財政再建とは、中央政府や地方公共団体の財政政策の形態の1つである。緊縮財政とも言われる。反対語は積極財政である。
本記事では中央政府の財政再建について述べる。
財政再建や緊縮財政は3通りの定義をすることができる。
財政再建や緊縮財政の正式な定義といえば1.になるが、財政再建や緊縮財政の定義として2.や3.を想起する人も多い。
緊縮財政の際は縮小的な財政政策が行われて政府購入と消費が低く維持されるので、閉鎖経済の国なら投資が増え、大国開放経済の国なら投資と純輸出が同じ割合だけ増え、小国開放経済の国なら純輸出が増える。
閉鎖経済の国や大国開放経済の国において緊縮財政をすることで投資が増えることは「クラウディングアウトの逆」と表現できる。
閉鎖経済の国や大国開放経済の国において緊縮財政が必要とされるときとは、その国の生産設備が減少して投資を増やす必要に迫られたときである。
日本において1964年までプライマリーバランスが均衡状態で緊縮財政といえるものだったが、その当時の日本は生産設備が揃っていない発展途上国であり、投資を増やす必要に迫られた国だった。
閉鎖経済の国や大国開放経済の国において緊縮財政が必要とされないときとは、その国の生産設備が増加して投資を増やす必要に迫られなくなったときである。
日本において1965年以降はプライマリーバランスが赤字状態で積極財政といえるものになったが、それ以降の日本は生産設備が充実した先進国であり、投資を増やす必要に迫られない国になっていた。
閉鎖経済の国や大国開放経済の国において生産設備が増加して投資を増やす必要に迫られなくなったにもかかわらず緊縮財政を実行すると、過剰投資が増えてバブル経済になる危険性が高まり、バブル崩壊となって長引く不況に突入する危険性が高まる。
日本において1987年以降に特例国債の発行を減らし始め、1991年から1993年までになると特例国債の発行をゼロにまで抑制していた。このときの日本は生産設備が充実した先進国であり、投資を増やす必要に迫られない国になっていた。こうした緊縮財政は理論どおりの結果となった。過剰投資が発生して住宅の価格が急上昇してバブル景気となり、1990年から株価が急落してバブル崩壊となり、銀行が大量の不良債権を抱える状態となって長期の不況に突入した。
平成時代以降の日本政府のプライマリーバランスは赤字の状態がずっと続いている。1991年から1993年まで特例国債をゼロにまで抑制したが建設国債を相変わらず発行していてプライマリーバランスの赤字を維持していた。
プライマリーバランスの赤字額と満期国債の元本返済と国債利払いは、公債金でまかなっている。公債金は日本政府が国債を金融市場に売って得たお金であり、日本政府が金融市場参加者から借り入れたお金である。
一般会計の歳入の全体額に対して公債金がどれだけの割合を示すかの数値を公債依存度という。日本は公債依存度がだいたい3割程度の国である。
日本政府の一般会計の歳入は公債依存度が3割程度の状態がずっと続いている。そして政府累積債務が2018年には874兆円に到達した。
このため日本の政界や官界において財政再建派が平成の30年間で台頭することになった。
財政再建のために政府購入の削減や増税をするのだが、そうすると短期において総需要が減って実質GDPが減り、長期において過剰投資が発生してバブル経済になったあとにバブル崩壊となって長期の不況に突入する。
このため「財政再建に反対だ」という声も発生し、日本の政界や官界の一角で積極財政派として台頭することになる。また「自国不換銀行券建て国債は、日銀法第4条に基づいて政府の影響を強く受ける中央銀行がまったくの負担無しで通貨発行権を行使して資金供給オペレーションをすることで簡単に返済できる。ゆえに自国不換銀行券建て国債は政府にとって極めて軽い負債だ。財政再建は不要である」という意見も頻発する。
財政再建論者と財政再建不要論者の論争は、令和時代になってもなお続いている。両者の特徴はまさに対照的であり、表にしてまとめると次のようになる。
財政再建派 | 積極財政派 |
国債は悪 | 自国不換銀行券建て国債は悪ではない |
プライマリーバランスを黒字化しよう | プライマリーバランスは赤字でよい |
増税を志向 | 減税を志向 |
政府購入の削減を志向 | 政府購入の増加を志向 |
政府の財政を支える安定的な財源というと、消費税と、自国不換銀行券建て国債である。
