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郡上おどりとは、岐阜県郡上市で行われる盆踊り、および一連の祭りの呼称である。日本三大盆踊りの一で、の重要形民俗文化財定。

郡上おどりの特徴

徳島県の「阿波踊り(あわおどり)」、秋田県の「西音内盆踊り(にしもないぼんおどり)」と合わせて日本三大盆踊り(または日本三大民謡踊りとも)に数えられ、白鳥おどりとともに岐阜県盆踊り祭りとして知られている。さらに、の重要形民俗文化財にも定されており、全的にも有名なお祭りでもある。

郡上市内で開催される盆踊りは、大きく分けて2つある。1つは郡上市の北部に位置し、平成の大合併以前では白鳥町だった白鳥地区の地で開催される「白鳥おどり(しろとりおどり)」と、本記事の「郡上おどり(ぐじょうおどり)」の2種類あり、「郡上おどり」はもっぱら郡上八幡(旧八幡町)の地で踊られている盆踊りとその一連の祭りのことをしている。

郡上おどりが踊られるお祭りの日程は、7月13日の郡上おどり発祥祭を皮切りに、全31日間にわたって行われる。その中でも特にメインイベントとされるのは、旧の時期にあたる8月13日~16日の4日間開催される「盂蘭盆会(うらぼんえ)」で、この期間は午後8時から翌の4時または5時までの8~9時間休憩一切なしのぶっ通しで歌い踊り続ける「徹夜踊り」が実施され、全的にも類を見ない大規模の盆踊り祭りとなっている。(ちなみに、白鳥おどりでもこの徹夜踊りが実施されている。)
そして、おどり祭り最終日に当たる「おどり納め」(9月7日開催)では、深夜23時から屋形送りと提行列が開催されている。
なお、開催時間帯は全て間~深夜または翌日明朝までとなる。また、台風が直撃しようとも洪水警報が発されても命の危険がない限りは必ず雨天決行となる。そのため、中止になった前例はほとんどない。

郡上おどりは全10種類のおどりと唄があり、これらを約20分間隔で複数組み合わせて踊り続けられている。ちなみにおどり最後の演は必ず「まつさか」と決まっており、これを踊りきってお祭りの日程は終了となる。

郡上おどりの歴史

郡上八幡博覧館exitの展示資料および、郡上八幡観光協会公式サイトexit掲載の「郡上おどり大百科(郡上おどり保存会監修)exit」によると、郡上おどりの起こりは現在もあきらかになっていないが、一説によると今から400年以上前の戦国時代の末には、念仏おどりや流おどりが郡上に伝わり、庶民の間で郡上おどりの原となる盆踊りが踊られていたとされている。

江戸時代のはじめ、徳川家光将軍だった時代には、初代郡上 遠藤(えんどうよしたか)が郡上領民の融和と心の安定、平和を楽しむことを図るために、庶民に盆踊りを踊ることを奨励した。そして、郡上八幡城下町の整備を推進するとともに、郡上領内でバラバラに行われていた盆踊り祭りを全て郡上八幡城下町に会場を集結させ、一元化させた。これが現在の郡上踊りの一連の祭りの原形態になったとされる。当時の庶民は娯楽が少なかったため、これをきっかけとして一楽しめる娯楽として郡上おどりが急速に発展していった。その後、郡上八幡城青山氏に代わってからは、第10代青山(あおやまよしみち)が踊りをさらに奨励したため、ますます発展を遂げていったのであった。
江戸時代当時の郡上おどりの人気は庶民のみならず、武士にも人気の娯楽として親しまれていた。そのあまりの人気ぶりの為か、「臣およびその家族はおどりに行くことを禁ずる」という内容が書かれたお触書「番年中行事」(1820年)が出されるほどであった。また、当時の郡上おどりは若い者たちにひやかされ、混ぜられるということが然と行われていたされている。さらに、瀬の認の場として女性にも人気の娯楽でもあった。

また、郡上八幡には芸人も多く訪れ、数々の口説き唄や芸が伝えられ、郡上おどりの中にも取り入れられていった。これが郡上おどりの種類の多さのルーツとされている。

幕末には、郡上おどりの七大縁日が制定され、7月16日開催の「八坂神社王祭」、8月1日開催の「大乗寺三十番祭」、8月7日開催の「洞泉寺弁天七夕祭」、8月14日~16日開催(現在は13日~16日)の「盂蘭盆会」、8月24日開催の「桝形地蔵祭」とされた。

明治時代に入ると、欧化政策の影で郡上おどりの禁止が一時出されてしまうが、1922年(大正11年)に「郡上おどり保存会」が発足し、郡上おどりの良さを今に伝承し続けている。また第二次世界大戦中は、戦没者慰霊の的で踊ることが例外的に認められ、玉音放送のあった数時間でさえ、憔悴しきった人たちの中から郡上おどりの囃子唄を唄い始める者が現れ、自然とおどりの輪が形成されていったとされている。

