連合赤軍 単語

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連合赤軍とは、1970年代前半に活動した左翼過激派(新左翼)のテロ組織である。

概要

そもそも「新左翼」とは、日本共産党(既成左翼)が武装闘争・暴力革命の方針を放棄したことに反発し、既成左翼批判しながらデモテロなどの行為に走った過激派のことである。1960年代には安保条約に反対して国会に突入するといった過行動を行った。だが、安保条約が成立すると止められなかったことで「敗北」を認め、以降は方針の違いなどで分流・独立・合流を繰り返した末に、グループ同士で対立して内ゲバを起こし、次第に勢は衰退へと傾いていった。

連合赤軍はそんな1970年代学生運動が下火化しつつあった流れに逆らって先鋭化し、数々の暴動テロを引き起こした過激派の集団である。 共産主義者同盟赤軍(通称・赤軍)と日本共産党革命神奈川委員会(通称・安保共闘あるいは単に革命[1]が合流してできた。両とも各地での銀行強盗都市テロで以前から悪名をかせていた組織であった。

だが赤軍よど号ハイジャック事件での幹部の外逃亡や大菩薩事件での構成員の逮捕で急速に弱体化安保共闘も武はあるが体力い組織であり、銀行強盗で得たを有する赤軍強盗で得たと弾を有する安保共闘のお互いの利の一致により、1971年、両閥は合流することとなった。だが、安保共闘はこの途中で合法部(法律の範囲内でデモなどを行う部隊)と非合法部(犯罪テロなどを行う部隊)が対立して分裂し、非合法部のメンバーだけが連合赤軍に参加している。

公安の捜網が狭まったこともあり、毛沢東思想に感化された者の多かった連合赤軍は毛沢東の戦術に倣い、活動の拠点を都市部から各地の山岳地帯に建設された「ベース」と呼ばれる拠点に移して山の中でゲリラ戦術を想定した独自の軍事訓練を行いはじめる。

が、双方の導権争いや山中という閉鎖間での構成員内の人間関係の不和から総括と称する自己反省行為が化・私刑化し、1971年末から1972年2月にかけて榛名山・葉山・妙義山の各ベースで幹部2名を中心とする魔女裁判じみた「総括」が開始され、結果的に構成員12名が殺された。(山岳ベース事件)

その後ベースに捜の手が及んだ事を察知し長野県へと逃亡した生き残りの構成員5名が、に迷って軽井沢の別荘地に出た所をで警察に発見されてしまう。この5名は別荘地内の会社保養所「あさま山荘」へ押し入り、管理人の妻を人質に9日に渡って立てこもったのであった。(あさま山荘事件)

結果的に山岳ベース事件での12名の私刑、前述の幹部2名とあさま山荘事件の5名を含む生存者の逮捕で連合赤軍は壊滅した。あさま山荘事件の様子がテレビ中継されたことや山岳ベース事件の凄惨さから、新左翼に対する世間のは「政府に反抗する学生運動」から「殺し合いをする危険集団」へと全に地に堕ち、衰退の方向へと向かっていく。

逮捕されたメンバーのうち1名は2年後に日本赤軍が起こしたクアラルンプール事件での超法規的措置により釈放され、外脱出後に日本赤軍に加盟。現在指名手配されている。

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脚注

  1. *日本共産党と名乗っているが、現在国会に議席を持つ「日本共産党(通称・代々木)」とは直接的に関係
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