この2つとも安定的であり、安定財源界の東西横綱といえる。消費税はどれだけ不景気になろうが一定の税収をもたらすし、自国不換銀行券建て国債は日銀法第4条に基づいた日銀の献身的な支援をいつでも得られるので必ず金融市場に売却できる。
政府の一般会計の歳入の中で、消費税は「租税及び印紙収入(租税収入)」に属し、自国不換銀行券建て国債は公債金に属する。
消費税の支持者と自国不換銀行券建て国債の支持者は正反対である。緊縮財政の支持者は消費税を非常に好み、積極財政の支持者は自国不換銀行券建て国債を強く推す。平成時代以降の日本でもそのようになっている。
2つを比較すると次のようになる。
消費税で政府購入を増やす | 自国不換銀行券建て国債で政府購入を増やす | |
財源としての安定性 | ○ | ○ |
一般会計の歳入のどこに属するか | 租税及び印紙収入 | 公債金 |
支持者 | 緊縮財政支持者 | 積極財政支持者 |
消費税と自国不換銀行券建て国債は経済に与える影響という点で真逆の性質を持っている。それらで調達したお金で政府購入を増やす財政政策を比較すると違いがよく分かる。
完全な閉鎖経済の国において消費税を増税して得たお金で政府購入を増やすと、消費を減らして政府購入を増やすので、短期において総需要や実質GDPを一定に維持し、長期においてクラウディングアウトを発生させずに投資を一定に維持する。
完全な閉鎖経済の国において自国不換銀行券建て国債を売却して得たお金で政府購入を増やすと、消費を維持したまま政府購入を増やすので、短期において総需要や実質GDPを増やし、長期においてクラウディングアウトを発生させて投資を減らす。
新自由主義者と呼ばれる人々がおり、比較優位の理論に基づいて自由貿易を絶対的に支持している。
新自由主義が流行して自由貿易が絶対視されるようになった国においては、株主資本主義に基づいて企業の体力を強化して企業を自由貿易に対応させることが大いに要請される。そのため新自由主義と株主資本主義は同時に流行していく。
株主資本主義者にとって、大国開放経済の国である日本の政府が緊縮財政を採用することは望ましいことである。そうすると長期においてクラウディングアウトの逆が発生して、実質利子率が下がって投資と純輸出の量が増える。
実質利子率が下がると、貸し手の収益の実質値と借り手の費用の実質値がどちらも減り、借り手が得をする。企業というのは社債や銀行融資でお金を借りて事業を行う立場であり、借り手である。ゆえに実質利子率が下がると企業の利払い費用の実質値が減り、税引後当期純利益が増え、企業の体力が生まれる。
投資の量が増えるというのは、企業が購入する投資財の量が増えるということであり、工場などの生産設備が増えるということである。そうなると企業の収益が増え、税引後当期純利益が増え、企業の体力が生まれる。
株主資本主義者は労働者に支払う賃金を削って税引後当期純利益を増やして企業の体力を高めることを好む。そうした株主資本主義者にとって、緊縮財政が導入されて公務員の賃金が削られることは大いに喜ばしいことである。
大企業は労働市場において政府や地方公共団体と競合しており、高学歴の労働者を奪い合っている。高学歴の学生は「政府や地方公共団体に就職するか、それとも民間の名門大企業に就職するか」と悩むことが多い。
政府や地方公共団体が積極財政となり、高学歴公務員の賃金を引き上げると、労働市場で競合する大企業も高学歴労働者の賃金を引き上げざるを得ない。「高学歴労働者の賃金を引き上げないと、政府や地方公共団体に高学歴労働者をすべて奪われてしまう」と焦るからである。
政府や地方公共団体が緊縮財政となり、高学歴公務員の賃金を目一杯引き下げると、労働市場で競合する大企業も高学歴労働者の賃金を引き下げることができる。「高学歴労働者の賃金を引き下げても、政府や地方公共団体に高学歴労働者を奪われずにすむ」と安心するからである。
また、中小企業や一部の大企業は労働市場において政府や地方公共団体と競合しており、低学歴の労働者を奪い合っている。
政府や地方公共団体が積極財政となり、三公社五現業のような現業を行って低学歴の労働者を積極的に雇い入れて優しい労働環境で働かせるようになると、つまり就業保証プログラム(Job Guarantee Program JGP)を実施するのと似た状況になると、労働市場で競合する企業は「低学歴の労働者に対して賃金を引き上げて優しくすべきだ。そうしないと、政府や地方公共団体に低学歴労働者をすべて奪われてしまう」と焦るようになる。
