近隣窮乏化政策(Beggar thy neighbour)とは、経済学の言葉である。
自国の純輸出を増やすことで他国の失業を増やして他国を窮乏させることを近隣窮乏化政策という。
A国が純輸出を増やすことを過大に行うと、A国以外の国は国内産業が不振に陥って失業者を増やして窮乏することになる。こうしたことは「失業の輸出」「不景気の輸出」「貧困の輸出」などと言われる。
近隣窮乏化政策のためには純輸出を増やす必要があるが、その方法としては次の4つが考えられる。
1.や2.は通貨安競争とも呼ばれる。
3.や4.は保護貿易の一種である。
発展途上国は、国内の資本量が少なくて国内の生産設備が少なくて産業の規模が小さく、他国の産業を破壊するほどの輸出量を作り出せない。このため発展途上国が純輸出を増やす経済政策を実行しても、「あの国は近隣窮乏化政策を実行している」という批判を受けることが少ない。
先進国は、国内の資本量が多くて国内の生産設備が多くて産業の規模が大きく、他国の産業を破壊するほどの輸出量を作り出せてしまう。このため先進国が純輸出を増やす経済政策を実行すると、「あの国は近隣窮乏化政策を実行している」という批判を受けることが多い。
日本は1945年頃から1960年代中盤ごろまで発展途上国であったので、その頃までは純輸出を増やしても「あの国は近隣窮乏化政策を実行している」という批判をさほど受けなかった。
1968年になって日本は国民総生産(GNP)が世界2位になった。この年以降の日本は先進国であると考えても差し支えない。1970年代以降になって日本の純輸出が他国から問題視されるようになり、日本は他国から「あの国は近隣窮乏化政策を実行している」という批判を浴びるようになった。特にアメリカ合衆国からの批判が厳しく、繊維や鉄鋼や自動車や半導体などの分野における日米貿易摩擦がたびたび外交の話題となった。
1929年にアメリカ合衆国を出発点とした世界恐慌が発生し、1930年代はどこの国も不景気に喘ぐことになった。
そんな中で、多くの国が自国通貨安を作り出したり輸入関税を高める保護貿易を導入するブロック経済を作りあげたりして純輸出を増やすことに明け暮れた。つまり言い換えると、多くの国が近隣窮乏化政策を実行した。このことを「1930年代の通貨安競争」という。
この1930年代の近隣窮乏化政策の流行が第二次世界大戦の遠因になったとも言われている。
1945年から1971年のあいだ維持されたブレトンウッズ体制は、1930年代の通貨安競争を再発させないことが目的の1つだった。
近隣窮乏化政策の英語での名称はBeggar thy neighbourである。
1932年に英国の経済学者が『Beggar My Neighbour!: The Reply to the Rate Economy Ramp』という著作を発表した。このときは「Beggar my neighbour」という名前だった。
しかし「Beggar my neighbour」という名前は、1840年頃に英国で発明されたカードゲームの名前としてすでに使われていて(記事)、経済学の概念を指し示す言葉としてふさわしくない。
1840年頃に英国で発明されたカードゲームと区別するため、経済学の言葉の方を「Beggar thy neighbour」とするようになった。thy(ザイ)はかなり古めかしい言葉であり、日本語に翻訳する場合は「なんじの」「そなたの」といった時代劇に出てくるような言い方にするのがふさわしいほどである[1]。
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