谷元圭介 単語

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谷元圭介(たにもと けいすけ、1985年1月28日-)とは、三重県出身の元プロ野球選手投手)である。

概要

品卸会社のバイタルネットという非常にマイナー社会人チームエースとしてプレーし、社会人日本選手権にも出場した。

入団テストに合格し、隠し球として2008年ドラフト7位で北海道日本ハムファイターズに入団。背番号48

日本ハム時代

2009年ドラフト最下位名のルーキーながら中継ぎとして開幕一軍入りを果たし、4月18日埼玉西武ライオンズ戦でプロ勝利(この年のルーキーの初勝利)を挙げたが、その後は何度か打ち込まれ5月半ばには二軍落ち。その後は8月に戻ってきてにビハインドで投げていた。最終的に24試合で防御率5.53。


2010年も開幕当初は好投していたが、5月二軍落ちし、7月に復帰した際には福岡ソフトバンクホークス戦で1イニング6失点とフルボッコにされとんぼ返り。前年を下回る14試合で防御率5.74に終わり、「先だけはいいんだけど」という評価を固めてしまう。


2011年はビハインドでの起用がほとんどだったが、課題の5月を乗り切り1年間中継ぎとして奮闘。自己最多の47試合に登板、1勝2敗5ホールド防御率2.47の成績を残し、縁の下の持ちとしてチームを支えた。


2012年は前半戦は中継ぎで投げていたが、7月からチーム事情もあって先発に転向谷間からスタートして8月末からローテーション入りし、9月19日オリックス・バファローズ戦で先発勝利を挙げた。最終的には28試合に登板先発7試合)、2勝2敗7ホールド防御率3.52。


2013年は開幕ローテーション入りしたが、4試合続けて5回保たずと精を欠く。5月からは少し持ち直したが、後半戦では再びリリーフに戻った。最終的に31試合に登板先発13試合)して6勝6敗3ホールド1セーブ防御率3.93。


2014年は一時故障による離脱があったが、年間を通じて中継ぎとして52試合に登板した。


2015年も一年間中継ぎとして登板し続け、自己最多の20ホールドを挙げた。


2016年は序盤こそ不調だったが、58試合に登板、自己最多の28ホールドを挙げ、クリスマーティン離脱後はクローザーの代役を務めるなど優勝に貢献した。また日本シリーズ第6戦9回裏を失点に抑え、胴上げ投手となった。オフ背番号22に変更した。


2017年中継ぎとして登板を重ね、FA権取得の他、6月23日東北楽天ゴールデンイーグルス戦で通算100ホールドを達成した。オールスターにも選ばれ、第2戦でセーブを挙げた。

中日時代

2017年7月31日中日ドラゴンズへの銭トレードが発表される。その時点でいずれもチームトップの36試合登板、21ホールドを挙げているセットアッパーシーズン中に銭トレードで放出するという展開には多くの野球ファン驚愕した。ちなみにオールスターに出場した選手がその年のシーズン中に他球団に移籍したのは史上初。

中日での背番号60中日でもセットアッパーとして起用されたが、突然環境変化のためか、それとも勤続疲労によるものなのか、18試合で防御率6.00と散々な結果に終わった。オフFA権を行使せず2年契約を結び、背番号14に変更した。


2018年は開幕一軍入りしたが、登板2試合で9失点、防御率40.50とフルボッコにされ二軍落ち。一軍復帰後もまた炎上し、最終的に8試合の登板防御率14.90という成績に終わった。


2019年は開幕からセットアッパーとして最初は好投していたが、5月6日広島戦で5失点と炎上してからは便利屋・ワンポイント起用に。その後はまたそれなりに抑えていたが、7月25日広島戦で再び5失点とボコボコにされ、7月末で二軍落ちしてシーズンを終える。38試合で13ホールドを挙げ、巨人DeNAに対しては失点だったが、広島相手に10失点・防御率24.55き、シーズン防御率は5点台に終わった。


2020年は開幕を二軍で迎えたが、7月21日に一軍昇格。過去3年の不振もあってかしばらくはビハインド要員だったが、12試合連続失点など結果を残して9月以降は祖父江大輔福敬登ライデル・マルティネス勝利の方程式へ繋ぐ6回担当セットアッパーピンチ火消し役として起用され、特にピンチ火消しで何度も窮地を救った。最終的に36試合に登板、1勝3敗13ホールド防御率3.60だった。


2021年は2年ぶりに開幕を一軍で迎える。7月10日横浜DeNAベイスターズ戦で体調不良を訴えて降。詳細は不明だったが、下肢のコンディション不良で、一部報道にあった謹慎・規違反ではなかったことを明かした。32試合の登板で1勝1敗14ホールド防御率2.01だった。


2022年7月18日DeNA戦で通算500試合登板を達成した。34試合の登板で1セーブ6セーブだった。


2023年9月12日に現役引退を表明。10月3日読売ジャイアンツ戦が引退試合となり、吉川尚輝を左飛に打ち取って、現役生活を締めくくった。

引退後

2024年からは北海道日本ハムファイターズ打撃投手を務める。

人物

身長166cmという球界最小のちびっこ投手。小柄な身体から最速150km/hの速球を投げ込む。尊敬する選手は同僚のちびっこ投手である武田久

バイタルネット」という野球ファンには染みの薄い会社名が強いインパクトを残し、日本ハムファンからも「バイタルネット」縮めて「バイタル」と呼ばれていた。というか梨田昌孝監督が「バイタル」と呼んでいた。日本ハム時代のチーム内での称は「チョロ元」。本人は「ちび」と呼んで欲しいらしい。

成績

年度別投手成績

年度 球団 登板 先発 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
2009年 日本ハム 24 0 0 0 2 0 0 3 1.000 27.2 20 20 18 17 5.53
2010年 14 0 0 0 1 2 0 2 .33 15.2 4 12 10 10 5.74
2011年 47 0 0 0 1 2 0 2 .333 47.1 16 45 13 13 2.47
2012年 28 7 0 0 2 2 0 7 .500 61.1 16 39 24 24 3.52
2013年 31 13 0 0 6 6 1 3 .500 89.1 38 53 45 39 3.93
2014年 52 0 0 0 5 1 1 12 .833 68.0 19 63 14 12 1.59
2015年 61 0 0 0 4 2 0 20 .667 56.2 15 47 21 20 3.18
2016年 58 0 0 0 3 2 3 28 .600 50.1 16 44 14 13 2.32
2017年 36 0 0 0 0 2 1 21 .000 32.2 16 24 15 12 3.31
中日 18 0 0 0 0 1 0 6 .000 18.0 6 14 12 12 6.00
17年計 54 0 0 0 0 3 1 27 .000 50.2 22 38 27 24 4.26
2018年 8 0 0 0 2 0 0 1 1.000 9.2 3 8 20 16 14.90
2019年 38 0 0 0 0 1 0 13 .000 29.1 21 24 17 17 5.22
2020年 36 0 0 0 1 3 0 13 .250 30.0 13 21 13 12 3.60
2021年 32 0 0 0 1 1 0 14 .500 22.1 1 18 6 5 2.01
2022年 34 0 0 0 0 0 1 6 .--- 31.0 12 21 9 9 2.61
2023年 7 0 0 0 0 0 0 0 .--- 5.1 6 2 8 5 8.44
NPB:15年 524 20 0 0 28 25 7 154 .528 594.2 222 455 259 236 3.57

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