トウドウヘイスケ
弘化元年(1844年)、江戸で生まれる。諱は宜虎。変名南部与七郎。津藩主藤堂高猷の御落胤と言われる。
北辰一刀流を学び、文久2年(1862年)に近藤勇の試衛館に通う。
文久3年(1863年)に浪士組の一員として近藤らと上京。京都に残り壬生浪士組に加わった。
元治元年(1864年)6月5日の池田屋事件では第一陣として参戦。額に重傷を負い戦線離脱。傷の手当のため江戸に戻り、知人の伊東甲子太郎を誘い新選組に入隊させた。
慶応3年(1867年)3月、伊東が御陵衛士を拝命して新選組から分離するとこれに参加。11月18日の伊東暗殺事件(油小路事件)で遺体引き取りに現れたところを新選組隊士の襲撃を受けて死亡した。
掲示板
7ななしのよっしん
2020/05/28(木) 21:37:01 ID: cYYmFmozb9
新選組ageのためにそうなったんだから結局は扱い雑みたいなもんよ
まあ新選組ageのために不当にsageられてるやつに比べればマシだろうけどさ
8ななしのよっしん
2022/03/11(金) 19:48:23 ID: STH4mc2KYA
雑も何も新選組在籍中の活動記録がほとんどなくて、「藤堂って内勤だったんじゃね?」という説まで出てる人やもん。そら地味な扱いにもなるさね
9ななしのよっしん
2022/04/07(木) 22:59:01 ID: 1oeTIUTh2a
ただし、そうなると藤堂を持ち上げてる永倉新八の証言が信用できなくなり、
ひいては新選組の強さの資料となってる『浪士文久報国記事』や『新選組顛末記』も信用できなくなる
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最終更新:2023/01/28(土) 23:00
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