そして1973年(昭和48年)、の選択芸(形文化財)に選定され、1996年(平成8年)に重要形民俗文化財定され、今日まで踊り続けられている。

郡上おどりの演目と歌詞

郡上おどりの演歌詞は「郡上節」という郡上に伝わる民謡をもとにして作られている。全10種類の演があり、さらに一部の演特定の縁日限定で唄われる歌詞バージョンもある。郡上おどりはこれらの演を約10分~20分の間隔で組み合わせて、ノンストップでおどり続ける。
唄い手は常時2人以上おり、お囃子は下記掲載の歌詞の中から一部を抜き出して唄う。唄う方法は、1人が唄って続いてあとからもう1人が復唱するように唄う。そしてさらに、楽器の弾き手や踊り手が掛けをかけて場を盛り立て、盆踊り祭りらしさを演出している。

記事では歌詞全編を掲載するが、お祭り本番では上から順番通りに全て唄うことはほとんどないので要注意である。

古調かわさき

郡上おどりの全演の中で最も歴史のある演。全演の中で較的序盤の時間帯におどることが多い。後述の「かわさき」の元となった演で、博覧館の展示資料によると、農作業の動きをイメージした振り付けとなっている。また、「かわさき」と違ってやかな音楽を一切使わず、「アッーソーレンセッ!」という掛けとともに下駄の音と手拍子一拍のみで踊っているため、おどりのリズムも素で哀調を帯びている。歌詞も庶民の生活や仕事に根差したものが取り入れられ、郡上の純な人情と風俗に似つかわしい踊りとなっている。

実際のおどりの様子→郡上おどり「古調かわさき」exit

歌詞

郡上八幡出て行く時は 三度見かやす枡形を

のお様かか盗まれて のあいからかかァかかァと

若いと新木の舟は 人が見たがるのりたがる

どんなことにもよう別れんと 様も一口ゃうておくれ

わしの殿まはこの川上の流れを見て暮らす

にゃおいでよ初い孫つれて 郡上おどりも見るように

向かい小山に日はさいたれど 寝は起こしゃせぬ

とりでも初音はよいに様と 初寝はなおよかろ

踊りつかれてはやが明けた 何の話もできなんだ

思う様ならどよかけて で便リがしてみた

の良い衆はその身の徳じゃ 諸諸人に思われる

おらが若いときゃ五尺の袖で 路の小もなびかせた

の十四日にやの葉となリて 一夜もまれて捨てられた

咲いて口惜しや千本桜 もかよわぬ奥山

昔しゃいま世に落ちて 小まざリのを刈る

何がなんでもお前さでなけりゃ 東しゃ切れてもは明けぬ

ほどづまはあれど と守るは一人

高い山にはがかかる 若いにゃ気がかかる

郡上はよいとこ良いができる やりたやお茶摘みに

植えておくれよ畔(あぜ)にも 田にも畔はかかまのしんがいに

今日田植え三月桜花かよちらちらと

泥で咲かしたのかきつばた 活けて根じめを見て欲しい

気立て良けリゃとうたこたうたが されどご器量が気にかかる

人を泣かせリやまた泣かされる 共に泣いたり泣かせたり

わしと青田刈る山に 薮や茨がなけりゃよい

藪や茨がありゃこそよかれ 薮の小陰ものや殿

歌は歌やれ話はおきゃれ 話ゃ仕事の邪魔になる

天の川原は西東でも 今宵一夜明けまで

(歌詞の出典:郡上の映像(Gujo.com)exit)

かわさき

郡上おどりの演の中で、もっともメジャーポピュラーなおどり。テレビなどでよく紹介されるおどりがこの「かわさき」で、郡上おどりの看メニューのような存在となっている。
「古調かわさき」と違って、と太鼓を基調としたやかな音楽歌詞、振り付けが組み込まれており、10種類の演の中でもっともエレガント盆踊りらしい雰囲気のおどりである。

郡上おどり大百科exitや博覧館展示資料によると、1914年(大正4年)に共進会(現在の万博博覧会にあたる)が開催され、その中で郡上おどりが披露された。この時に「古調かわさき」を元に新しいおどりを発明する動きが広まり、歌詞を一般募集したり、メロディを新しくしたり、振り付けを現代アレンジした。そこで生まれたのがこの「かわさき」である。こちらも較的序盤~中盤の時間帯におどることが多い。また本番のおどりでは、「ほい~!」や古調かわさきと同じく「アーソーレンセー!」と掛けがかけられ場を盛り立てる。

