菊地和正(きくち かずまさ、1982年6月27日-)とは、群馬県出身の元プロ野球選手(投手)である。
| OB | |
|---|---|
| 菊地和正 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | 日本 |
| 出身地 | 群馬県高崎市 |
| 生年月日 | 1982年6月27日 |
| 身長 体重 |
181cm 74kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 2004年ドラフト6巡目 |
| 引退 | 2015年 |
| 経歴 | |
選手歴
コーチ歴
|
|
| プロ野球選手テンプレート | |
2004年ドラフト6巡目指名で北海道日本ハムファイターズに入団した。
2008年まではクイックで球速が落ちてしまうことと決め球に欠けることで二軍暮らしが続いていた。
2009年、制球力の増したフォークを武器に一軍定着。宮西尚生と共にセットアッパーとして起用され防御率2点台の好投を続けた。終盤に疲れから調子を落としたが、チームトップの58試合に登板し、5勝2敗21ホールド、防御率3.67の成績を残して優勝に経験。与四球11と制球力の良さも見せた。
2010年は右手薬指の骨折と不調で鎌ヶ谷へ隠遁してしまう。夏場にようやく一軍に復帰。17試合に登板し1勝1敗1ホールド、防御率1.45の成績を残した。
2011年は一軍登板無しに終わり、オフに戦力外通告。林昌範と共に、横浜DeNAベイスターズに拾われ移籍した。
2012年は30試合連続無失点を記録するなどリリーフとして年間を通して安定した投球を展開する。山口俊が危険球退場した際には緊急登板し、プロ初セーブもマークした。終盤疲れを見せたが最終的にチーム最多の63試合に登板し防御率2.37、3勝2敗14ホールド1セーブとチームを支えた。
2013年は安定感を欠いて一軍と二軍の往復になり、24試合で0勝1敗4ホールド、防御率4.95と成績を落とした。
2015年2月に古巣・北海道日本ハムファイターズの入団テストを受けたが不合格だった。
2015年2月20日に群馬ダイヤモンドペガサスに選手兼任コーチとして入団した。防御率2.88の成績を残し、NPB復帰を目指してトライアウトを受けたが結果を出せず、現役を引退。
母校の上武大学でコーチを務めたのち、2019年から養豚家に転向。叔父の経営する養豚場で働いている。
(現在はアカウント削除)ではよくダルビッシュ有と川崎宗則のじゃれ合いに混ざり、ダルビッシュからは「菊原さん」だの「菊本さん」だの弄られていた。| 通算:8年 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 177 | 0 | 0 | 0 | 9 | 7 | 1 | 40 | .563 | 162.2 | 52 | 114 | 69 | 64 | 3.54 |
| 初登板 | 2005年9月25日 | 対オリックス・バファローズ20回戦 | 大阪ドーム |
|---|---|---|---|
| 初奪三振 | 対オリックス・バファローズ20回戦 的山哲也から | ||
| 初ホールド | 2009年4月5日 | 対東北楽天ゴールデンイーグルス3回戦 | 札幌ドーム |
| 初勝利 | 2009年4月15日 | 対オリックス・バファローズ2回戦 | |
| 初セーブ | 2012年8月2日 | 対広島東洋カープ15回戦 | 横浜スタジアム |
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最終更新:2025/12/08(月) 03:00
最終更新:2025/12/08(月) 02:00
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