水木しげるが1973年に描いた短編漫画「ドブ川に死す」に登場する嫌われ者のアシスタント豊川のモデルとなった人物で、17歳で二科展に入選する絵画の腕前を持っていた。
1967年に描いた漫画「不眠症」が月刊漫画ガロの入選作となり、同誌の1967年11月号に掲載された。
内容は、眠れぬ夜が続く不眠症の男が睡眠薬を使って寝たところやっと眠れて心地よい目覚めを迎えたが、日差しが耐えられない強さになり、実は睡眠薬を飲んで寝た時の寝タバコの不始末で焼死していたというものだった。
掲載したガロの編集長をつとめた長井勝一曰く「絵は新人離れしていたが作風はあまり個性的とは言えない」との評価で続く作品が出ず、水木しげるのアシスタントとなった。
※「不眠症」以外には、東考社の「突走る奴ら!!」に佐藤まさあき他の作品と共に掲載された「アルバイト」のみ。
水木プロに入った豊島は、水木しげるやアシスタントをつとめていた池上遼一・つげ義春らに嫌われていた。
原因は、豊島が未成年ながら喫煙者だった事、そして、喫煙した後の煙を頻繁に他人に吹きかけていた事だと言われている。前述の長井勝一の自伝「ガロ編集長」には、豊島が結核持ちであった事が記載されており、飛沫感染する病気を持っていながら他人に煙草の煙を吹きかけていたとなると、後年に日本漫画界のその名を残す事になる人物達に結核をうつす可能性がある事をやっていたとなり嫌われても仕方が無いと言える。
※結核の治療経験がある長井から生活保護をもらって治療に専念するようアドバイスをうけていたが、長く生きる気が無い事を公言していた豊島は治療を決断できなかったと言われている。
豊島とは仕事ができないとつげ義春が失踪した事から水木プロを追い出され、水木しげるが世話になった漫画家佐藤まさあきの佐藤プロに送られるも、佐藤プロでの激務に耐えられずに逃げ出し水木プロに戻ろうとした。
この男は水木の顔にタバコの煙を吹っかけたり、当時、水木プロにいた池上遼一やつげ義春なんかを、人を人とも思わぬ態度で、水木も持て余していたらしい。それで、「あんた佐藤プロへ行ったらどう?」と言って厄介払いをしたということだった。
(中略)
ところが三日ほどもした朝、事務所に出てみると、布団がきちんと畳んであって、本人は影も形もない。再び水木のところへ逃げ帰ってしまったのだ。その男が帰って水木に言うには、「あそこは地獄プロです。夜中の4時まで仕事をさせられて、やっと眠ったと思うと朝の9時にマネージャーの兄貴が叩き起こしにきます。あそこではとても身体がもちません。もう一度ここに置いてください」と言ったそうである。さすがの水木プロの持て余し者も、佐藤プロでは通用しなかったようだ。それにしても根性がない。
と豊島の受け入れから逃亡までについて記している。
しかし出戻ろうとした水木プロからは拒絶され、豊島は新宿の街で野宿するフーテンとなり、19歳の若さで野宿で寝ている時に新宿御苑の池に落ちて溺死した。
溺死の原因については佐藤まさあきはシンナーを吸ってから寝た為と記しているが、水木しげるの「ドブ川に死す」では睡眠薬を飲んで寝た後に溺死したとされており、そんな死に方をした豊島の処女作が「不眠症」というのはその末路を暗示していたのかもしれない。
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