レイテ沖で全滅するまで第四駆逐隊の一員として戦い抜いていくことになる。
発動!渾作戦で、僚艦の野分が実装されてからは、まいのわというコンビ・カップリングのイラストも増えた。史実の経歴も相まって泣ける良作も多い。
陽炎型駆逐艦(陽炎型姉妹) |
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最終更新:2024/11/08(金) 12:00
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