(このえてんのう 1139年6月16日~1155年8月22日)とは、第76代天皇である。 諱は「体仁(なりひと)」。
1139年に、鳥羽天皇と藤原得子(美福門院)の第九皇子として生まれる。
1142年に崇徳天皇に代わって即位したが、即位時2歳だった為、父の鳥羽上皇が院政を敷いた。
近衛天皇に続いて鳥羽上皇が崩御すると、朝廷が後白河天皇と崇徳上皇それぞれを押す派閥で割れ、平清盛台頭につながる保元の乱が起きた。
近衛天皇がお隠れになった後、口寄せにより現れた近衛天皇の霊は、愛宕山の天公像の目に何者かが自分を呪う為に釘をうち、そのせいで亡くなったと言った。調べてみると、6年前の夜中に誰かが打ち付けたという証言が得られた為、近衛天皇の崩御は藤原頼長の呪詛であるという噂が流れた。
75代 | 76代 | 77代 |
崇徳天皇(すとくてんのう) 1123~1141 |
近衛天皇(このえてんのう) 1141~1155 |
後白河天皇(ごしらかわてんのう) 1155~1158 |
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最終更新:2024/09/19(木) 09:00
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