政府や地方公共団体が緊縮財政となり、現業を民営化して、低学歴の労働者を積極的に雇い入れてある程度の優しい労働環境で働かせることをとりやめると、労働市場で競合する企業は「君たちのような低学歴の労働者は他に行き場所がない。労働環境が悪くても我慢しろ。賃金を引き下げられても文句を言うな」という威圧的な態度で労働者に接することができるようになり、低学歴の労働者に対して無限に賃下げすることが可能になる。
2003年12月ごろの経団連は新自由主義者と株主資本主義者が多かったようで、2003年12月16日に公表した2004年版経営労働政策委員会報告において「適正な人件費水準の管理」「賃金水準の適正化」「高止まりの賃金水準を、国際競争力を保てるような適正な賃金水準へ」といった表現をちりばめている。
「国際競争力を保てるような適正な賃金水準」というのは、自由貿易に対応できるような低い賃金のことである。自由貿易を絶対的に支持する新自由主義が労働者の人件費を引き下げる株主資本主義を必要とすることを表す言葉となっている。
株主資本主義者は規制緩和を望むことが多い。政府が規制緩和をすれば、その規制に対応するための費用を削減することができ、税引後当期純利益を増やして企業の体力を高めることができるからである。
規制緩和をするには国会議員にレントシーキングして法律を改正させたり官公庁に圧力を掛けさせたりすればいいが、国会議員を歓待するための費用が掛かるのでそうした手段を無限に行えない。
費用を掛けずに規制緩和をするには、緊縮財政にして政府の人員と予算を削減すればいい。そうすれば、規制の根拠となる法律が残っていても公務員のマンパワー(人手)が不足するので、規制したくても規制できなくなり、実質的に規制が緩和されていく。
世の中には人口資源の効率的な配分を目指す人たちがいる。そういう人たちのことは効率至上主義者と呼ぶことができる。
効率至上主義者は、政府が国土の均衡ある発展という目標を掲げて生産性の低い土地で大規模な公共事業を行って雇用を創出する姿を見ると反発し、「政府のせいで生産性の低い土地に人が縛り付けられていて、国富の生産にとって無駄で非効率な状態になっている」と批判する。そして生産性の低い地方公共団体における緊縮財政を好み、地方切り捨てと呼ばれるような政策を支持する。
また効率至上主義者は、政府が老人に対して年金や医療費補助金や介護費補助金を給付して老人を世話する産業の雇用を創出する姿を見ると反発し、「老人は生産性が低い存在であるので、老人を世話する産業は生産性が低い産業である」と述べてから「政府のせいで生産性の低い産業に人が縛り付けられていて、国富の生産にとって無駄で非効率な状態になっている」と批判する。
効率至上主義者は「緊縮財政になって小さな政府になれば、生産性の低い土地から生産性の高い土地へ人が移住するようになり、生産性の低い産業から生産性の高い産業へ人が転職するようになり、人口資源の効率的な配分が行われ、国富の生産が効率的になる」とか「政府が経済に介入することで、無駄で非効率なことになる」と主張する。このため効率至上主義者が緊縮財政の強固な支持層となっている。
ちなみに、政府が生産性の低い土地で大規模な公共事業を行って雇用を創出することには一定の意味がある。生産性の低い土地で雇用を創出して、生産性の低い土地に人を張り付かせると、人口空白地域の発生を食い止めることができ、治安を維持することができる。人口空白地域は凶悪犯罪の証拠品を隠滅するのに最も適した場所であり、人口空白地域が増えるほど凶悪犯罪を行いやすくなって治安が悪くなる。生産性の低い土地への支出は治安維持費と考えることができる。
また、政府が老人に対して年金や医療費補助金や介護費補助金を給付して老人を世話する産業の雇用を創出することには一定の意味がある。老人というものは怪我や病気になりやすい存在であり、医療器具への需要を作り出す存在である。医療器具の中には生産するのが非常に難しいものが多く[1]、医療器具への需要を増やすと高品質な切削工具・切削油・工作機械・CAD・CAMへの需要が増え、製造業の技術が大いに底上げされる。老人への年金・医療費補助金・介護費補助金は産業振興費と考えることができる。
財務省のなかで支配的な権力を持っているのは主計局である。
財務省主計局というのは財政再建が大好きであり、財政再建を国是(国の大方針)ならぬ「局是(局の大方針)」としている。財政再建を旗印に掲げていると財務省主計局としては権力も増えるし、とても仕事をしやすくなるのである。