歌詞

郡上八幡出て行く時は も降らぬに袖しぼる

のお様ツン丸コテ丸て丸て のてそいよかろ

郡上殿様自慢のものは 標に七家老

心中したげな惣門で 小駄良才兵衛

が出る出る佐の山で がねと

向小駄良のの子見やれ 親がけりゃ子も

愛宕三月でくもる くもるに人が酔う

忘れまいぞえ愛宕 縁を結んだじゃもの

祭り見るなら祖師野の宮よ 人を見るなら九頭の宮

音頭とる可愛いも踊りも冴えてくる

自慢にゃ肩身が広い 郡上おどりに

の降るは来ないでおくれ 隠しきれない下駄の跡

咲いたになぜ駒つなぐ 駒が勇めばが散る

秋葉三尺おのふもと 今日も鳴る鳴る時の鐘

安久田こんにゃく名皿部ごぼう 五町だいこに小野なすび

をおくれよ薬師 小駄良三里に

見たか聞いたかの高さとあの音を

いましょ宮が瀬の出るころ上るころ

泣いて別れていついましょか 愛しいあなたはのかた

愛宕秋葉もみじ がのぞくか吉田

歌も続くが踊りもつづく の明るいもつづく

踊らまいかよ祖師野の宮で 四本柱を中にして

愛宕山から吉田の流れ ながめ見あかぬ宮瀬

鐘がなるのか撞木がなるか 鐘と撞木と合うてなる

郡上はよいとこ住みよいところ もよければ人もよい

めでためでたの青山様は 菊の御紋に葉も茂る

郡上八幡葉菊の御紋 四万余石の下町

わかれわかれて歩いておれど いつか重なる影法師

散ると心に合点はしても の色香につい迷う

島田蝶々がとまる とまるはずじゃよじゃもの

わしが出しても合わまいけれど 合わぬ所はごめなさリょ

山に抱かれて流れに沿うて 踊る絵の町歌の町

わしの心と向かいの山は ほかに気はないばかり

三月あやめ五月 菊は九月の末に咲く

が咲いたと都の便り 郡上じゃと返す文

しやさしや駄の音は はどなたか知らねども

遠く離れて会いたい時は になればよい

うたいなされよ向いのお方 歌でご器量は下がりゃせぬ

歌でご器量がもしいち下がリゃ 時の相場で上げてやる

もはや川崎ゃやめてもよかろ 天の川原は西東

(歌詞の出典:郡上の映像(Gujo.com)exit)

春駒

こちらも郡上おどりでメジャーな演の1つ。リズミカルでテンポのある振り付けと音楽が特徴的で、初心者でも覚えやすいおどりとなっている。博覧館の展示資料によると、春駒越前からのサバ売りのお囃子からきた「さばおどり」が前身だと考えられている。また、郡上ではの飼育が奨励され、良を集めた「土用の毛付」は当時としてはかなりの賑わいを見せていた。お囃子とともにかけられる「七両三分の春駒」の掛けは、良を誉められた喜びを表している。

歌詞

郡上どこあの磨の 名出したも気良の里

私ゃ郡上の山育ち く糸も引く

標は術の誉れ 江戸じゃ郡上

駒は売られていななき交わす 土用七日の毛付

なんと若い衆よたのみがござる 今宵一夜明けまで

は三歳方はたち 着けたつづらの品のよさ

小駄良才兵衛朝顔 今日もさけさけ明日もさけ

日照りしたとて様の 糸切れはせぬ

村じゃ一番お屋様の 小町の器量のよさ

踊り子が来た大門さきへ 朱子の帯して浴衣着て

二十五日は天神祭りござれ 小瀬子の屋で待つ

殿山からのぞいたを 映す吉田

様は三三日月様よ 宵にチラリと見たばかり

親のない子に結てやれば 親がよろこぶ極楽

様が様なら私じゃとても かわる私じゃないわいな

親の意見なすびは 千に一つの駄がない

の瀬でさえ七瀬も八瀬も 思いきる瀬もきらぬ瀬も

はやす太鼓が瀬音にきゃ も浮かれて踊りだす

たよ踊り子た 二番すぐりの麻の様に

村じゃ一番お屋様の 小町の器量のよさ

郡上八幡よい木がござる 見たよなもある

踊り助が今来たわいな わしも仲間にしておくれ

おさば押せ押せ下関までも おさば港が近くなる

踊り踊っての口なけリや 一生後でもかまやせぬ

音頭取リめがから落ちて の下でも音頭とる

踊り上手でしんしょ持ち ようていたすきの切れるまで

遠く離れて咲く待てば 散リはせぬかと気はもみじ

思うことさえ言われぬ口で がつかれるはずがない

島田地の浴衣 ちよっとしたまに色がつく

からむ朝顔ふり切りかねて 身をばまかせた垣の

肩をたたくは孝行息子 すねをかじるはどら息子

はすれども姿は見えぬ 様は場のきリぎりす

様が場のきりぎリすなら 私しゃ野山のほととぎす

いやなじゃとはね返しても 義理が積れば折れる

は咲いてもわしゃ山吹きの ほんに実になる人はない

愛宕山から春風吹けば 郡上はちらちらと

今日は日がよてからようて 思う殿まに二度出会うた

人は一代名は末代と およしゃおの人柱

音頭取りめが取りくたびれて さいたにつく

(歌詞の出典:郡上の映像(Gujo.com)exit)

三百(三百踊)

10種類ある演の中で、トリッキーな振り付けと少し踊りにくい変拍子が組み込まれているおどり。郡上おどり大百科exitによると、1759年(宝9年)6月として青山が入部。幸は宝騒動で疲弊しきった内を見て、長途の労をねぎらって、身分に関係なく300文ずつ与えたと言われている。これを受けて領民たちは思わず地踊りを披露。その地踊りをもとにしたのが、三百である。

