「蒋斌」((ショウヒン ? ~ 264)とは、三国時代の蜀漢に仕えた武将であり、蜀漢の四相の一人「蒋琬(蒋エン)」の子である。
諸葛亮・費禕(費イ)・董允と共に蜀の四相と呼ばれる蒋琬(蒋エン)の息子で、漢城の防衛を担当していた。
魏の鍾会率いる蜀討伐軍が現れると5000の兵で漢城を守っていた際に、鍾会から蒋斌に対して蒋琬(蒋エン)の墓の所在を確認する手紙が届き、丁寧は返書をしたためた事で蒋斌は鍾会に覚えられる事になった。
蒋斌が守る漢城に荀愷と10000の兵を残して先に進む事にした鍾会と、先行していた鄧艾(トウ艾)によって蜀の都・成都が危機に瀕して劉禅が降伏して蜀漢が滅亡すると、蒋斌も鍾会に降伏し、友人として遇された。
しかし、蜀を地で独立を画策した鍾会が、鄧艾(トウ艾)を陥れ入れたものの反乱に同調しないから殺されてたまるかと思った衛瓘(衛カン)らの反撃をくらって鍾会が戦死した際に、蒋斌も統制を失った魏軍の攻撃をうけて、弟の蒋顕と共に戦死した。
蜀漢が滅びる際には、建国の功臣達の子孫の多くが死亡しており、蒋斌もまたその一人となって後に名をあげる機会を失った。
姜維の北伐に参加した武将として登場する。
王含と共に左翼の陣を担当したが鄧艾(トウ艾)の夜襲をくらって完敗し、以降は漢城の守備を担当するも、鍾会の軍により漢中がおとされると降伏した。
※その他「蒋斌」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照
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最終更新:2024/11/30(土) 11:00
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