西崎幸広(にしざき ゆきひろ、1964年4月13日-)とは、滋賀県出身の元プロ野球選手(投手)である。
埼玉武蔵ヒートベアーズ #21 監督 |
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西崎幸広 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 滋賀県大津市 |
生年月日 | 1964年4月13日 |
身長 体重 |
181cm 75kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1986年ドラフト1位 |
引退 | 2001年 |
経歴 | |
選手歴 監督歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
1瀬田工業高校時代に1度選抜高等学校野球大会に出場経験がある。
愛知工業大学時代には当時の愛知大学野球リーグの通算最多勝利、シーズン最多奪三振などの記録を作り注目を集める。
1986年のドラフト会議で近藤真一の外れ1位で日本ハムファイターズに入団。背番号は21。
1987年(1年目)から先発の一角として活躍。近鉄バファローズの阿波野秀幸と新人王のタイトルを争った。15勝を挙げ防御率もほぼ一緒で負け数では西崎が下回っていたが、両リーグ最多の奪三振と投球回数が勝っていた阿波野が新人王を獲得した。新人王を逃したが、新人王に値する活躍が評価されパ・リーグ会長特別賞を受賞した。
以降は日本ハムのエースとしてルーキーイヤーから5年連続で2桁勝利を重ねる。2年目の1988年には15勝を挙げて最多勝を獲得(渡辺久信・松浦宏明と同時受賞)。特に新人王を争った阿波野とはライバル関係となり、合わせて『トレンディエース』(後述)として女性ファンから支持を得るようになる。
1995年7月5日の西武ライオンズ戦において、史上60人目となるノーヒットノーランを達成した。
1997年オフに奈良原浩・石井丈裕とのトレードで西武ライオンズに移籍する。
1998年は故障を抱え、わずか4試合の登板に終わった。その後、同年の日本シリーズでの好投から、1999年はリリーフに回り20セーブをマーク。
2000年には先発に戻り6勝を挙げるが、再び故障を抱え2001年のシーズンをもって現役を引退。
後のメジャーリーガー・松坂大輔が入団した際、当時の監督である東尾修が松坂に対し「西崎を手本にしろ」と進言しており、兄貴分として慕われていたことも知られている。
2023年からは埼玉武蔵ヒートベアーズの監督を務める。
通算:15年 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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NPB | 330 | 266 | 117 | 22 | 127 | 102 | 22 | - | .555 | 2004.0 | 809 | 1573 | 785 | 723 | 3.25 |
タイトル | ||
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最多勝 | 1回 | 1988年 |
表彰 | ||
月間MVP | 4回 | 1987年8月、1989年4月、1993年6月、1996年4月 |
パ・リーグ会長特別賞 | 1回 | 1987年 |
ベストナイン | 1回 | 1988年 |
ゴールデングラブ賞 | 2回 | 1988年、1996年 |
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最終更新:2024/03/29(金) 21:00
最終更新:2024/03/29(金) 20:00
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