藤原道綱(ふじわらの みちつな、955~1020)とは、平安時代中期の貴族である。
藤原兼家の次男。「蜻蛉日記」の作者として知られる藤原道綱母の子。
藤原道隆や藤原道長とは母親が違う兼家の庶子だったため、他の兄弟に比べて出世は遅く、官職も大納言止まりだった。
道綱自身もあまりぱっとしない人物だったらしく、彼の母も「蜻蛉日記」で大人しすぎると心配されており、藤原実資に至っては小右記で「字もろくに書けない無能」とこき下ろされている。但し、実資は道長とライバル関係だったために、その兄の道綱を必要以上に酷評したとも考えられる。いずれにせよ、権謀に長けた父・兼家や、文才に優れた母と異なり、平凡な人物だったことは確かなようだ。
道綱の名前が知られているのは、ひとえに母親が「蜻蛉日記」で名を馳せて、百人一首の歌人としても有名だからであろう。似たような境遇の人物として、娘が「更級日記」を書いた菅原孝標が挙げられる(なお、菅原孝標娘の母親は、藤原道綱母の異母妹である)。
また、道綱の娘・宰相の君(藤原豊子)と藤原彰子に仕えた女房で、紫式部の同僚だった。「紫式部日記」では寝姿が絵に描いた姫君のような美しさだったと記されていることから、道綱も兄の道隆や弟の道長と同様にイケメンだったのかもしれない。あれ、道兼は・・・?
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最終更新:2025/03/30(日) 21:00
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