葛西紀明 単語

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葛西紀明とは、日本スキージャンプ選手、チーム監督である。

概要

FISスキージャンプワールドカップには16歳で初出場、46歳でも出場しトップクラスを維持するなど、スキージャンパーとしては異例の寿命の長さを誇る。

しかも、スキーまっすぐにそろえたクラシカスタイルからV字スタイル、さらには幾度と行われたレギレーション変更を経ながらも、40代でのワールドカップ優勝オリンピックでのメダル獲得という驚異的な記録を打ち立てた。
日本以上にスキージャンプの盛んなヨーロッパではのような存在、レジェンドとしてたたえられ、高い人気を得ている。

日本においても、幾度も大ジャンプ記録し、日本を代表するラーヒルである大倉山シャンツェでは、何度もバッケンレコード(最長不倒距離)を更新している。
特に1994年には、今の基準でいうヒルサイズ(当時はK点≒現在ヒルサイズだった)が120mだった当時の大倉山で、強向かい風を得たことで極めて高いジャンプを披露し、途中で危険を感じて緊急着地しながらも、135mという最長不倒を記録した。
これがきっかけになったのか、1996年大倉山修されている。 

また、2009年に、すでに所属していた土屋ホームチーム監督兼任となってからは、伊藤有希、小林陵侑といった有選手の導にも携わっている。
伊藤土屋ホームに所属してからは彼のジャンプ技術を取り入れ、W杯でもトップクラスジャンパーとして名を連ねるようになった。 
そして小林陵侑は、2018年平昌五輪の代表になった後、2018-2019年W杯で総合優勝を果たし、日本人初の快挙を達成した。
まさに、名選手にして名監督と言える存在となった。

歴史

開花、そして屈辱

1972年北海道上川郡下川町出身。10歳の時にスキージャンプを始める。
すぐに才が開し、ジュニアジャンパーとして注されていった。

1988年11月、わずか16歳高校1年生の時にFISワールドカップに参戦。1989年には世界選手権の代表に選ばれた。

1991年高校卒業後、地崎工業(現:岩田地崎建設)に入社、当時のトップジャンパーだった秋元正博とともに社会人として本格的にスキージャンプに取り組んでいった。
その過程で、当時新しいトレンドとなっていたV字ジャンプに転向するも、中々成績が伸びなかった。
1992年には、アルベールビルオリンピックスキージャンプの代表として選ばれたが、入賞にはほど遠かった。
しかしその後ワールドカップではV字ジャンプを物にし、ラハティでは初の表台、そして世界フライング選手権で初勝利を手にした。

翌年にはワールドカップで3勝を挙げた。当時はスキーよりも前に体を持ち出すほどの前傾姿勢で飛んでおり、まるで謀に飛び込むような様から「カミカゼ」のニックネームをもらった。

1994年リレハンメルオリンピックで引き続き代表に選ばれ、ラーヒル団体にも参戦した。葛西は2回のジャンプを成功させて日本トップに立っていたが、最後のジャンパーだった原田がまさかの失速、銀メダルに終わってしまった。

しかしその後4年間は転倒による故障に泣き、さらには火事による死亡の難病などで精的なプレッシャーがのしかかるようになり、長野オリンピックの代表に選ばれるもノーマルヒルで7位を獲得するのがせいぜいで、団体の代表に選ばれなかった。

日本ジャンプ陣 冬の時代

翌年には悔しさをバネに勝ちを挙げ続けるものの、ルール正されて身長に対するスキーの長さが制限され、葛西を含めた日本人ジャンパーは低迷し始めることとなった。
葛西自身も2004年を最後にしばらくワールドカップ勝利から見放されることとなった。 

現在でも企業の実業団から脱していないスキージャンプ選手であるが、葛西も地崎工業(現:岩田地崎建設)→マイカル(現:イオン)→土屋ホームと転々とした。

しかし、日本の低迷は葛西のそれ以上のものがあり、葛西に続く若手がなかなか育たないの時代が続くこととなった。その中で葛西は、同郷の先輩である岡部孝信とともに、一般では選手生命としては限界に当たる30代半ばをえ、長らくスキージャンプの第一線で活動することとなった。

2009年には、所属していた土屋ホームスキー部の監督を兼任することとなった。日本での兼任はしい。
しかし、これが葛西の精面を大きく変えることとなった。 

復活のきっかけ

それまでは孤独のままトレーニングを行い、ライバルを倒すべき敵だと認識して、オリンピックメダルを獲れる状況でも他の日本人選手に対しても嫉妬をするほどであった。

チーム監督を兼務するようになって選手たちの導に携わるようになって、相対的に自分自身を客観的に見つめる視点ができあがり、それとともにチーム所属選手、あるいは日本代表チームメイト応援する心へと変わっていったのである。

