触手排泄とは、人間の肛門の穴から、動物分類学上環形動物門無脊椎動物にあたる架空の生物を一方的に、あるいは双方の合意に基づき排泄し(排泄され)た時の、快楽もしくは苦痛を伴う表情、羞恥的な体勢を眺める性癖である。
触手排泄の歴史は近代に始まる。このジャンルの始祖にあたる糞尿愛好症の人々は、教育によって、排泄という行為が恥ずかしいものと位置付けられてから、人々の認識が徐々に変わると同時に生まれたとされており、現在その嗜好は多岐に渡るようになった。
その後も糞尿愛好症の人々は、近代以降のどの時代にも一定数存在するようになるのだが、世代を下るごとにある壁にぶつかる愛好家が続出した。
近代社会の教育によって矯正された衛生観念を内在化した現代人は
という倒錯した欲望を抱え込むようになったのだ。
排泄と、性的な意識の萌芽を切り離せないままでいた糞尿愛好症の人々は、自身の衛生観念との摺り合わせが上手くいかなくなると、排泄という性癖から便という要素を取り出し、代わりに透明な、チューブ状のゼリー・スライムなどの半固形物や中で固まるゼリー・ディルドなどの固形物に取り換えることによって、現代社会に適応していったのだ。
所謂、これが当記事が説明している触手排泄という性癖の直系の先祖にあたる。
ただし、触手排泄が疑似排泄と異を成してる部分は、排泄のタイミングが触手の意志によって決定されるという点、場合によっては人間側が意図せぬタイミングで半ば強制的に排泄してしまうという部分が決定的に異なる。
従来のものと比べ本人の括約筋のにかかる負荷が段違いであり、あくまで最後は自分の意志によって排泄する疑似排泄が、理性VS本能であるとすると、触手排泄において便意が頂点に達した際に繰り広げられる戦いは理性VS本能+外的要因と見なすことができ、そのままならなさ、尊厳が瓦解する様は多くの人間を虜にしている。
今日に至るまで、人間の欲望に対する追及は飽くことを知らない。触手排泄はまた新たなるジャンル分岐を成している。肛門ではなく口から出るタイプの排泄、触手そのものと親睦を深めたうえで行為に及ぶ、手枷脚枷で貼り付けにされたまま排泄等。
最初に"眺める性癖"と記述した通り現代の技術力では体験することはできない。いつの日か、テクノロジーが触手排泄に追い付くまでは、それに想いを馳せるしかないのだ。
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最終更新:2024/04/24(水) 02:00
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