「許劭」(キョショウ 150 ~ 195)は、後漢末期の人物批評家。字は子将。
曹操を「治世の能臣、乱世の姦雄」と評価した事で知られる三国時代の人物批評家。
現代でも、人物の批評を「月旦評」と言うのは、許劭が開いていた人物批評会からとられている。
※許劭の詳細は、Wikipediaの該当記事参照の事。
三国志でも、曹操を評した言葉以外に目立つ事なく、コーエーの三國志シリーズでも、イベントキャラや目立たない武将として登場していた一般的にはマイナーな存在だった許劭・・・
しかし・・・ある時、一人のプロデューサーの手によりニコニコ動画の一角で許劭にスポットライトが当てられた。
「ひげじー」 |
うさちゃんP作のiM@S架空戦記シリーズ「iM@S演義」にて、12歳のアイドル双海亜美のプロデューサー的役割で登場した許劭は、温厚な物腰で孫を見守る様な落ち着きぶりで、亜美から「ひげじー」と呼ばれて懐かれ、視聴者からの「ひげじー」と呼ばれて親しまれていた。
途中、亜美の言を受け入れて別の道を行く決断をした際、亜美宛に残した「「爺の手紙」」にはセルフエコノミーになる市中者が続出。
また、再び亜美とめぐり合ったものの、患っていた病が悪化、亜美に対しては人生の師とも言える生き様を見せたひげじーは、亜美に看取られてこの世を去り、多くの視聴者を再び涙させた。
そして、iM@S演義最終回(百三十五回)のラスト、「時の河」が流れるエンディングにおいて、遺影のごとき顔グラが表示された際もその死を悼む多くの視聴者からのコメントが流れた。
こうして、他の架空戦記ではありえない人気を得たひげじーは、iM@S演義最終回の際に行われたアンケートでも登場人物部門で9位(三国志の武将では公孫越・馬超・孫策に続く)に輝いたのだった。(結果はこの動画で)
■ひげじー初登場。「同情するなら金をくれ!」って亜美、お前いくつだ!
■ひげじー、亜美と分かれる・・・亜美は成長しました・・・(ティッシュを用意してご覧ください)
亜美や、別れも告げず済まなく思う。
亜美と会うて心新たに生きた思いであった。
儂は儂の志を全うせんが為に行く。
亜美も己の成すべき事に向き合って進みなさい。
「先ず、隗より始めよ」
己が先立って目的に邁進する心を忘れるべからず。
儂にその心を思い起こさせてくれたは他ならぬ亜美じゃがの。
思えば儂らの道中は互いに師であり、互いに弟であった。
「前後忘れざるは、後事の師」
良きにつけ悪しきにつけ亜美と共に学んだ事は生涯忘れ得ぬ。
いずれまた会う日を信じ、壮健なるを願わん。
初平四年 春 爺
■ひげじー再登場。
■ひげじー、ついに亜美と再会。
■「お別れじゃ・・・」・・・ひげじー・・・
儂は逝くが、それは生きて流れついた先ではない。
儂は生きられるだけを生きたのではなく、生きるべきを生きたと、
そう感じておる。
これが一つ、死に臨む者の心持ちとして理想に近いものだと思うのだ・・
残される者の痛み、悲しみ、それは儂にもよう解る。
だが傷にはせんでくれ
儂の死が亜美の心に傷を残したならそれは一生の傷。
だがそうではない。
・・・死は人生の終末ではない。
儂は死んで・・・許子将という一人の人間の生涯を完成させるのだ
ありがとう・・・
掲示板
2 ななしのよっしん
2020/05/16(土) 07:24:33 ID: qfJCjAb1Ox
何だこのページは…許子将は三国志の世界じゃ有名なほうのはずなのにこの扱いとは
3 ななしのよっしん
2020/06/13(土) 08:36:09 ID: MtV2lB6v2p
因みに蜀の幕僚となった許靖とは従兄弟同士ながら仲が悪かったので、許靖のことは全く評価していなかったという逸話もある。
4 神浜
2020/06/25(木) 10:37:00 ID: K+p3nBeM43
儂は死んで・・・許子将という一人の人間の生涯を完成させるのだ
の部分めっちゃかっこいいなあ
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最終更新:2025/01/18(土) 20:00
最終更新:2025/01/18(土) 19:00
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