葛城とは、ブラウザゲーム「艦隊これくしょん」に登場する、帝國海軍の連装機銃正規空母「葛城」をモデルにした艦娘である。デザインは他の雲龍型空母と同じくーろくろ。声優は茅野愛衣。
2015年4月28日から開始された期間限定イベント「発令!第十一号作戦」のE-2突破報酬として先行実装された艦娘。イベントが終了したあとは長らく入手手段がなかったが、2016年8月に開催された「迎撃!第二次マレー沖海戦」の最終海域にてドロップした。実に約1年4か月ぶりの登場である。しかし、連合艦隊マップなうえに最終海域という高難度な海域という条件に加え、ボスドロップではなく道中ドロップだったため無慈悲なガシャンもあり、掘るのには相応の労力と資材と忍耐力が必要だった。16年夏イベント後は再び入手手段がなくなっており、本実装を熱望されている。
艦種は雲龍型正規空母で、姉妹である雲龍や天城と似通った服装をしている。黒色の長髪にポニーテールの髪形をし、瑞鶴に似た勝気な性格をしている。
通常の絵では雲龍型共通の緑色の着物を着用しているが、それを豪快に脱ぎ捨てている。振袖や帯が外され、胸には胴当てのような装甲が露わになっている。そして素足に履き物と、男らしい一面を窺わせる。中破すると履き物が何処かへ行ってしまい、完全に裸足となる。足の推進器や主機無しで一体どうやって海上を航行するのだろうか。
史実において一戦も交える事無く終戦を迎えた事を無念に思っているらしく、戦果を挙げようと良い艦載機を要求したり、好戦的な一面を覗かせたり、出撃を喜んだりする。が、実際の戦闘になると大慌てするのは経験不足ゆえか。可愛いからいいけど。実際、葛城の初期装備に艦載機は無く、機銃しか搭載していない。さらに動かす重油すら無い時期を経験しているためか、補給をすると「貴重な補給をありがとう」と感謝してくれる。手に入れた提督は是非彼女を活躍させてあげよう。
おさわりすると空母である事を強調したり、良い艦載機を要求してくる。時にはセクハラを受けた事に対し「馬鹿ぁ!」と怒鳴ってくる場合も。
提督に対する感情は差し詰め幼馴染のよう。セクハラや入渠中の覗きに関しては辛口だが、戦果確認をすると一緒に確認しようとしてくる。また提督の事を「あなた」と呼ぶ(テキストでも文字は提督だが、台詞はあなたと言っている)。ゆえに正妻力はかなり高い。
時報ボイスなどではまさに王道ツンデレキャラのような発言をする。同時に時報で、瑞鶴を憧れの先輩として敬っている事が判明する。瑞鶴とお揃いの迷彩と発言していたため、レイテへ出撃する直前の瑞鶴を指していると思われる。しかし竣工した葛城と瑞鶴が共に呉にいた時間は僅か5日ほどである・・・(葛城の竣工直後に瑞鶴はレイテへ出撃した)。
2015年9月7日のアップデートで、秋限定ボイスが実装された。秋の季節は物悲しくなるようだ。死地へ赴く瑞鶴の背中を見送ったのは10月、終戦を迎えて除籍されたのも10月なので、それに起因しているのかもしれない。
2016年に入ると新年、節分、バレンタインデー及びホワイトデーの限定ボイスが追加された。バレンタインデーでは恥じらいながらも提督にチョコレートを渡すという幼馴染っぷりを見せた。しかし一ヵ月後のホワイトデーでは提督からお返しが貰えなかったらしい・・・。
雲龍型の例に漏れず、改装には設計図を要求される。改装すると自前の艦載機を持ってくるようになり、服装も変わる。錫杖と巻物を使っていた姉達とは異なり、改装前はボウガンのような艤装を備えていたが、改装後は他の正規空母と同じような飛行甲板と弓、そして鏃が式神と思しき紙製の矢を用いるようになる。今のところ、このような装備は彼女だけである。
なお、史実的な事情により、ある部分が姉たちと比べて小さく、そのことをコンプレックスに思っているようで指摘されると憤激する。