財務省主計局は財務省のなかで支配的な存在なので、主計局の局是がそのまま財務省全体の「省是(省の大方針)」となる。
霞ヶ関の各省庁というのは外から見るとどれも同じように見えるが、はっきりと2種類に分けることができる。財務省と、財務省以外の省庁である。
財務省主計局は財務省以外の各省庁に対して絶大な権力を持っている。財務省以外の各省庁が「予算を付けてください」とお願いしてくるのに対し、財務省主計局は凄まじい勢いで勉強して理論武装し、そのお願いに対して理屈でもって欠点を指摘して、お願いを撤回させるのである。
財務省主計局においては「他省庁のお願いを叩き潰して予算を減らすほど出世できる」と言われるが、その噂もあながち間違っていない。
財務省主計局というのはお財布の紐を引き締める係の役所で、財務省以外の各省庁はお財布の紐を必死こいて緩めようとする係の役所である。お財布の紐をきっちり引き締める立場の人がいないと放漫財政になってしまうから、財務省主計局のやりかたも間違っていないと言える。
財務省主計局が他省庁のお願いを却下するときは、そのお願いに関して猛勉強を重ね(難しい国家試験を通ってきた人たちなのだから勉強は得意である)、「その計画では人的資源や日時の無駄であります。お国のためになりません」と言うのがお決まりのパターンなのだが、そういう猛勉強をサボる方法がある。それが財政再建である。
「財政再建のため予算を付けられません。歳出削減が必要なのであります」と一言言うだけで他省庁のお願いを却下することができる。お勉強をする労力を省くことができ、財務省主計局にとってまったくもって好ましい状況になる。
財政再建という魔法の一言で他省庁の予算を削減することができ、財務省主計局の権力が一気に増大する。このため財政再建は財務省主計局の局益となり財務省の省益となる。
財務省主計局が勉強して「この事業がここがムダだ」と指摘し、財務省以外の各省庁が勉強して「この事業のここが必要だ」と反論する。このような勉強合戦により、事業に関する知見が深められ、国家の発展が促されていく。しかし、そうした好循環を断ち切ってしまうのが財務省主計局の「財政再建が必要ですので」の一言である。
民間企業の経営者たちは財政再建を主張する傾向が強い。
経団連、日本商工会議所、経済同友会の3団体を経済三団体と言い、民間企業の社長・会長が多く集まっている。その経済三団体は常に財政再建を主張していて、しかも財務省の主張と全く同じ論調になっている。
これはなぜかというと、民間企業は財務省に頭が上がらないからである。民間企業が財務省を批判したり財務省の省益を損ねたりすると、税務調査で報復される。財務省とその傘下の国税庁・税務署を恐れるため、財務省の財政再建論に全面的な賛同をしている。
民間企業の経営者にとって税務調査ほど恐ろしいものはない。「税務署の調査で家に入られ、家中をひっくり返されてすべてをことごとく調べられた」という話はよく聞かれることである。
「税務署を怒らせないために東証一部上場の超一流企業の社長・会長が直々に税務署の署長へ挨拶にうかがう」という話もよく聞かれる。
このあたりの事情を証言した文章があるので引用しておきたい。
数年前までは、中小企業の経営者の集まりで私が大蔵省の批判をしますと、皆さん目を伏せられたものでした。官僚のトラブルがマスコミで伝えられるようになって、このごろは安らかに聴いていますが、以前は本当に怯えていました。国税庁にも税務署に対しても怯えている。講演の主催者から予め、官僚批判だけはやめてくれという申し入れがあることも珍しくなかった。どうも谷沢は公然と大蔵批判をやっているらしい、危ない男であるらしいと。そういうことを自分たちが聞いたという実績を残したくない。聞くだけでも怖い。谷沢と同類と思われると税金で報復される、と心配されていた。
-『拝啓 韓国、中国、ロシア、アメリカ合衆国殿―日本に「戦争責任」なし(光文社)』256ページより引用 発言者は谷沢永一-
民間企業の社長というのは従業員を養っていかねばならない立場であり、冒険をすることができない。財務省の言いなりになってひたすら安泰を願うというのは、無理もないことである。
