荒木伸吾 単語

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荒木伸吾あらき しんご)とは、日本アニメ史上に大きなを与えた伝説アニメーターひとりである。

貸本業からアニメ界へ

1939年昭和14年)、愛知県名古屋市生まれ。車両製造業に勤める傍ら、18歳で貸本誌「街」デビュー。さいとうたかを、水木しげるらと同じような貸本作家だった。

貸本業界で60本ほどの作品を執筆したが、「マガジン」「サンデー」といった少年週刊誌の創刊ラッシュによって生活が難しくなり、何とかして絵で食べていこうと1964年虫プロへ入社。当時「鉄腕アトム」のアニメ放映中で自転車操業同然だった虫プロは、ひとりでも絵の描ける人を欲していたこともあり、双方にとって渡りにの状況だったという。

「バビル二世」

1966年には「ジャガード」、1971年には「スタジオZ」を設立後、一時フリーに。

そして1973年運命の作品、横山光輝原作の「バビ二世」と出合って作画監督および初めてのキャラクターデザインを任される。「バビ二世」の要な見せ場は、超能力を使った戦闘シーンであったが、これをアニメで下手に作劇すると「棒状のが飛び交うだけの間抜けなシーン」になりかねない。それを考慮した荒木は、静と動を強調して使い分け、特に静(止め)のシーンにおいて、キャラクターの内面までにじみ出るような描き込みを行った。また登場人物の美形性を強めることで、彼らに何らかの特殊性(異や高な生まれなど)を持たせる演出方法も確立。これらの試みは成功し、「バビ二世」は視聴者から大いに好評を得た。

1974年には荒木プロダクションを設立して姫野美智を片腕とし、少女漫画的なタッチを画に加えると、荒木は美形キャラ作画マンとして地位を固め、「魔女っ子メグちゃん」のノン、「惑星ロボ ダンガードA」のトニーハーケン、「ベルサイユのバラ」のアンドレなど、敵役や脇役において主人公を食いかねないほど魅的なキャラクターを次々生み出した。

「聖闘士星矢」

1986年荒木は再びアニメ界に潮流を生み出す作品と出合う。車田正美原作の「聖闘士星矢」である。

動かさなければならない、というアニメ的な制約から、当初は原作と違うデザインとなったものの、荒木姫野キャラは大きな支持を受けて原作人気まで後押しし、アニメ版「聖闘士星矢」は3年という長期間にわたって放映され、2000年代にはさらに続編まで製作される伝説的作品となった。

荒木姫野デザイン闘士人気がいかほどだったかをうかがわせる出来事として、荒木プロからセル画が大量に盗まれるという事件すら発生している。また後年「鎧伝サムライトルーパー」「天空戦記シュラト」「新機動戦記ガンダムW」「超者ライディーン」「勇者指令ダグオン」「機動戦士ガンダム00」など美形少年主人公4~5人が活躍する、というタイプアニメは、この「聖闘士星矢人気に端を発している。これは日本アニメ史の重要な分岐点のひとつである。のちにリバーヒルソフトから1989年に発売された「BURAI」、1991年に発売された「KIGEN」というパソコンゲームで、荒木姫野デザインが要請されたのは、二人のキャラ人気あやかってのこと。

以降、車田正美作品=荒木姫野キャラというイメージが定着したのか、OVA版「魔の小次郎」「リングにかけろ」でもキャラクターデザインを担当。同様に「バビ二世」での横山光輝つながりからか、リメイクOVAバビ二世」、「横山光輝三国志」でもキャラデザインをつとめた。

惜しまれつつ2011年12月1日に急逝。

主な作品(キャラデザのみ)

他、多数。キャラデザだけでこのメンツはすごすぎる・・・

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