櫓では「三百踊」の名称で演名の掲出が行われる。

歌詞

今年始めて三百踊り おかしからずよ他所の衆が

もどなたもえてござれ 小豆かすよにゴショゴショと

おらが若い時ゃチョチョラメてチョメやかん)かけるとてびくかけた

越前ぼっかの荷なら そこへおろすなくさい

買おておくれよ朝鮮ベッコウのかんざしを 村でささぬはわしゃ一人

どじょうすいて来たに おかかなすびのほぞ取りゃれ

どっこいしょと堀越を越えて 行けば宮代一夜とる

山通るとて開(かいざさ)みれば おりん化粧する

郡上に過ぎたは長講堂 飛騨に過ぎたは一の宮

切れてしまへばバラバラ扇子 のたよりもさらにない

泣いてわかれて松原行けば の露やら涙やら

五月ほどしのばれて 今じゃ秋田の落とし

泣いてわかれて清水こえて 五町の狭(せば)岩でけつ

思い出してはくれるか様も わしも忘れるひまがない

留良(うるら)やのうも 住めば都じゃのや殿

鹿倉のどんびき踊り 一ツとんではをくます

小坂歩危坂別れてくれば もみじ散るやら涙やら

てっかりてっかりてっかリと のようらく下げたよな

の切ちゃ童子(しゅってんどうじ)のしょんべんけ 澄まず濁らず出ず入らず

何もかも仲間なすび 汁煮りゃなお仲間

わしがだいても合わまいけれど 合わぬところはごめなさりょ

今の音頭さはどんまいことはねた おらもそこらと思ていた

が来たならするぞえかかま の宝の朱子の帯

暑い寒いのあいさつよりも 味噌れりゃよい

はげた頭をじゃと思て 番茶つまんでしかられた

様となら行くわしゃどこまでも しだれのうらまでも

あかりにちょいと騙されて 様を帰して気にかかる

今年しゃ何んでもかんでも入りせにゃならぬ 同じすること楽にする

入りしたけど幸せ悪て へそが出べそで帰された

蕾がよとゆうた理 開きやにさそわれる

がかれたにくりょとゆたら くんでれたよ砂糖

にこがれて鳴くよリも なかぬが身をこがす

したがる親させたがる の宝の朱子の帯

お前二十一わたしは十九 四十仲良く暮したい

がさすならもさしゃれ 同じ

同じの唐させば どちがやらやら

音頭取りめが取りくたびれて さいたにつく

(歌詞の出典:郡上の映像(Gujo.com)exit)

ヤッチク(やっちく)

「アラヤッチクーサーサー♪」の掛けとともに軽快な下駄リズムで踊る演。10種類の演の中で一番単純な振り付けのおどりで、初参加の人でもすぐに覚えやすいおどりとなっている。また、歌詞バリエーションが全演の中で一番多く、「宝義民伝」、「霜隊伝」、「参拝場所づくし」、「鈴木」、「白井権八・小紫」の5種類がある。さらに、「宝義民伝」と「霜隊伝」は上・中・下の巻にそれぞれ分かれている。郡上おどり大百科exitによると、ヤッチクは江戸時代末期芸人から取り入れたおどりで、中でも8枚の片を打ち鳴らしながら、「鈴木」や「八屋お七」を哀調込めて唄いまわったものが踊り化されたのだと言われている。

おどりの様子→郡上おどり「やっちく」exit

歌詞

~「宝暦義民伝」上の巻~

わしがチョイト出てべんこそなけれど 私ゃ郡上山中に住めば

お見かけどおりの若輩なれば も立たぬがよ文句やも下手よ

下手ながらもひとつは口説く 口説くに先立ち頼みがござる

とにかくお寺は檀衆がたより やせ作りはこやしがたより

村の達ゃ若い衆がたより そして叉若い衆はさんがたより

下手な音頭さんはお囃子たより やっちくやっちくさとお囃子たのむ

調子えば文句やにかかる

これは過ぎにし其の物語り 聞くも哀れな義民の話し

時は宝五年のよ 所は濃州郡上

領地三万八千石の その名金森出雲の守は

時の幕府のお奏者役で 手な勤めに其の身を忘れ

すべて政治家老に任せ 今日明日もと栄に耽る

が敵か浮世の習い お国家老の粥川兵衛

お江家老と心を合せ ここに悪事の企ていたす

哀れなるかな民百姓は あれもこれもと課税がふえ

わけて年貢の取りたてこそは いやが上にも厳しい詮議

下の難儀は一方ならず かかる難儀に甚助殿

上の噂をしたとの科で すぐに捕らわれの責め苦

責めたあげくが穀見ヶ原で 哀れなるかな仕置ときまる

かくして苦しむ百姓衆を 見るに見かねて名の者が

名をば連ねて願い出すれど かなうどころか詮議は荒く

火責め責め算盤責めに え苦しむ七十と余人

飢え死にする者日に増すばかり もはや堪これなりと

が出したかよ回状がる回状が何よと問えば

北濃一なるアノ那留ヶ野に 心ある衆は皆集まれと

事の次第が記してござる

(歌詞の出典:郡上の映像(Gujo.com)exit)

