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この記事は曖昧さ回避です |
蛍丸とは、以下のことを表す。
南北朝時代の武将である阿蘇惟澄の佩刀。刃長1m余りの長大な太刀。銘は来国俊であり、その裏には永仁五年三月一日と彫ってある。
軍勢を率いた阿蘇惟澄が、多々良浜の戦いで南朝側の菊池武敏の軍勢に加勢し、北朝側の足利尊氏の軍勢と交戦した時のことである。
始めは数の多い南朝側が圧倒するが、菊池武敏軍内部で裏切りが多発したことで形勢が逆転し、南朝側は敗走し、南朝側にいた阿蘇氏の当主とその長男が死亡、惟澄は生還するが自慢の太刀はこの激戦により、破損しササラの様になってしまったという。その夜惟澄が寝ていると、ボロボロになった太刀に蛍が群がり、刃こぼれを治すという奇妙な夢を見る。惟澄が起きると本当に太刀が直っていたので、惟澄はこの夢にあやかり、蛍丸と名付けたのである。
蛍丸を家宝として伝えていった阿蘇氏は徐々に衰退していき、戦国時代の末期に島津氏に下ったことで実質滅亡してしまう。しかし、阿蘇神宮の大宮司として再興すると、蛍丸は阿蘇神宮の宝刀となった。
ただ、現在の所在は太平洋戦争後は行方不明である。(GHQに回収されたとも、回収を避けるために隠されたとも言われている。)
全長 | 135.55㎝ |
刃渡り | 101.35㎝ |
茎 | 34.2㎝ |
先幅 | 2.1㎝ |
元幅 | 3.7~3.9㎝ |
元重 | 0.9~1.2㎝ |
先重 | 0.57㎝ |
反り | 3.4㎝ |
重量 | 不明(約1.8㎏という説がある。) |
※元幅は鍔元付近の幅であり、先幅は切っ先付近幅である。元重は鍔元付近の、先重は切っ先付近の峰の厚みである。また、反りは刀身のカーブの深さのこと。
(重量に関しては鍔や柄を取り付けた時の値なのか、何もつけない場合の値なのかは不明。)
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最終更新:2023/03/25(土) 21:00
最終更新:2023/03/25(土) 21:00
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