荘口彰久とは、元ニッポン放送のアナウンサー/ラジオパーソナリティである。
現在の所属事務所はアミューズ。
1992年にニッポン放送へ入社。
当時外回りレポーターとして「伊集院光のOh!デカナイト」内で局アナとしては考えられないような小間使いとしての仕打ちを受けつつ、アナウンサーとしての実績と人気を積み重ねていく。
通称「眼鏡面」、眼鏡からコンタクトに替えてからは「凹み面」と呼ばれていた。(命名:伊集院光)
Oh!デカナイト終了後、「オールナイトニッポン」のパーソナリティとしても人気を博す。
放送を担当した頃は「黒歴史」とも言えるオールナイトニッポンの迷走期に当たり、大幅な放送スタイル刷新が図られた中で、唯一「昔ながらのフリートーク/音楽中心」の放送スタイルを堅持していたため、変革を快く思っていない旧来のオールナイトニッポンリスナーから高い支持を得ていた。
この背景には、当時既にニッポン放送から離れていた伊集院光や電気グルーヴなどの影響がレポーターなどの経験から色濃く反映されていた側面もある。実際、「ラジオライフ」(三才ブックス)でのインタビューにおいて、最も影響を受けたラジオパーソナリティに伊集院光の名を挙げている。
2004年5月にニッポン放送を退社、退社当時の肩書きは「制作局アナウンス部主任」。
退社前後に、かつての担当番組パーソナリティであった伊集院光にコンタクトを取り退社の事実を伝え、TBSラジオでのレギュラー獲得を模索したが、伊集院光からの「TBSに来て何年にもなるけど、未だに肩身狭いよ・・・」の言葉を聞いて計画が頓挫、その後の連絡を閉ざしたという。
2004年10月に所属先がアミューズに決定、それまでは「フリーターアナウンサー」を自称していた。
アミューズ所属決定に関しては「福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル・魂のラジオ」で
公表した。同番組では所属が決定する前からも何度か出演をしている。
2006年~2012年、TOKYO FMで「COUNTDOWN JAPAN」のパーソナリティを担当した。なお、当人は喋りのスタイルとして「喋りが途切れ途切れになるからFMは自分に合わない」とも語っていた。
掲示板
6 ◆weeP1240.U
2012/05/01(火) 16:15:49 ID: bh+t/zCuyb
松村邦洋のオールナイトニッポンを聞いてたが
「荘口取調室」というコーナーがあって
ゲテモノ料理食べて特徴的な咳き込み方をしてたことを覚えてる。
フリーになっていたのか!
7 ななしのよっしん
2013/05/24(金) 01:24:18 ID: 4QpPTQyJtc
タモリさんには、荘口さんが風俗行くときの偽名で
呼ばれていたね(ラジオ本番中毎回w
あとパトレイバー劇場版3作目の特番オールナイトは
素晴らしいファンぷりとフラットな視点の進行だったのを覚えてる。
8 ななしのよっしん
2014/07/22(火) 22:42:04 ID: rKgBGAsJth
昔冨永みーなさんとやってた番組で、当時のグループこまどり代表の西村サエ子先生(笠原弘子や坂本真綾のマネージャー兼任だった)のバンダナについて「バンダナの中には仕事終わりの子供たちに食べさせる為の点心セットが入ってる」とか茶化して、西村先生の教え子でもあるみーなさんに「あんたこの業界にいられなくなるよ」と言われてたのを思い出した。
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最終更新:2024/04/25(木) 17:00
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