~「宝暦義民伝」中の巻~

時が来たかよ三千余人 蓆旗やら竹槍さげて

百姓ばかりがのごとく 今におへ寄せんず時に

待った待ったと人押し分けて 中に立ったは明方村

気良じゃ名の総代勤め人にゃ 知られた善右衛門殿

江戸に下りて将軍様に 直訴駕籠訴を致さんものと

皆に図れば大勢の衆が もわれもと心は一つ

わけて気強い三十と余人 の難所と日数を重ね

やがて着いたのが品川表 されど哀れや御用の縄は

疲れ果てたるその人々を 一人残らず舎に繋ぐ

開くも涙よるも涙 ここに哀れな孝女の話

善右衛門に一人の 年は十七その名はおせき

お江戸で屋の責め苦 助け出すのは親への孝行

そっとんで出をいたし 長の中もかよわい身とて

ごまのやら悪者どもに すでに命も危ういところ

通り合わした下の力士 も実もある松山関と

江戸屋親分幸七殿あわせてを助け

江戸に連れ行き時節を待てば の業か

幸か不幸屋が焼ける それに紛れて善右衛門殿

逃れのがれて隅田の土手で 巡り合うのも親子の縁よ

時節到来御老中様が 千代田にと御登と聞いて

善右衛門初めといたし 同じ願いに五人の者は

芝で名代将で 恐れながらと駕籠訴いたす

かくて五人はその場を去らず 不浄縄にといましめられて

長い間の屋の住まい 待てど暮らせど吟味はあらず

や最後の訴なりと 江戸に下りて将軍様

訴なさんと 出立間際

(歌詞の出典:「郡上おどり大百科exit」14、15ページ)

~「宝暦義民伝」下の巻~

話かわりて孫兵衛宅の は利発な生れ

年は十六つぼみ仕奉と事偽わりて

二年前から間者の苦労 今日今日とて秘密を探り

家老屋敷をこっそり抜けて へ戻ってるを聞けば

下る太田の渡し そこに大勢待ち伏せなして

一人残らず捕えるたくみ そこで孫兵衛にっこり笑い

でかしたこの後とても 秘密探りて知らせてくれよ

言うてそのに出立いたす 方角がらりと変えて

伊勢路まわりで桑名の渡し 宮の宿から船にと乗りて

江戸に着いたは三月なかば の節句はのどか晴れ

下離れし島村屋孫兵衛一味の者は

四月三日に訴いたし すぐにお裁き難なく終り

悪政露見で金森様は 遂におも断絶致す

それに連なる重役たちも 重いお仕置きまた流し

屋その他の者は 願いとて皆打ち首と

ここに騒動も一段落し 宝九年は青葉の頃に

郡上へは丹後の宮青山様が

御高四万八千石で ご入とは夢見る心地

政治万端地の変り 長の苦しみ一時に消えて

いつものどかに郡上の里は 出度めでたの若松様か

枝も栄える葉もまた茂る これぞ義民の賜ぞとて

共に忘るなその勲しを 共に伝えん義民の誉れ

(歌詞の出典:郡上の映像(Gujo.com)exit)

~「凌霜隊伝」上の巻~

これは過ぎにし其の物語り 聞くも哀れな霜隊よ

時は慶応四年の日本国中二つに割れ

勤王・佐幕のが襲う 所は濃州郡上

領地四万八千石の 青山幸宣

年端もゆかない御歳なるが これを助けるお家老

鈴木兵左衛門評議をかさね 青山の安泰ねがい

先ずは朝廷へ恭順いたし 残る不安を使者差し立てて

お江家老朝比奈様へ 話きまりて元からは

選び抜かれし十五の士 文武すぐれて血気の盛り

の大事と幕府の恩義 報いられるは一筋なるぞ

脱走人との汚名におじ弥生二十日のきうち

中野村なる鎮守ので 心ちかいて中津の宿へ

使命おびたる急がせて まわりて中仙道

江戸は本所でその名も高い 船宿菊屋でわらじを解けば

義挙に加わる名を読み上げて 隊長朝比奈茂吉と決まり

長坂田の左衛門と 会津派遣使速水の小三郎

その名郡上霜隊で 総勢そろえて四十と五人

祝う御で心をかため

(歌詞の出典:郡上の映像(Gujo.com)exit)

