谷隼人 単語

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タニハヤト

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谷隼人とは、鹿児島県隼人町出身の俳優である。

概要

1946年9月9日生まれ。本名は岩谷肇。

1961年に、テレビドラマ少年ケニヤ』に本名で出演して芸能デビュー。その後、高校へ進学するも中退飲食店で働いていた頃に日活の社員からスカウトされ、1963年に、本人く数ヶだけ撮に参加していた。
日活を離れて喫茶店スナックバー勤務に戻る中、1966年芸能事務所紹介を受けて東映に入社。芸名はこの頃に付けられたもので、本名の岩谷と、出身地の隼人町を組み合わせたのが由来になっている。

(余談だが、隼人町は2005年に近隣町と合併して以降も、霧島市の一部として地名を残している)

東映では『網走番外地』シリーズへの出演をはじめアクションスターとして活躍。1968年開始のTBS系『キイハンター』に出演してから人気が出始め、同年末にデパート紳士服モデルを務めたことで、特に女性人気爆発。『明星』など女性向けアイドル雑誌からも取材が申し込まれるような状況だったが、1974年開の映画『非情学園ワル ネリカン同期生』が低調に終わったことで、責任を取るように退社。翌1975年に『寺内貫太郎一家』第2シーズンに出演したことでアクション以外の演技にも興味が生まれ、『Gメン'75』出演オファーも辞退して多ジャンルドラマ、ならびバラエティ番組へと活動の幅を広げる。

1986年に始まった『風雲!たけし城』では、ビートたけしの強い推薦もあり、たけし城攻略視聴者代表攻撃軍の“隊長”としてレギュラー出演。2023年Amazonプライム・ビデオで番組が復活した際にも、木村昴との2人体制ではあるが隊長役に再任されている。
そんな中、1987年に『光戦隊マスクマン』で長官役を務めた際には、たけし城攻略もままならない人に地球平和を任せるのは不安でしかないと、ジャンプ放送局をはじめ各地で揶揄されまくっていた。

生活では、1967年ファッションモデル美智子と結婚するが、1974年離婚1981年に、『キイハンター』ならびに後継番組の『アイフル作戦』、『バーディー作戦』で共演していた女優松岡きっこと再婚すると、夫婦共演を多数こなし、おしどり夫婦の顔も見せるようになった。

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