藤原公任(ふじわらの きんとう、966~1041)とは、平安時代中期の貴族・歌人である。
百人一首55番の作者。藤原忠平の曾孫で、藤原定頼の父。
「小右記」の作者・藤原実資や、三蹟の一人・藤原佐理はいとこにあたる。
幼少期から才気煥発で、和歌や漢詩、有職、故実などあらゆる面で優れた才能を見せた。当時の歌壇の重鎮であり、三十六歌仙を選定したり、「和漢朗詠集」を編纂するなどの多大な功績を残した。
祖父・藤原実頼や、父・藤原頼忠は関白にまで昇進したが、実頼が天皇の外祖父になれなかったことから、次第に政治の主流は実頼~公任の小野宮流から、実頼の弟・師輔の家系に移り、公任の昇進は大納言どまりだった。しかし、その実力を道長に買われ、藤原行成・藤原斉信・源俊賢と共に道長の治世を支えた。
公任は「三舟の才」の異称を持つ。ある時、藤原道長が船遊びを行った際、「管弦の舟」「漢詩の舟」「和歌の舟」を用意し、参加者は自分が得意なジャンルの舟に乗って一芸を披露するという趣向を凝らした。いずれの才能にも秀でた公任に、道長はどの舟に乗ってもらおうか悩み、直接尋ねたところ、公任は和歌の舟に乗って歌を詠んだ。この席で公任は高く評価されたが、後に公任は漢詩の舟に乗れば良かったと後悔した。当時は和歌より漢詩の方が高い価値があったとされていたためである。
かつては藤原摂関家の嫡流だった小野宮流の生まれであるためか、公任はかなりプライドが高かったらしい。四納言の一人でライバル関係にあった藤原斉信が自分より出世した時、なんで自分が斉信より下の身分にならなければいけないのか?と駄々をこね、半年も宮中に出仕せず引きこもってしまった(この時、赤染衛門の夫・大江匡衡に辞表の代筆を依頼している)。公任の才を惜しんだ朝廷は、彼の官位を上げることでなだめ、機嫌を直した公任は再び出仕するようになったと伝えられる。いずれにせよ、頭が良いと同時に面倒くさい性格だったことは確からしい。
源氏物語の作者・紫式部とは母方のはとこであった(公任と紫式部の母方の曾祖母が藤原定方)。「紫式部日記」によると、公任は(中宮彰子の皇子(後の後一条天皇)誕生祝いで、紫式部に「ここに若紫(源氏物語のメインヒロイン)はおりませんか?」と尋ねたと言うか、からかってみた。すると彼女は「光源氏のような貴公子もいないのに、紫の上なんているはずない」と素っ気なく言い返した。当時、紫式部は藤式部と呼ばれていたが、この事件がきっかけで「紫式部」と呼ばれるようになったという。
公任の残した和歌は非常に多いが、百人一首には「滝の音は たえて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ」の歌が収録されている。藤原行成の日記「権記」によると、道長のお供で公任や行成が嵯峨天皇の元離宮だった大覚寺を訪れた時に詠んだ歌とある。かつて大覚寺には、嵯峨天皇が作らせた人工の滝があり、風流を楽しんでいたらしいが、時代は流れて公任が来た時には既に涸れてしまっていた。漫画「うた恋い。」では、涸れてしまった滝を、政治の主流から外れた自分と照らし合わせて詠んだ歌という解釈をしている。なお、「うた恋い。」の公任は身長が164cmしかないことをコンプレックスになっているが、これは公任の祖父・実頼がチビであるため強装束という張りの効いた服装で自分を少しでも大きく見せようとしたエピソードが元ネタになっていると考えられる。
公任が編纂した「和漢朗詠集」は、雅楽の演奏に合わせて和歌や漢詩を詠む朗詠のテキストとして制作された歌集であり、原本は藤原行成が著した。貴族社会のみならず、近世になると寺子屋の教材に使われるなど広く流布しており、日本の国家「君が代」の歌詞も収められている(但し、初期の写本では「わが君は~」と表記されている)。なお、和漢朗詠集の研究・注釈はかなり古い時代から行われ、公任が没した年に生まれた学者の大江匡房(百人一首73番の作者、大江匡衡と赤染衛門の曾孫)が「朗詠江注」を記したのが始まりとされる。1000年以上経った今でも研究は続けられており、現在ではミッキーマウスの声優として有名な国文学者の青柳隆志が、朗詠研究の第一人者として活躍している。
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2 ななしのよっしん
2014/01/11(土) 16:36:21 ID: 8S8sOf2yQF
三舟の才は古典の授業でやったけど、その頃はこんな面倒くさい性格の人物像とは思いもしなかったなー。
うた恋い。解釈の164cmは現代基準だと注釈した方がいいかもしれない。
3 ななしのよっしん
2014/10/22(水) 19:39:46 ID: SLZkBUPYYW
一条天皇の御世、四納言とよばれる方々が蹴鞠に興じておりました。
すなわち、藤原斉信様、源俊賢様、藤原公任様、藤原行成様のことでございますね。
いきおいがよかったのでしょうか。
鞠は蹴鞠の庭を超えて外に出て行ってしまいました。
ここですかさず、公任様、
『あの鞠は大臣や大将の子ではないものがとってこればいいと思うんだよねー』
などとおっしゃりますので、行成様は
『……早死にほど無念なことはございませんね。父、藤原義孝が存命でしたら…
大臣の位になっていないはずはございませんでしょうに…(遠い目)』
と、お応えされたそうです。
4 ななしのよっしん
2019/11/12(火) 01:07:14 ID: ieQUW1kqb8
二、三のエピソードがいちいち小物じみてるし百人一首の歌はなんか評価低い気がするし
(『ちはやふる』でもかなちゃんが何かの歌を褒めるための比較で〈「た」「な」を並べた技巧的なだけの歌〉みたいに切って捨ててるのが印象的だった)
失礼ながら、「すごい人扱いされてるわりに『自分をすごいと鼻にかけてうざいこという人』のエピソードしか聞かんぞ、なんなんだこいつ」と昔は不思議だった。
のちに和漢朗詠集の作者っていうイメージでだいぶ上方修正されたが。
しかし漢詩の才があったなら、その公任に漢文代筆たのまれた大江匡衡ってたいしたものだったってことだね。
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最終更新:2024/03/19(火) 19:00
最終更新:2024/03/19(火) 19:00
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