~「凌霜隊伝」中の巻~

一夜明くれば四月の十日 更け計りて江戸川のぼり

下総まわりで会津へ向かう ざんぎり頭に鉢巻しめて

股引にて筒袖すがた 日光街道小山の宿で

隊との弾しきり 敵がばたばた倒れる中を

なおも突き来る一団めがけ 霜・貫義の隊士がいどみ

しくつづきし兵戦も 味方にあがりし勝どきの

泥にまみれて煙くぐり 都の宮から今あたり

大内戦越えて 九月六日にへ入る

西出丸では防塁築き 白虎隊士と励まし合いて

共に所の配備を固め かかる折しも西軍側に

は囲まれひびき 東軍の不利いや増すばかり

かくて篭やむなき次第 あとに残りし三十六士

敵のせる総攻撃に 別なく火の手に追われ

西出丸さえや焼け落ちる さればと隊士は所を変わり

とどろくそのただ中を に物見せんと出撃いたす

されど羽の連盟くずれ 情勢やむなき降伏となる

されば隊士も悄然として 念の感涙やる方もなく

苗代へと謹慎される

(歌詞の出典:郡上の映像(Gujo.com)exit)

~「凌霜隊伝」下の巻~

捕えられたる身につもり 深手の隊士を六人残し

大垣士の護衛を受けて 丸腰汚れたみなり

山から宇都宮すぎて 歩きつづけて千住にと着く

郡上士の冷たい仕打ち 伝船へとや押し込まれ

品川から千石船で 遠州でも災難にあいて

命からがら羽へと到る 岐阜の美江寺を出てから先は

不浄縄にていましめられて 囚人駕篭へと乗せられまして

も煮えくる非の仕打ち 難儀かさね中野へ帰る

そこで又もや揚屋入りと 科人なみのョきびしい責め苦

一同観念したことなれど 身内の面会許されもせず

便り差し止め世を断つ思い あたりの揚屋ぐらし

も通らずも差さず 病気になる者日に増すばかり

これを見かねて近郷の僧侶 慈恩寺様へと集まり来たり

に嘆願長敬寺様へ 移り変わりてひと息いれる

明治二年のともなれば 戦死隊員の法要も済まし

その奇しくも庁からは 自宅謹慎の御触れが回る

手に手を取りてョ喜び勇み 留守居の家族も喜び明かす

さても哀れな霜隊士 あゝ霜隊その魂は

郡上の里にて生きつづけたり 共に伝えんその心を

永久に伝えんその心を

(歌詞の出典:郡上の映像(Gujo.com)exit)

~「参拝場所づくし」の巻~

一にゃきのとの大日如来 二には新潟白山様よ

三にゃ讃岐毘羅様よ 四には信濃善光寺様よ

五つ出雲の色神様よ 六にゃ六角堂の六地蔵様よ

七つ七尾天神様よ 八つ八幡八幡様よ

九には熊野の権現様よ 十にゃ所の氏神様

(歌詞の出典:郡上の映像(Gujo.com)exit)

