近江八幡市(2021年9月1日時点) | |
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面積 | 177.45km2 |
人口 | 81,458人 |
市の花 | コスモス ムシャリンドウ |
市の木 | サクラ |
隣接 市町村 |
滋賀県 東近江市 野洲市 日野郡竜王町 |
古来から日牟禮八幡宮が祀られていた八幡山に、豊臣秀次の築いた「八幡城」の城下町を基礎に発展。江戸時代には、八幡の街は在郷町として繁栄、全国にその名を馳せた「近江商人」の本拠地として栄えた。
明治期になると、こういった近江商人の多くは東京や大阪で商売を営むようになったが、代わりにやってきたのがウィリアム・メレル・ヴォーリズ。現在の八幡商業高校の英語科教師としてやってきた彼は、のちに建築家や宣教師としても活動し、多くの洋風建築を残した。市内にも旧市街地の一角、池田町に彼の設計した洋館群が固まって残されている。またメンタームを生産している「近江兄弟社」は彼の手により、宣教のための経済基盤として創業された会社。現在でも市内に本社を置いているほか、”祖業”ともいえる建築設計や「近江兄弟社学園」といった事業も手掛けている。
こういった経緯から旧市街地には江戸時代に建てられた近江商人の邸宅やヴォーリズ設計の洋風建築が多く残されている。この旧市街地の景観は「伝統的建造物群保存地区」に、池田町の洋館街は多くが重要指定文化財に指定され、保全が図られている。
2010年に安土町と合併したが、この安土町は言わずもがな、有名な織田信長の「安土城」の町で、これに関連した史跡が多く残されている。また、安土町を中心に広がる西の湖を中心とした地域では、近江商人の主な取扱品目であった葦の栽培が盛んで、現在でも文化の一部に根付いている。こういったことから、西の湖周辺の地域は「近江八幡の水郷」として、重要文化的景観に指定されている。
西の湖と城下町は八幡堀という水路で結ばれており、観光資源として遊覧船が運航されている。この遊覧船の旧市街側の乗り場近くには近江商人から菓子屋に転身したたねやクラブハリエのフラッグシップ店「ラコリーナ近江八幡」があり、緑と食を融合させた観光スポットとして人気を集めている。
また、中心駅近江八幡駅に接続する近江鉄道線に乗りさらに内陸に入ると、旧中山道の「武佐宿」があった武佐地区があり、往時の歴史をしのばせる街並みとなっている。
琵琶湖近辺まで出ると、琵琶湖らしい「水泳場」や湖面漁業の漁港がある。現在は彦根市で開催されている「鳥人間コンテスト」は、ごく初期は近江八幡の水泳場にて開催されていた。またこれらへのアクセス手段である湖岸道路はツーリングの名所として知られるほか、その沖合には日本で唯一湖の上に浮かぶ指定離島・沖島がある。当然交通手段は船で、島民は一家に1艘船を所有しているともいわれている。この湖岸一帯の地区名は「島」で、名の通り現在山として残っている地域を中心に島として琵琶湖に浮かんでいたのが、干拓により陸続きになったものである。
一方、こういった歴史資源から離れた地域は琵琶湖線沿線らしい「駅前に平和堂&滋賀銀行&京進、少し琵琶湖のほうに行くと住宅街と田んぼが広がる」という地域である。市街地の保全がうまくいったのも、中心駅の近江八幡駅と旧市街地が少し離れており、旧市街地を飲み込む形で住宅開発が進まなかったことも一因にあると思われる。実際に住宅街が集中しているのも篠原駅、近江八幡駅、安土駅という琵琶湖線の3駅の近辺であり、近江八幡駅南側には工場のほか平和堂・イオン・ケーズデンキと大型小売店が立地、国道8号は街外れを通り、名神高速道路に至っては通過すらしていないと、広域的な道路交通が貧弱なこともあってか商業の一大集積地となっている。武佐宿周辺も、近江鉄道の南西側に目を向ければ工業団地が広がっている。また、一時期は借金が積もりまくっていた時期があり、周辺の竜王町からは合併を拒まれてしまっており、安土町との合併の際も町が賛否で割れる結果となった。
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最終更新:2025/03/24(月) 15:00
最終更新:2025/03/24(月) 14:00
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