董襲とは、三国志に登場する人物である。
字は元代。会稽郡余姚(浙江省寧波市)の出身。身長は八尺(約184cm)あり、武勇に優れていた。孫策が会稽に入郡した時に拝謁し、孫策は董襲を立派に思いすぐに起用した。以後、山越の賊や劉勲や黄祖の討伐で活躍した。
孫策の死後、孫権が跡を継いだが母の呉夫人は若年の孫権を心配して、張昭や董襲らを召して相談を受けた。董襲は「江東の地勢は堅固で、討逆将軍(孫策)が民衆に恩徳を施し、討虜将軍(孫権)がそれを受け継ぎ、張昭殿が万事を統べ、董襲はじめ我等が爪牙となっております。地の利、人の和は備わっており、何の憂いがありましょう」と答え、皆はその言葉を頼もしいと思った。
その後鄱陽の賊を討伐したが、董襲の向かう所、賊はすぐに打ち破られ逃げ散ったので行く所敵は無かったという。この功で偏将軍に昇進した。208年(建安13年)の黄祖討伐の時、黄祖の必死の防戦でなかなか攻めきれなかったが、董襲は凌統と先陣を受けて突撃し、黄祖の陣を塞いでいた二艘の蒙衝(大型船)をつないでいた縄を董襲が断ち切り、黄祖を討ち取る事が出来た。孫権は翌日行われた酒宴で董襲に酌をしながら「今日の宴は、縄を断ち切ったおかげだ」とその功を褒め称えた。
曹操が濡須を攻めた時、孫権は董襲に五艘の楼船を監督させて濡須口に駐留させたが、夜中突然暴風が吹いて楼船は横転した。左右の者がすぐ逃げるように言ったが董襲は「将軍としての任務を受けているからここにいるのだ。撤退すると言う者は斬る」と言ったので誰も意見する者はいなかった。しかし楼船は転覆し、董襲は殉職した。孫権はその葬儀に参列し、遺族らを手厚く保護した。
孫策の前に、彼に歯向かった厳白虎の首を持参して仕官を申し出る。その際、王朗に遠ざけられていた旧友の虞翻を孫策に推挙する。
その後、孫権を守って周泰が負傷した所を、名医の華佗を推挙して看病させた。
ディフェンスに定評のある人として評価が高い。防護戦法の使い勝手は異常。
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2 ななしのよっしん
2012/05/17(木) 20:39:03 ID: RLf11WknSs
張昭と一緒に呉夫人から相談受けるとは、その頃すでにかなり出世してたのかな
地元の名士ではなかったとしたら、武勲だけで駆け上がったことになり、凄い名将だったのか
3 ななしのよっしん
2013/07/14(日) 21:14:33 ID: /ogGj3EJAz
しかし>>2のように重用されていたのかと思いきや
黄祖を討てたのはこの人のおかげ!みたいに書かれているのに
この功で出世もしていないし
候に封じられてなければ子孫についても全く記述がない謎の多い人
一緒に纏められている11人の面子を見ても将軍として結構な立場
にあったはずなんだが・・・
記述がすっぽりどっかで抜け落ちているような
妙な違和感があるんだよね
4 ななしのよっしん
2015/06/14(日) 07:07:30 ID: O0PXm/jp7N
真っ先に逃げたセウォル号や東方之星の船長らに董襲の爪の垢を煎じて飲ませたい。
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最終更新:2024/04/20(土) 06:00
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