「董狐」(とう・こ)とは、中国の春秋時代の晋の太史であり、自ら手を下したわけではない趙盾を晋霊公(姫夷皋)弑逆の犯人として史書に記録した文官である。
晋の国は、春秋五覇に数えられる「晋文公(姫重耳)」が在位9年で、後を継いだ「晋襄公(姫驩)」が在位7年亡くなったしまい、晋襄公(姫驩)の子の「姫夷皋」はまだ幼かった為、秦の国にいた公子「姫雍」を呼び戻す事になり、「士会」が宰相「趙盾」の命をうけて秦に迎えに行った。
しかし、「狐射姑」が陳の国にいた公子「姫楽」を晋に迎えようとした為、趙盾は刺客をはなって姫楽を殺したものの、状況の変化を察知して姫夷皋を晋君に立てて「晋霊公」とした。
※晋に戻る途中だった姫雍は趙盾の攻撃をうけて秦に逆戻りし、怒った士会もまた秦へと亡命した。
即位当初は趙盾の言う事を良く聞いていた晋霊公(姫夷皋)だったが、成人して以降は趙盾に逆らうようになり、対立が深まった紀元前607年に、趙盾に刺客を放った。
刺客の手を逃れた趙盾は、晋を脱出して亡命しようと国境を目指したが、怒った従兄弟の「趙穿」が晋霊公(姫夷皋)を弑逆してしまう事態が発生した。
まだ晋の国境を越える前だった趙盾は、晋霊公(姫夷皋)が趙穿に弑逆された報を聞いてあわてて戻り、「晋襄公(姫驩)」の弟の「姫黒臀」を立てて「晋成公」とした。
趙盾、その君を弑す
と記録した。
自分が弑したのではない。弑したのは趙穿だ。
貴方は君が弑された時、まだ国境を出ることできずにいた。
正卿(宰相)の地位にありながら、復帰しても国乱を鎮める事が出来ず、趙穿を誅する義務を怠った。
君を弑したのは、貴方でなくて誰だと言うのでしょう。貴方が弑したも同然だ。
と、引き返した為に国を越える事が出来ず、趙穿が弑した際に正卿(宰相)の地位にあったのは趙盾で、その趙盾が処罰すべき趙穿を罰しなかった事を引き合いに出して自身の考えを曲げなかった。
以降、趙盾はこの件について一切反論することはなく、晋の歴史において晋霊公(姫夷皋)を弑逆したのは趙盾という事になった。
この話を聞いた孔子は、
董狐はいにしえの良吏である。
法を曲げないで書き、盾の罪を隠さなかった。
趙盾は良大夫で、法のために自ら悪名を受けたが、国境を出ておれば汚名を免れたただろうに。
惜しいことだ。
と評した。
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最終更新:2024/04/20(土) 14:00
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