足利義満とは、室町幕府の第3代将軍、日本国王。1358年生まれ、1408年没。
室町幕府の初代将軍足利尊氏の孫、2代将軍義詮の子。
父の死を受けて1368年、11歳で征夷大将軍となる。管領の細川頼之らの補佐を受け、南北朝時代の騒乱において、南朝方の勢力を抑えつつ幕府権力の強化に務めた。
有力守護の山名氏や大内氏を挑発してこれを討伐し、1392年には南朝と北朝に分かれていた天皇家の再統合に成功する。
1394年に将軍職を子の義持に譲り出家するも実権は握り続け、1401年に明国へ遣明使を派遣。
翌年、建文帝から「日本国王源道義」として冊封され永楽帝即位後の1404年より勘合貿易が開始された。
また、金閣寺(鹿苑寺)建立に見られる北山文化を牽引している。
1408年に51歳で急死。死後、その政策の多くは子の義持に否定されるが、室町幕府の全盛期を築き上げた名将軍としての評価が高い一方で、位人臣を極め天皇位をも伺う野心を持っていたとされ、今もその動静や死因は多くの研究者の疑念を呼ぶ。
ピエロだの麿だの言われている「将軍さま」(一休さん)の印象が強い方も多いだろう。
そして、この設定がコーエーの「信長の野望」の諸王の戦いシナリオオープニングで…
上白沢慧音のスペカに野符「義満クライシス」というのがある。
なんで義満なのかは話すと長くなるので置いておいて、あっち系の動画にはタグに「俺の神器が義満クライシス」と付いていることも。
掲示板
50 ななしのよっしん
2023/08/15(火) 06:26:57 ID: G51eVAI+to
自分の代では御所巻もされてるし戦場にも立ってるけど、義持の代にはいずれも起こらなかった。だから義持時代こそ全盛期とする意見が多いのだけど、その基盤を息子に残したのが義満の偉大さだと思う。
義持本人の育成も、教育や側近選び等かなり気を使っていて、10年程かけて段階的に政権を移譲していってる。ただこれは将軍個人への属人性が強いということでもあって、義量義持の急死から幕府が迷走しだすんだけど。
あと義持との不仲説は根拠がなくて、当時としては普通の仲だった様子。義持も義満の遺産を取捨選択こそすれ、別に否定はしていない。この辺は2000年代以降に義持研究が進んで大きく変わったところ。
51 ななしのよっしん
2023/12/06(水) 17:32:14 ID: FnZEWlTIaU
52 ななしのよっしん
2024/02/12(月) 19:44:12 ID: SEob5NIBbu
ブルアカのイブキの瞳の中にいることにされるとは思わんかったろな
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最終更新:2025/04/20(日) 02:00
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