藤堂平助(とうどう へいすけ、1844年-1867年11月18日)とは、新選組八番隊隊長である。
弘化元年(1844年)、江戸で生まれる。諱は宜虎。変名南部与七郎。津藩主藤堂高猷の御落胤と言われる。
北辰一刀流を学び、文久2年(1862年)に近藤勇の試衛館に通う。
文久3年(1863年)に浪士組の一員として近藤らと上京。京都に残り壬生浪士組に加わった。
元治元年(1864年)6月5日の池田屋事件では第一陣として参戦。額に重傷を負い戦線離脱。傷の手当のため江戸に戻り、知人の伊東甲子太郎を誘い新選組に入隊させた。
慶応3年(1867年)3月、伊東が御陵衛士を拝命して新選組から分離するとこれに参加。11月18日の伊東暗殺事件(油小路事件)で遺体引き取りに現れたところを新選組隊士の襲撃を受けて死亡した。
「龍が如く 維新!」「龍が如く 維新! 極」で登場。声優は無印では大東駿介、極では岡本信彦。
新選組に入隊したばかりの斎藤一(坂本龍馬)への業務の教育を引き受けるが、笑顔を浮かべながら人を斬り捨てる冷酷さも兼ね備える。新選組最大の秘密を知る数少ない人物の一人である。
終盤には伊東甲子太郎についていき、龍馬たちを裏切ったかのように見えたが、その目的は近藤勇から”もう一人の坂本龍馬”をあぶり出すために伊東についていくように頼まれていた。龍馬たちが桂小五郎と会うために桂と接触するが、それを武田観柳斎に見られて斬られ、致命傷を負いながら龍馬に武田を倒すように告げる。近藤勇から託された命令を果たすことと本人の遺言通り、武田と共に御陵衛士の一人として死亡したように偽装され、沖田総司は涙を流しながらその死を悼んだ。
新選組 |
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近藤勇(局長) / 土方歳三(副長) / 山南敬助(元副長) / 伊東甲子太郎(参謀) / 武田観柳斎(参謀) 沖田総司(一番隊隊長) / 永倉新八(二番隊隊長) / 斎藤一(三番隊隊長) / 松原忠司(四番隊隊長) 武田観柳斎(五番隊隊長) / 井上源三郎(六番隊隊長) / 谷三十郎(七番隊隊長) 藤堂平助(八番隊隊長) / 鈴木三樹三郎(九番隊隊長) / 原田左之助(十番隊隊長) |
掲示板
7 ななしのよっしん
2020/05/28(木) 21:37:01 ID: cYYmFmozb9
新選組ageのためにそうなったんだから結局は扱い雑みたいなもんよ
まあ新選組ageのために不当にsageられてるやつに比べればマシだろうけどさ
8 ななしのよっしん
2022/03/11(金) 19:48:23 ID: STH4mc2KYA
雑も何も新選組在籍中の活動記録がほとんどなくて、「藤堂って内勤だったんじゃね?」という説まで出てる人やもん。そら地味な扱いにもなるさね
9 ななしのよっしん
2022/04/07(木) 22:59:01 ID: 1oeTIUTh2a
ただし、そうなると藤堂を持ち上げてる永倉新八の証言が信用できなくなり、
ひいては新選組の強さの資料となってる『浪士文久報国記事』や『新選組顛末記』も信用できなくなる
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最終更新:2024/04/24(水) 13:00
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