姉の雲龍・天城は実装してすぐにケッコンカッコカリをする提督が現れたことで話題になったが、葛城に至っては約2日でケッコンカッコカリに辿り着いた猛者がいるらしい。
イベント開始(葛城実装)が4月28日21時ごろ、ケッコンカッコカリ動画の投稿が30日21時ごろ(動画内の時間は18時50分ごろ)であった。
交際期間は最長でも約45時間ということになる。どこの某女性芸人だよ…
ちなみに葛城に限らず最近の実装艦娘の殆どに言えることだが、各台詞がとても長い。
砲撃戦時などでは台詞が終わる前に次の艦娘の台詞が始まったり、戦闘終了しているにも関わらず喋りっぱなしということもザラ。でもそこがいい
イベント終了後に、デザインしたくーろくろが、ツイートで葛城のデザインについて興味深い話を伝えている。詳細は直接見て頂きたいが、かいつまんで挙げると、
葛城は、1942年9月に制定した改⑤計画によって建造された雲龍型正規空母3番艦である。1942年12月8日(奇しくも開戦1年の節目)に海軍呉工廠で起工。第5003号艦という仮称が付けられた。1944年1月19日に進水し、10月15日に竣工した。竣工後、佐世保鎮守府に編入された。
雲龍型は全部で15隻建造される予定だったが、戦況の悪化により中止。葛城の妹になるはずだった「笠置」「生駒」「阿蘇」は建造半ばにして工事が中止され、葛城は帝國海軍が完成させた最後の空母となった。
諸元は排水量19880トン、全長227.4メートル、搭載機51機、最大速力32ノット、重油3670トン、乗員1500名。
建造にはブロック工法が活用され、約1年10ヶ月で竣工に漕ぎつけている。姉の雲龍と天城が建造に約2年を要しているところを見るに、この速さは驚異的である。しかし本来搭載する予定だった機関の生産が滞ったため、代用として葛城には陽炎型駆逐艦の機関が2基搭載された。胸が小さいのはこのためだった・・・?この影響で計画出力の15万2000馬力から10万4000馬力へと低下してしまった。速力も34ノットから32ノットに低下。
また姉と比べて対空兵装が強化されており、噴進砲を装備。そして飛行甲板には緑と黒の迷彩が、側面の船体には商船と誤認させるための青系の迷彩が施されていた。
防炎対策として木製の調度品は全て陸揚げされ、兵員居住区の机や椅子は一切無かった。そのため、むき出しの鉄板床に茣蓙を敷いて食事をしたという。
葛城が竣工した1944年10月はマリアナ沖海戦が終結、レイテ沖海戦も大敗北に終わり、連合艦隊は壊滅状態に陥っていた。11月15日、姉妹の雲龍と天城で第一航空戦隊を編成したが一航戦に往時の栄光は無く、ただの寄せ集め部隊でしかなかった。しかも葛城竣工の2ヵ月後に長女の雲龍がフィリピンへの輸送作戦中に撃沈されてしまっている。
載せる艦載機が無く、搭乗員の養成も出来ず、機動部隊の再建は最早絶望的だった。そのため葛城が空母として戦闘する事は一度も無かった。深刻な燃料不足のため、1945年1月に鹿児島沖で公試を行った後は本土決戦用の戦力として呉に係留される日々を送った。
1945年3月19日、呉軍港は米軍の艦載機により大規模な空襲に見舞われる。葛城は装備されていた対空噴進砲で米軍機を迎撃。噴進砲が起こす猛烈な炎と煙は敵パイロットに恐怖を与え、判断を鈍らせた。そのためか葛城は大型艦にも関わらず、攻撃を仕掛けてきた敵機は10機程度と少数だった。しかしこの空襲で葛城は一発の爆弾を受けて損傷。九四式高射装置が破壊され、以降は高角砲分隊士の目視で照準を合わせなければならなくなった。この空襲で乗員1名が死亡、3名が負傷した。
空襲をやり過ごした葛城は天城とともに三ツ子島に係留。船体に偽装用の網をかけ、飛行甲板には小屋や樹木を設置して島に見せかける工作がなされた。しかしあまり効果が無かったらしい。
