1961年に、テレビドラマ『少年ケニヤ』に本名で出演して芸能界デビュー。その後、高校へ進学するも中退。飲食店で働いていた頃に日活の社員からスカウトされ、1963年に、本人曰く数ヶ月だけ撮影に参加していた。
日活を離れて喫茶店、スナックバー勤務に戻る中、1966年に芸能事務所の紹介を受けて東映に入社。芸名はこの頃に付けられたもので、本名の岩谷と、出身地の隼人町を組み合わせたのが由来になっている。
(余談だが、隼人町は2005年に近隣市町と合併して以降も、霧島市の一部として地名を残している)
東映では『網走番外地』シリーズへの出演をはじめアクションスターとして活躍。1968年開始のTBS系『キイハンター』に出演してから人気が出始め、同年末にデパートの紳士服モデルを務めたことで、特に女性人気が爆発。『明星』など女性向けアイドル雑誌からも取材が申し込まれるような状況だったが、1974年公開の映画『非情学園ワル ネリカン同期生』が低調に終わったことで、責任を取るように退社。翌1975年に『寺内貫太郎一家』第2シーズンに出演したことでアクション以外の演技にも興味が生まれ、『Gメン'75』出演オファーも辞退して多ジャンルのドラマ、ならびにバラエティ番組へと活動の幅を広げる。
1986年に始まった『風雲!たけし城』では、ビートたけしの強い推薦もあり、たけし城攻略を目指す視聴者代表攻撃軍の“隊長”としてレギュラー出演。2023年にAmazonプライム・ビデオで番組が復活した際にも、木村昴との2人体制ではあるが隊長役に再任されている。
そんな中、1987年に『光戦隊マスクマン』で長官役を務めた際には、たけし城攻略もままならない人に地球の平和を任せるのは不安でしかないと、ジャンプ放送局をはじめ各地で揶揄されまくっていた。
私生活では、1967年にファッションモデルの岡美智子と結婚するが、1974年に離婚。1981年に、『キイハンター』ならびに後継番組の『アイフル大作戦』、『バーディー大作戦』で共演していた女優、松岡きっこと再婚すると、夫婦共演を多数こなし、おしどり夫婦の顔も見せるようになった。
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最終更新:2024/04/20(土) 07:00
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