「蒋幹」(ショウ・カン ? ~ ?)とは、後漢末期の曹操配下の政治家であり、三国志演義では周瑜に言い様に操られるピエロな役回りにされている人物である。
字(あざな)は「子翼」。
三国志演義では、赤壁の戦い時に、周瑜に言いように操られてある意味敗戦の戦犯ともいえる散々な役割を与えられているが、正史では蒋幹に対する記述そのものが少なく、赤壁の戦いに参加したことも記されていない。
優れた立ち振る舞いと弁舌能力を評価されて曹操から招聘されて仕官し、曹操から周瑜を孫権のもとから引き抜くように命じられて揚州の周瑜のもとに訪れたが、スカウト目的であることをすでに周瑜に察知されていた為、周瑜から厚くもてなされるのと同時に孫権への忠誠を聞かされた蒋幹は、何も言わずに去った。
その後、歴史上に蒋幹は登場しない。
水軍が不得手な軍を率いる曹操より、周瑜の説得と孫権軍の内部を調べる間諜の役目を得て呉陣内に侵入した。
周瑜の前に現れた蒋幹は、曹操についている事は伝えなかったが、すでに周瑜には看破されており、旧交を温めようとする周瑜の接待攻撃をうけて、同じ寝床で寝る羽目になった。
夜、目が覚めた蒋幹は、周瑜の机の上にあった手紙を盗み見て、そのまま手紙をもって曹操のもとに戻り、劉表軍から曹操の配下となり、水戦が不得手な曹操軍にかわって水軍をとりまとめていた蔡瑁と張允が内通している事を、証拠の手紙と共に曹操に報告した。
怒った曹操により、蔡瑁と張允が処刑されたが、実はこの手紙は蔡瑁と張允の水軍の陣立ての巧みさを見て取った周瑜が、二人を除く為に用意した偽手紙で、蔡瑁と張允にとっては完全に濡れ衣だった。
水軍の将を失った曹操軍は、呉との戦いに備えて水上に逗留したことで船酔いや伝染病に苦しめられた為、再度、周瑜のもとを訪れた蒋幹が、偽手紙を盗んだことをとがめられて周瑜のもとを逃げだした際に、偶然(棒)めぐり合った龐統(ホウ統)を曹操のもとに連れ帰った。
龐統(ホウ統)は、曹操に対して船同士を鎖でつなぐ連環の計を進言し、水上の要塞化することで兵士たちの病気がおさえられるようになったと喜んだ曹操だったが、実はこれも周瑜の策だった。
火計で曹操軍を船ごと焼き払おうと考えていた周瑜だったが、さらに効果的にする方法に苦慮していた際に龐統(ホウ統)と出会い、連環の計を曹操にすすめるためにわざと蒋幹を逃げ出すように仕向けたのだった。
結果、鎖でつながれた曹操軍の船は、赤壁の戦いにおいて呉軍の火計により、無残にも焼き払われ、蒋幹は結果的に周瑜をサポートしてしまったのだった。ピエロだねぇ・・・
その後は蒋幹は登場しないが、「三国志平話」では赤壁の戦いの敗走の際に、敗戦の責任を問われて曹操軍の兵に殺されている。
※その他「蒋幹」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照
能力一覧 | 統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 陸指 | 水指 | 身体 | 運勢 |
三國志 | 16 | 73 | 18 | 78 | 43 | ||||
三國志II | - | - | - | ||||||
三國志III | - | - | - | - | - | - | |||
三國志IV | 31 | 22 | 68 | 26 | 13 | ||||
三國志V | 13 | 67 | 39 | 39 | |||||
三國志VI | 19 | 20 | 70 | 19 | 42 | ||||
三國志VII | 18 | 68 | 63 | 51 | |||||
三國志VIII | 17 | 66 | 62 | 44 | |||||
三國志IX | 8 | 7 | 67 | 63 | |||||
三國志X | 9 | 7 | 69 | 62 | 47 | ||||
三國志11 | 9 | 6 | 65 | 64 | 47 |
関連人物 |
||
掲示板
急上昇ワード改
最終更新:2024/04/24(水) 04:00
最終更新:2024/04/24(水) 04:00
スマホで作られた新規記事
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。