日本国債はすべて自国不換銀行券建て国債であり、「日銀法第4条によって日本政府の強い影響を受ける日本銀行が発行する不換銀行券を支払う」と日本政府が約束するものである。自国不換銀行券建て国債は、政府の影響力を受ける中央銀行が無限の通貨発行権を行使して返済することができるので、政府が支払い不可能になる可能性が全く存在しない[2]。政府にとって自国不換銀行券建て国債は極めて軽い負債である。
しかし、日本国債がすべて自国不換銀行券建て国債であることを認めると、積極財政の支持者の勢いが強くなって緊縮財政の支持者の勢いが弱まってしまう。
このため緊縮財政の支持者は、「日本円は兌換銀行券である」とか「日本国債はすべて自国兌換銀行券建て国債である」という感覚で物事を話し、商品貨幣論から発生する兌換銀行券幻想を故意に流布することがある。
たとえば、緊縮財政の支持者は、「日本政府の円建て国債が増えて円建て財政赤字が増えることは財政の深刻な悪化である」「日本政府の円建て国債は子孫が税金で返済するしかないので子孫にツケを回すことになり子孫を苦しめる」「日本政府が円建て国債を発行するとその国債を税金で返済するしかないので民衆が将来の増税を予感するようになって貯蓄に励んで消費が落ち込む、つまりリカードの等価定理のとおりになる」「政府の財政は一般家庭の家計簿と同じである」といった言い回しを好む。それらの言い回しはすべて日本円を兌換銀行券と見なす感覚で語られる。
商品貨幣論はある程度の説得力がある理論であり、それから発生する兌換銀行券幻想もある程度の説得力がある。そのため緊縮財政の支持者にとって兌換銀行券幻想は強力な味方となり援軍となっている。
緊縮財政の支持者は、「日本円は兌換銀行券である」という感覚で物事を話し、兌換銀行券幻想を故意に流布して、人々が緊縮財政を支持するように誘導している。
そして緊縮財政の支持者は、そうした心理操作をさらに拡大し、人々の罪悪感を刺激するという手法を使って、人々が緊縮財政を支持するように誘導している。「国債発行は、将来の子孫に負担を押しつけて迷惑を掛ける行いであり、とても罪深くて悪い行いだ」という言い回しで国債発行を罪悪視し、国債発行を主張する者を犯罪者扱いする。
1936年の二・二六事件における軍部は反乱将兵に向けて「下士官兵ニ告グ」から始まるビラを撒いて投降を促したのだが、そのとき「オ前達ノ父母兄弟ハ國賊トナルノデ皆泣イテオルゾ」という一文を書き、「君の行動で君の身内に迷惑がかかる」と告げて、反乱将兵の罪悪感を刺激した。
21世紀の日本における緊縮財政の支持者も積極財政の支持者に対して「国債を発行すればお前たちの子々孫々は借金持ちとなるので皆泣くことになるぞ」と告げることを得意中の得意としており、「君の行動で君の身内に迷惑がかかる」と告げて、相手の罪悪感を刺激している。
大平正芳は1975年の予算編成の際に大蔵大臣を務めていた。税収が不足したので10年ぶりに特例国債法を制定して特例国債を発行することになった。このとき大平正芳大臣は「万死に値する。一生かけて償う」と発言したと伝えられている(記事)。もう、まるっきり、国債発行を犯罪と扱っている。
余談ながら、道徳・倫理の点で責め立て、「あなたは罪を犯した悪い人だ」と糾弾し、「自分は迷惑を掛けた、申し訳ない」という自責の念を持たせ、罪悪感で金縛りにする、というのは、人を支配する上でとても有効な技法である。
人というのは、やはり良心的な存在であり、道徳や倫理をかなり気にする種類の生命体である。「お前は悪いことをした犯罪者だ」と直言されると、誰しも顔色を失い、弱気になり、ひどい場合は脚が震えて涙を流すことになる。人はそれだけ道徳を気にする生物である。もちろん、ごく少数の例外がいて、そういう例外はサイコパスと呼ばれるのだが、やはり道徳を気にする良心的な人の方が圧倒的に多い。
だから、人のそういう性質を利用しようとする者も現れる。信者に対して「君は悪いことをした」と吹き込む宗教がしばしば見受けられるが、信者の罪悪感を刺激して弱気にさせて支配しやすいようにしているわけである。
緊縮財政を政府や国会に対して要求してくる法律というと財政法第4条である。
財政法第4条 国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない。但し、公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる。
「橋や道路の建設といった公共事業に関するものの財源には国債を使ってよい」と定めている。この国債を4条国債とか建設国債という。
「企業に対する出資金や貸付金の財源には国債を使ってよい」と定めている。この国債も4条国債という。