~「鈴木主水」の巻~

お江戸のその傍らに聞くもらし人情ばなし

ところ四つ新宿町よ のれん桔梗の紋は

音にきこえし橋本屋とて あまた女郎衆のあるその中に

お職女郎の糸こそは 年は十九で当世そだち

嬌よければ皆人さんが もわれもと名しで上る

わけてお客はどなたと聞けば 咲く青山あたり

生れは濃州郡上ごお鈴木という

女房持ちにて二人の子供 五つ三つはいたずらざかり

二人子供のあるその中で 今日明日もと女郎買いばかり

見るに見かねて女房のお安 ある日わが夫に向かい

これさわが夫様よ わたしゃ女房で妬くのじゃないが

子供二人はだてには持たぬ 十九や二十の身じゃあるまいし

人に意見も言う年ごろに やめておくれよ女郎買いばかり

のなる木を持ちゃさんすまい どうせ切れるの六段には

連れて逃げるか死情(しんじゅう)するか 二つに一つの思案とみえ

そして二人の子供不憫 子供二人と私の身をば

末はどうするわが夫様よ 言えば立ち顔で

何んの小癪な女房の意見 己が心で止まないものを

女房だてらの意見じゃ止まぬ 愚知なそちより女郎衆が可愛い

それが否なら子供を連れて そちのお里へ出て行かしゃんせ

想づかしののことば そこではこやけになりて

いでて行くのが女郎買い 姿あとでお安は聞く悔しさと

いかに男はわがままじゃとて 死んで見しょうと覚悟はすれど

二人の子供につい引かされて 死ぬにゃ死なれず嘆いておれば

五つなる子がそばへと寄りて これさ母さんなぜ泣かしゃんす

気色悪けりゃおあがれ どこぞ痛けりゃさすってあげよ

坊が泣きますくだしゃんせ 言えばお安は顔ふり上げて

どこも痛くて泣くのじゃないが 幼なけれどもよく聞け坊や

あまりとと様身持ちが 悪い意見いたせば小癪なやつと

たぶさつかんで打擲なさる さても念な夫の心

自害しようと覚悟はすれど 後に残りしそちらが不憫

どうせ女房の意見じゃ止まぬ さればこれから新宿町の

女郎衆頼んで意見をしよと 三つなる子を背中に背負い

五つなる子の手を引きまして 出てゆく姿のさも哀れなる

行けば程なく新宿町よ 店ののれん橋本屋とて

見れば表に履 それと見るより新造を招き

わしはこちらの糸さんに どうぞ会いたい会わせておくれ

アイと新造は二階へ上り これさ姉さん糸さんよ

どこのお女中か知らない方が 何かお前に用ありそうな

会うてやりゃん糸さんと 言えば二階を下りて

わしを尋ねるお女中というは お前さんかえ何用でござる

言えばお安は初めて会うて わしは青山が女房

お前みかねて頼みがござるは勤めの身分

日々のお勤めをおろかにすれば 末は御扶持に離れるほどに

ここの理をよく聞き分けて どうぞわが夫殿

意見なされて糸さんよ せめてこの子が十にもならば

揚げづめなさりょとままよ または私が去られた後で

お前女房になりゃんすとても どうぞこののち殿

三度来たなら一度は上げて 二度は意見をして下しゃんせ

言えば糸ことばに詰まりわしは 勤めの身の上なれば

女房持ちとは夢にも知らず ホンに今まで懇ろなれば

さぞや憎かろおも立とう わしもこれから様に

意見しましょうお帰りなされ 言うて二階へ上がる

ついにに向い お前女房が子供を連れて

わしに頼みに来ました程に 今日はお帰りとめては済まぬ

言えばはにっこと笑い 置いておくれよ久しいものだ

ついにその日は居つづけなさる 待てど暮らせど帰りもしない

お安子供を相手にいたし もはやそのや明けたれば

支配方より使いがありて 身持ちが不埒じゃ故に

扶持も何にも召し上げられる後で お安は途方に暮れて

あとに残りし子供不憫 思案しかねて当惑いたし

扶持に離れて長らくおれば 馬鹿なたわけと言われるよりも

武士の女房じゃ自害をしよと 二人子供を寝かしておいて

硯とり出しすり流し 落つる涙が硯の

涙とどめて書き置きいたし い木綿でが身を巻いて

二人子供の寝たのを見れば 可愛いかわいい子に引かされて

思い切りを逆手に持ちて ぐっと自害のもとに

二人子供を覚し 三つなる子はとりすがり

五つなる子は背中にすがり これさ母さんのう母さん

幼な心でたゞ泣くばかり

(歌詞の出典:郡上の映像(Gujo.com)exit)

~「白井権八・小紫」の巻~

中国その名も高き 武家老に一人のせがれ

白井権八直則こそは の喧が遺恨となりて

同じ中の本氏を 討ってたちのき東をさして

下る中桑名の渡し わずかばかりの船賃ゆえに

あまたの船頭さんに取りかこまれて すでに危きその折からを

これを見かねて一人の旅人 白井助けてに帰える

これぞ名におう東海道の その名山賊なるぞ

そのうちには美人ござる 名をばつぼみ

見れば見るほどおとなしやかで その権八がョ寝間にとしのび

これさ若様様よ知って 泊りか知らずにいてか

この人は盗賊なるぞ わしも三河の富家

二年前からこのに取られ 永の日を涙で送る

故郷しやさぞふた親も 案じしゃんすで有ろうと思う

お前見かけてたのみがござる どうぞ情けじゃ不憫じゃほどに

わしを連れ立ちこのを 逃げて故郷三河へ送りたまえと

くどきたてられ権八殿は さすがよしあるほどに

そのわけがらをば残らず聞いて さればこの人を始め

手下盗賊皆切り殺し お前故郷へ御連れ申す

二人密かに約束かため 菊立ち出で行きゃる

それと知らずか殿は 手下幾多にささやきけるは

今宵泊めたる若にさしたる一こそは

作りの名作物よ 二両から先なる品じゃ

それを奪わん等がたくみ の座敷にねかせて居いた

時刻も半の頃よ の一間に切り込みければ

されば白井は心得たりと それと白井抜く手も見せず

手下のやつら 一人残らず皆切殺し

それと菊手を引きまして なれし三州矢作長者

一部始終のはなしを致す 長者夫婦は喜び勇み

されば婿にもせんと すすめられども権八殿

なをも仕官の望もあらばいと まごいして立たんとすれば

今は菊栓かた涙 是非も泣く泣く取り出して

心ばかりの餞なりと へば権八気の毒顔に

志ざしとて頂き納め お江戸へ急ぎて下る

行けば程なく川崎宿の 音に聞こえし年屋とて

ここにしばらくお休みなさる さればこれより品川

は何里とお尋ねなさる はわずかの二里程なれど

とて難所がござる ごと日ごとの切りあれば

今宵当所にお泊りあれと すすめられども権入殿

大小す身がそれしき事で 恐れ泊らば世間の人に

憶病未練のなりと 長く笑われ恥辱の種よ

それはもとより望でござる 勇み進んで品川

されば白井の権八殿と 同じ屋にて休んで居たる

お江戸に其の名も 高き男伊達にて随院長兵衛

白井出て行く後見送りて さすがあっぱれ者よ

されば若衆の手並を見んと 後に続いて長兵衝こそは

へとさしかかる まだもの先詠みたいけれど

上手で長いはの場によいが 下手で長いこた先生やに御

やめろやめろなき内に ここらあたりで切止めまする

(歌詞の出典:郡上の映像(Gujo.com)exit)