三ツ子島に係留された時、艦載艇を何処かに取り上げられてしまったため、代わりに民間船の千鳥丸を徴用。艦載艇よりも大きく、一度に多くの人数が運べたので便利だったという。
4月6日、沖縄救援のため出撃準備をしていた戦艦大和と軽巡矢矧から若手の候補生が退艦し、葛城へ移乗。「日本の未来を担う若者を水上特攻で潰す訳にはいかない」という上層部の判断によるものだった。
4月29日は天長節という事で酒保が開けられ、昼間から宴会が始まった。乗員たちは束の間の休息を得た。
5月頃、准士官以上が集められ、宮崎艦長から「本艦も近く出撃するかもしれない」と告げられた。また出撃前に家族と面会の許可があった。
7月24日と28日に再度米軍の爆撃が呉軍港を襲った。葛城は噴進砲で激しく抵抗するも24日に1発、28日に2発の爆弾が直撃し、中破するダメージを負う。この戦闘で泉副長以下13名が戦死し、12名が負傷した。飛行甲板がめくり上がり、空母としての機能を喪失するも航行可能のまま終戦を迎えた。10月20日、艦籍から除籍。
航行可能の状態で終戦を迎えた葛城は、間もなく復員船に指名された。復員船に指定された艦の中では葛城が最大規模だったという。復員船になるため呉工廠で改装開始。飛行甲板への通風孔の設置や長屋風トイレの増設、航空燃料タンクを真水タンクに流用、格納庫に仕切りを作って居住区にする等の改装が行われた。対空砲は全て切断され、船体には「KATSURAGI」の文字と日の丸が入れられた。
葛城は空母の広い格納庫と快速を活かしてラバウルやオーストラリア方面の復員を担当。約1年間復員任務に従事したが、その評判は実に悪かった。その様子は地獄船葛城と揶揄されるほどだったという。
まず艦内は非常に暑く、南方の気候も手伝って機関室は55℃に達した。増設された通風孔もあまり役に立っていなかった。この高温下で激務だった事が、地獄船と呼ばれる要因の一つとなっている。
また収容人数が多いため食糧不足になる事があり、非常食としてらっきょの漬物がタルに入れられて保管されていた。葛城の艦内は広いため、動き回って腹を空かせた者に満足な食事を与えられなかった事も悪評を呼んでいる。一方で真水タンクは風呂に使われ、毎日の入浴が可能だった。ただ元が航空燃料用のタンクだったため臭いはどうにもならなかった。
ボイラーの予備水が不足し、洋上で立ち往生する一幕もあったが、計8回の航海で49390名もの邦人と将兵を外地から帰還させた。葛城艦内では娯楽が無かったが、復員した陸軍の兵が麻雀牌を持っていたため、飛行甲板に天幕を張って麻雀を始めた事があった。
1946年7月15日、レンバン島での復員を行った時に歌手の藤山一郎が乗り込んだ。24日の夜、彼は二度と唄えなくなるであろう軍歌を1時間強に渡って唄い、その歌声は艦内放送で流されたという。
この復員船としての任務が、葛城にとって最初で最後の任務となった。葛城の奮闘により多くの邦人が再び祖国の地を踏む事が出来たのであった。
任務を終えた葛城は1946年12月21日、大阪の日立造船桜島工場にて解体が始められた。1947年11月30日、解体完了。帝國海軍が最後に建造した空母は静かにこの世を去った。この櫻島工場では鳳翔の解体も行われており、帝國海軍最初の空母と最後の空母が同じ場所で解体されるという奇妙な最期であった。
ちなみにこの桜島工場は、1997年に閉鎖されたが、現在その跡地がUSJになっている。USJに遊びに行くことがあったら、その地で最期を迎えた鳳翔と葛城を偲んでみるのもいいかもしれない。
2015年春イベント『発令!第十一号作戦』新規追加艦娘 | ||
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最終更新:2024/10/09(水) 12:00
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