政府が公共事業を行って橋や道路のような固定資産を作ったり、政府が企業に対して出資したり貸し付けしたりして株式や長期金銭債権のような固定資産を作ったりして、政府の貸借対照表の資産の部の数字を増やすときは、国債を発行して政府の貸借対照表の負債の部の数字を増やしてもよい。これが財政法第4条の内容である。
「政府の貸借対照表の資産の部の数字を増やさない政府購入は国債でまかなってはならない」と定めている。つまり公務員の給料の支払いだったり、政府の抱える研究機関の開発予算だったり、そういう人件費の政府購入の財源として国債を発行することを禁じている。いかにもといった感じの緊縮財政志向の法律である。
財政法第4条を守っていては政府予算が組めないので、特例国債法という時限を限った法律[3]を国会で成立させ、政府の貸借対照表の資産の部の数字を増やさない政府購入にあてるための国債を発行している。これを特例国債という。
要するに財政法第4条は骨抜きにされているのである。
財政法第4条を骨抜きにする国会議員たちにも言い分があり、「財政法の上位にあたる憲法第83条や第85条では『どれだけ国債を発行するかは国会が自由に決めてよい』と解釈できる条文になっている」というものである。
日本国憲法第83条と第85条は次のようになっている。
日本国憲法第83条 国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない。
日本国憲法第85条 国費を支出し、又は国が債務を負担するには、国会の議決に基くことを必要とする。
これらの条文から導かれるのは財政民主主義という思想であり、「国民の代表者である国会には国の財政を決める権限が与えられている」という解釈である。そして「国会が政府の貸借対照表の資産の部の数字を増やさない政府購入にあてるための国債を発行することを決議したら、その意向が通るのは当然だ」という解釈が成り立ち、財政法第4条もあっさりと無視される。
ちなみに日本国憲法にはこういう条文もある。
財政法第4条というのは法律なのだが日本国憲法にはとても勝てない。第41条と第83条と第85条の3つに逆らうことは不可能である。こうして財政法第4条は毎年のように完全無視されている。
財政法が制定されたのは1947年(昭和22年)である。この法律の立案に関わったのが平井平治で、大蔵省主計局法規課長の地位にあった人物である。
この人は反戦平和の思想を胸に秘めていた人で、「戦争は政府の貸借対照表の資産の部の数字を増やさない政府購入だが、それを遂行するには国債の発行が不可欠である。ならば政府の貸借対照表の資産の部の数字を増やさない政府購入のための国債を発行不可能にしてしまえば戦争をすることができなくなる」という発想のもとに財政法第4条を立案したという。そのことは1947年出版の『財政法逐条解説』という本に記されている。
日本の左派政党というと反戦平和をとても熱心に主張する。その左派政党の1つである日本社会党は1965年に初めて特例国債法が可決されたときに「特例国債は戦争につながる」と猛反対していた。また21世紀現在において、日本共産党は特例国債法を常に批判するし、立憲民主党も特例国債法に対して批判的な態度を取りがちである。
反戦平和と緊縮財政は相性がいい。
※この項の資料・・・『平和主義は貧困への道 または対米従属の爽快な末路(ベストセラーズ)佐藤健志』40~50ページ、しんぶん赤旗2008年4月24日版
日本国憲法の前文というのは各条文の前にある文章で、同憲法の趣旨について記している。そこには「政府は国民に福利をもたらすべし」という文章が記されている。
日本国憲法前文 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
「国民が国政の福利を享受する」と書いてある。これはもちろん政府に対して「国民に福利をもたらすような財政政策をせよ」と命じていることになる。
日本は大国開放経済の国である。生産設備が十分に揃っていない時代の日本で緊縮財政をすればクラウディングアウトの逆が発生して投資と純輸出が増えるので、投資によって生産設備を充実させることができ、国民に福利をもたらすことができる。生産設備が十分に揃った時代の日本で積極財政をすればクラウディングアウトが発生して投資と純輸出が減るので、過剰投資を抑制でき、大不況の原因を絶つことができ、国民に福利をもたらすことができる。