また、自らの体力の衰えを感じてからは、とことん練習を繰り返すだけのトレーニングをやめ、バランス感覚の向上や技術面での進歩をメインとしたトレーニングに変えた。さらには洞施設を借りて面での最適なフォームを追求するほどにまでなった。
そこで生まれたのが、両腕を斜めに広げつつも、手のひらを開いて下に向ける、現在見られるエゾモモンガフォームである。  

復活、そして栄冠

2013/2014年シーズンになると、開幕戦を除くすべてのワールドカップのラウンドでトップ10に入るほどの好調をとりもどしていた。そして2014年1月11日バートミッテルドルフでのフライングヒルで、41歳7ヶでの史上最年長記録更新しての優勝を飾った。彼自身の優勝も10年ぶりであった。
翌日に行われたラウンドでも一200mをえるジャンプを見せて3位表台、さらに1月25日に地元日本、札幌大倉山で行われたラウンドでも3位表台を手にした。 

同年、ソチオリンピックの代表に選ばれ、連続して7度の代表となった。冬季オリンピックにおいては最多出場回数となり、日本人選手としては両方に出場した橋本子に並ぶ。また、冬季オリンピックでの7大会連続出場は世界最多となる。
そして男子ラーヒルでは、個人競技として初、団体を含めると20年ぶりとなる銀メダルを獲得。
日本人選手としては長野オリンピックでの木和喜(男子ノーマルヒル)、団体以来となる16年ぶりのメダルとなった。
そしてオリンピックでのスキージャンプにおけるメダリストとしてはぶっちぎりの最年長記録を達成した。 

オリンピックなどの大舞台においては亡き写真を手にしているほど家族のために戦うことを決めていたが、それが大きな重圧となって結果につながらなかった。しかしソチでは写真を持たずに到着し、自分のため、若きチームメイトのために戦うことへと切り替えたことが快挙へとつながったのかもしれない。

前人未踏の領域へ

2014/2015年シーズンに入っても衰えはなく、第2戦ルカフィンランド)で3位表台に立ち、さらに同じ場所で行われた第3戦ではシモン・アマンと同点優勝、自らの最年長優勝記録を42歳5かに伸ばした。また、同シーズンで、6度の表台を手にしている。 

そして2月に行われた、フライングヒルのひとつ、ビケルスン(ノルウェー)で、14日のラウンドで最年長表記録更新、さらに翌日には240.5mを跳び、最長距離日本記録(当時)を達成した。

2016年にはワールドカップ参戦500戦を達成、翌年にはジャンプ週間とも言われるフォーヒルズ・トーナメント参戦100戦を達成した。16歳からの参戦で達成した記録であるため、これを破るのは極めて困難と思われる。

2016/2017年シーズンでは数年来の絶不調に陥り、トップ10どころか予選落ちもしくなかったが、2017年3月19日のビケルスンでは241.5mの自己最長距離記録更新した。
さらに翌週、3月26日のプラニツァでは最年長表記録(44歳9ヶ)を更新した。

世代交代へ

2018/2019年シーズンになると、土屋ホームスキー部でサポートしている小林陵侑シーズン13勝を挙げて日本人初のW杯総合優勝を獲得するほか、佐藤幸椰、小林志郎中村直幹、佐藤一といった若手が台頭するようになった。
一方で葛西は、トップ10は1回だけ、予選落ちも喫することも立つようになり、実の衰えが隠せなくなっていた。

2019/2020年シーズンになると、1月の時点でW杯での予選落ち、2本進出が途絶え、コンチネンタルカップへ降格し、調整段階に入った。

スキージャンプにおける伝説の存在

上記の通り、最年長優勝記録を大幅に更新した41歳7ヶ優勝は異例であるものの、2位に入ったペテル・プレヴツ(22歳)、3位に入ったグレゴア・シュリーレンツァウアー(24歳)ともに、葛西ワールドカップに参戦したときにはまだ生まれていなかった。

また、他のワールドカップに参戦するジャンパーの大半が、生まれたときにはすでに葛西世界で戦っていたのである。
むしろ同世代、あるいはそれよりも下の世代のライバルが、他のコーチをしているなどしくもないのである。

一般的にスキージャンパー限界は30代前半と言われ、35歳までにはほとんどの選手が引退をしている。この年代でもベテランと言われ、2017年現在でも30歳をえて世界で活躍しているのはシモン・アマン伊東大貴などほんのわずかである。

その中で40歳をえても世界で十分戦える結果を残し、なおかつ優勝をしてしまったのだから、伝説の存在であることは過言ではなく、優勝の際には海外コーチが歓喜し、多くのトップジャンパーが迎え、握手をして称えたのである。

オリンピックメダルを獲得して以降は、30代のベテランになってもあきらめずにチャレンジするスキージャンプ選手が増え、さらには彼独自のエゾモモンガフォームを模倣する選手も現れている。

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