進藤拓也(しんどう たくや、1992年7月16日-)とは、秋田県大仙市出身の元プロ野球選手(投手)である。
OB | |
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進藤拓也 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 秋田県大仙市 |
生年月日 | 1992年7月16日 |
身長 体重 |
186cm 90kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2016年ドラフト8位 |
引退 | 2021年 |
経歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
西仙北高校時代は無名だったが、3年生夏の県大会で40イニング連続無失点という大会タイ記録を樹立し、同校最高となるベスト4進出に貢献。
横浜商大進学後はすぐに肩を痛めたこともあり、在学中は3勝に留まる。プロ志望届は提出せず、2015年にJR東日本に入社。
1年目から主力として登板するが、制球難に苦しむ。翌2016年5月にサイドスローに転向し、救援を中心に登板。
2016年度新人選手選択会議で横浜DeNAベイスターズから8巡目指名を受け入団。背番号43。
2017年、春季キャンプから一軍に帯同。オープン戦で結果を残し開幕一軍登録された。3月31日の開幕戦(対東京ヤクルトスワローズ戦、神宮球場)で7回裏一死満塁の状況からリリーフでプロ初登板し、2/3イニングを投げて記録上は無失点だったが2点適時打と犠牲フライを打たれた。
同シーズンは最終的に12試合で計15イニングに登板、防御率4.20の成績を残す。
2018年は二軍では33試合に登板するが、一軍登板は無し。同年秋に大家友和コーチと投球フォームの見直しに着手。
2019年は4月30日の対ヤクルト戦(横浜スタジアム)でプロ初先発登板。しかし3回6失点(勝敗付かず)の成績で一軍登録抹消となった。5試合の登板で防御率9.00だった。
2020年は5試合に登板した。10月16日に二軍落ちして以降は登板はなく、11月に右肘のクリーニング手術を受けた。
2021年は2試合の登板に留まって戦力外通告を受け、現役を引退した。
会社員に転身した。
年度 | 球団 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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2017年 | DeNA | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | 15.0 | 10 | 10 | 7 | 7 | 4.20 |
2019年 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | 7.0 | 6 | 5 | 7 | 7 | 9.00 | |
2020年 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | 5.1 | 3 | 8 | 3 | 3 | 5.06 | |
2021年 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | 1.0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0.00 | |
NPB:4年 | 24 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | 28.1 | 20 | 24 | 17 | 17 | 5.40 |
初登板 | 2017年3月31日 | 対東京ヤクルトスワローズ1回戦 | 明治神宮球場 |
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初奪三振 | 2017年4月5日 | 対読売ジャイアンツ2回戦 亀井善行から |
横浜スタジアム |
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最終更新:2024/12/05(木) 10:00
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