つまり、憲法前文に従うのなら、時勢に応じて積極財政と緊縮財政を使い分けねばならない。
積極財政を政府に対して要求してくる法規というと、憲法第25条第2項である。
日本国憲法第25条第2項 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
いかにもといった積極財政寄りの条文である。このため積極財政の支持者にとって日本国憲法第25条第2項は心のよりどころである。
ただ、日本国憲法第25条を根拠にして裁判所が「立法不作為の違憲確認判決」を出すことは、裁判所が国会に「○○の法律を制定せよ」と迫ることになり、国会の立法権を侵害しかねない。裁判所の権力が強くなりすぎて三権分立をおびやかす危険性がある。
日本国憲法第25条を根拠にして裁判所が「著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用をしている」という判決を出すことは、裁判所が政府や国会に「△△の件について予算を増額せよ」と迫ることになり、内閣の予算編成権と国会の予算議決権を侵害しかねず、財政民主主義を否定しかねない。やはり裁判所の権力が強くなりすぎて三権分立をおびやかす危険性がある。
このため、日本国憲法第25条を根拠に裁判所が判決を下して政府や国会に変革を迫ることは、まったく発生しないわけではないが、現実的には発生しにくい。
日本国憲法第25条というのは、積極財政を主張する国民・国会議員にとって心の励ましになるという程度で、それを根拠に裁判所が力強く動き回るわけではない。
日本国憲法には、「政府の貸借対照表(バランスシート)が債務超過になることは許されない」という考えを示す文章が出てこない。前文にも出てこないし、そういう内容の条文も存在しない。
何故そうなのかというと、「国家の存亡を左右するような重大事態が発生したら、政府は債務を大量に発行してでも対応すべきである」という思想があるからである。
国家の存亡を左右するような重大事態というのは、要するに、他国軍隊の侵略とか、反政府武装勢力との内戦のことである。そういう事態に追いこまれたとき「債務超過になってはいけないから国債を発行せずに済ませよう」などと寝ぼけたことを言っていると、あっという間に首都を占領され、国家が滅亡してしまう。
アメリカ合衆国の歴史を振り返っても、南北戦争という内戦で国債を大量発行したし、対外戦争でも国債を大量発行した。国家の危機を乗り切るためには国債発行が必須である。
「国債を大量発行して政府購入を増やして国家の主権を維持する」という選択肢を政府に与えるため、日本国憲法には「政府の債務超過を許さない」という条文が入っていない。
財政政策というのは緊縮財政の支持者と積極財政の支持者が激しく対立する分野である。
両者はあまりにも激しく対立しており、その抗争の模様は情報戦といってよいレベルに達している。お互いが情報戦で優位に立つべく高度で巧みな技術を駆使し、知恵をひねり出している。
高度で巧みな技術を用いた情報戦というが、要するに蔑称を与え合っているのであり、いわば悪口合戦であり、レッテル張り合戦である。相手を悪いイメージの付いた名で呼んで相手のイメージを悪化させ、イメージの世界で勝利しようと頑張っている。
緊縮財政の支持者が積極財政の支持者に与える蔑称は以下のようなものである。
これに対し、積極財政の支持者が緊縮財政の支持者に与える蔑称は以下のようなものである。
掲示板
229 ななしのよっしん
2024/01/11(木) 13:33:12 ID: OcZCf7TTLV
@sousanusi
立憲民主党米山議員の能登半島復興否定論とそれを礼賛してる人を見てると、「コンクリートから人へ」の精神はまだまだしぶとく生き続けてるんだなと思いました。
https://
230 ななしのよっしん
2024/01/15(月) 18:32:56 ID: wdCD6VdRGY
>>223
実際にってあんたそういう現場目の当たりにしたの?夜警君
231 ななしのよっしん
2024/02/03(土) 18:53:54 ID: XdYHkvrziG
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最終更新:2024/04/20(土) 11:00
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