芸術は爆発だとは、岡本太郎の信念である。
本人の著書では、「爆発」というのは「破壊」の意味ではないとしている。単に爆発しているような表現で激しく描くという意味でもない。
「近代の社会的役割(例:自分に何ができるか悩むこと)や、経済的な利益・進歩・システム(例:計算ずくの人生)などの合理的なものに囚われていない、全ての人間の内面にある生命力と情熱の爆発」というような意味で述べている。
岡本太郎の「芸術」は絵画や音楽・文筆などに限っておらず、原点に戻った全ての人間の生き方、あるいは「人間」そのものを指している。例えば、岐阜県の中津川の祭り(風流踊り)の復活について、参加者全員が手さぐりで労力・情熱をもって祭りを作り上げていったことを指し、太郎は「無償の爆発」という言葉を使っている[1]。
わたしの言う「爆発」はまったく違う。音もしない。物も飛び散らない。
全身全霊が宇宙に向かって無条件にパーッとひらくこと。それが「爆発」だ。人生は本来、瞬間瞬間に、無償、無目的に爆発しつづけるべきだ。いのちのほんとうの在り方だ。
(中略)
(いったい自分は何者か考えて行き詰まっていた)あるとき、パッと目の前がひらけた。
……そうだ。おれは神聖な火炎を大事にして、まもろうとしている。大事にするから、弱くなってしまうのだ。己自身と闘え。自分自身を突きとばせばいいのだ。炎はその瞬間に燃えあがり、あとは無。――爆発するんだ。
自分を認めさせようとか、この社会の中で自分がどういう役割を果たせるんだろうとか、いろいろ状況を考えたり、成果を計算したり、そういうことで自分を貫こうとしても、無意味な袋小路に入ってしまう。
なお、本人が出演したバラエティ番組やCMなどでも「芸術は爆発だ」と何度も発言しており、マクセルのCMではこの台詞とともに「歓喜の鐘」を叩いたり、ピアノの上面が割れて色が広がる[2]演出があったりする。
漫画『NARUTO』の暁のメンバーであるデイダラなど、後世の創作でのキャラクターにも影響を及ぼしている。ただ、物理的・火薬的な爆発の意味で使われてしまうこともある。
岡本太郎の芸術観・芸術作品をテーマとした特撮『TAROMAN』では、タローマンの必殺技として登場する。
宇宙にパワーを解放する技。ビームが出るわけではないが、対象の大きさに関係なく、相手は爆発する。爆発した後はカラフルな絵の具のように飛び散ってしまう。
両手で構えてから出すことが多いが、別に片手だけでも出せる。その瞬間瞬間に全存在を懸けて命を燃焼させる行為であるため気軽にバンバン撃てないらしい。実際繰り出されるのは1つの相手に最大で1回のみである。というか相手が爆発するから結果的に1回しか出せない
ただ、それを踏まえた上でも、でたらめでべらぼうな威力の高さに釣り合わないお手軽さであるため、一部の視聴者から「ゲイジュツハバクハツダ!」と表記されてしまったり、「芸爆」と略されるようにもなってしまった。
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最終更新:2024/04/23(火) 17:00
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