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足利義澄単語

アシカガヨシズミ

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足利義澄(あしかが・よしずみ)とは、日本戦国時代の人物であり、室町幕府の第11代征夷大将軍。生年1481年1月15日~没年1511年9月6日

概要

堀越足利政知息子で、8代将足利義政の甥。12代将足利義晴

細川政元が起こしたクーデター明応の政変」により、10代将足利義材従兄弟にあたる)に代わって将軍に就いた人物。この政変が戦国時代の始まりと位置づけられる事も多い。

就任の経緯から、幕府の実権は細川政元に握られることになった。ただの操り人形という見解が支配的だったが、近年はいろいろ政元と駆け引きをしている点も注されている。

ところが政元が暗殺され、追放されていた義材が反撃に出てきたことで今度は逆に自分が京都を追われてしまった。細川澄元(政元の養子)と近江で反撃を試みるが、まもなく病死した。直後の船岡山合戦で澄元も大敗し、義澄は潜伏することになった。

生涯

文明12年に伊豆堀越の屋敷にて生誕。父親関東の支配者として派遣された鎌倉に入れず結局伊豆地方に収まった、初代堀越足利政知母親武者小路出身の女性足利茶々丸に潤童子がいる。

当初は足利義政の意向で出して僧籍に入り清(せいこう)を名乗る。そのまま天龍寺の後継者として穏に過ごしていくハズだった。

しかし、足利将軍出身という血筋が彼を歴史の表舞台に引き立たせた。明応2年(1493年)4月明応の政変という、時の征夷大将軍足利義材(後の足利義尹足利義稙)を部下であるの管領・細川政元日野富子や伊勢貞宗と組んで位・追放するという大事件が起こる。将軍クーデターで追い出されるという事件により応仁の乱後もなんとか保たれていた室町幕府の秩序は崩壊した。そんな事件により位となった将軍位。次はだれを付けるか?となった時持ち上がったのが清であった(クーデター前からを付けられ将軍就任を打診されていた)。話に乗っかった清は還俗して義遐(よしお)次いで義高と名。文2年(1502年)7月には更に名して義澄と名乗っている(以降表記は義澄と統一)。明応3年(1494年)12月に新将軍として即位した。若年だった事や将軍就任の経緯から義澄に実権はいに等しく、幕府運営は政元や富子といった有者達に握られていた。将軍就任前に行われた元式は細川のための式典といった状態で、政元のワガママで式が延期されるといった有り様だった。

なお、将軍就任と前後して堀越方に就任していた茶々丸北条早雲に攻め滅ぼされているが、早雲堀越襲撃を示したのが義澄一だという。茶々丸方就任の際に異の潤童子と継(義澄にとっては実のと実の)を殺しており、その敵討ちを兼ねていた。また、クーデター将軍になった身として、将軍位を狙える立場であった茶々丸の存在は放っておけないモノだった。

傀儡だった義澄も成長するにつれて政元と対立するようになる。これだと前将軍と同じ末を辿るのは確実なので、義澄は寺に引き籠ったりといった駆け引きの末に将軍位を狙える立場にあった義忠(ぎちゅう、義材の異)を処刑させている。これによって義材以外に将軍になれる人物はいなくなり、政元は「ウザく感じたから将軍すげ替え」という行動を封じられた。それにより、暫くは義澄と政元は対立しながらも協体制を築いていくという状況が続いていく。

そんな状況は永正4年(1507年)6月に政元が殺される(永正の錯乱)と一変し、いきなり後ろを失ってしまう。翌年永正5年(1508年)には義尹(義材から名していた)が中国地方の実者である大内義興の協を得てに上って来た。ビビった義澄はから逃亡。そのまま義尹に将軍位を奪い取られた。

論そのまま黙っているワケがない。細川澄元などの大名達にを飛ばして攻め上らせたり・義尹暗殺を企てたりと復権を企むが、悉く失敗している。それでも諦めずに暗躍した結果それなりに勢を巻き返し義尹との決戦にまで漕ぎつけるが、決戦直前に病に倒れ死亡した。享年32歳。将軍復帰を果たせないままでの最期だった。

その義澄連合と義尹連合との決戦である船岡山合戦も義尹軍の勝利に終わり、義尹の将軍復帰が確定した。義澄が果たせなかった野望は息子足利義晴(12代将軍)と足利義維(14代将足利義栄父親)に引き継がれる。

関連項目

掲示板

  • 1ななしのよっしん

    2017/02/16(木) 01:06:25 ID: qOfkwkfaap

    数十年前の今明あたりの研究だと細川政元の傀儡みたいな扱いされていたけど、
    最近ではだいぶ自分の意志で行動してたっぽいってことが明らかになってきた感じの人

  • 2ななしのよっしん

    2018/09/15(土) 10:28:36 ID: z1FC9IKx0x

    しかし足利将軍は、父親が暗殺されたり、兄弟従兄弟同士で争ったりとか多すぎ。
    親の縁がことごとく悪いのな

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最終更新:2020/01/22(水) 00:00

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最終更新:2020/01/22(水) 00:00

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