げんげんばらばら(げんくばらし)

江戸時代の御殿女中の手まり遊びがそのまま踊り姿となった演で、着物の手元をたぐる優しぐさが見どころのポイントである。歌詞元ネタ郡上に伝わるわらべ歌や糸引き歌からきている。郡上おどり大百科exitによると、演名の「げんげんばらばら」の由来は雉子の鳴ケンケンと、羽根をばたつかせる音から「ケンケンバタバタなぜ鳴くね、親がないか子がないか」というわらべ歌からきている。
なお、櫓では演名が「げんくばらし」と掲出される。また、本番のおどりでは「あーどっこいしょー!」と掛けがかけられる。

歌詞

はーげんげんばらばら何事じゃ 親もいが子もいが

一人貰うた男の子 に取られて今日七日

七日と思えば四十九日 四十九日の墓まいり

叔母所へ一寸寄りて 羽織とを貸しとくれ

有るものいとて貸せなんだ おっぱら立ちや立ちや

立ち井川みに 上ではとんびがつつくやら

下ではからすがつつくやら 助けておくれよ長兵衛さん

助けてあげるが何くれる 千でも万でも上げまする

器量がよいとてけん高ぶるな 男がようて持ちで

それで女が惚れるなら仙台陸羽の守

陸羽の守の若殿に なぜに高尾がほれなんだ


はー立つ立つづくしで申すなら、

一月かどにはが立つ 二月初午稲荷で幟立つ、

三月節句でが立つ 四月八日にゃ釈迦が立つ、

五月節句でのぼり立つ 六月園で祭り立つ、

七月郡上で踊り立つ八月 九月のことなれば

ふいてほこり立つ 十月出雲にゃが立つ

十一月のことなれば こたつが立ってまらが立つ

まらが立ったら やぶれて損が立つ、

十二月のことなれば 借とりが門に立つ

あまり催促厳しゅうされて うちのカカほんとにが立つ。


はー郡上八幡開祥社 十七・八の小

さらしの手拭い肩にかけ 小ぬか袋を手にもちて

風呂屋は何処よと尋ねたら 風呂屋の番頭のう事にゃ

風呂今抜きました 抜かれたあなたは良いけれど

抜かれた私の身が立たぬ


はー鬢(びん)のほつれをかき上げながら 涙でうるむふる

あたしお前があるがゆえ ほうばい衆や親方に

いらぬ気がねや憂う苦労 それもいとわず

理に工面もしようもの 横にを押さずとも

嫌ならいやじゃとやしゃんせ 相談づくの事なれば

切れても想はつかしゃせぬ じゃあるまいその理は

ほかにわせる人がある


はー駕籠で行くのはお軽じゃないか わたしゃ売られて行くわいな

の為ならいとやせぬ しのび泣く音は鴨川

園は涙 の世の中か

縞の財布に五十両 先へとぼとぼ兵衛

後からつけ行く定九郎 提バッサリ闇の中

山崎街道は二つ玉


はー十四のから通わせおいて 今さらいやとは何事じゃ

東が切りょうが明けょうが お寺の坊さん鐘つこうが

向かいの丁稚が庭はこが 隣りのばあさん火を焚こが

に日はさそが から親達ゃ連れにこが

そのわけ聞かねばいのきゃせぬ


はー私しゃ紀のみかんの性よ いうちから見染められ

くなるのを待ちかねて かき落されて拾われて

小さなへと入れられて 千石船に乗せられて

遠い他へ送られて 屋店にてされて

近所あたりの子供衆に 一文二文と買い取られ

たてられて皮むかれ 甘いかいかと味みられ

わしほど因果な物はない


はーおぼこ育ちのいとしさは

しめた帯からたすきから ほんのりこぼれるの色

燃える思いのごころ かわいがられた片えくぼ

恥しいやらうれしやら うっとりお前の眼の中で

私しゃ夢みるすねてみる

げんげんばらばら何事じゃ 田舎育ちの

初めてあずまへ下るとき 一夜の宿をとりそこね

西を向いても宿はなし 東を向いても宿はなし

こずえを宿として つぼみとし

落つる木の葉を具として ながめて法華経よむ


はー十七入りざかり

たんす長持ちはさみ これほど持たせてやるからは

かならず帰ると思うなよ 申しかかさんそりゃ理よ

西が曇ればとなり 東が曇ればとなる

千石積んだ船でさえ 追い手が変れば出て戻る

げんげんばらばら何事じゃ 私ゃ辺のほたる

生まれはどこよと問うたなら は流れの砂の中

お宿はどこよと訪ねたら は木の下の陰

川端やなぎの露の宿 の七つがきたなれば

ちりめんの羽織着て の鉢巻しゃんとして

小田原ちょうちんにさげ いとし殿さの照らす


はーからはるばると

をたずねて紀伊 石童丸はただ一人

のおうせをこうむりて 室(かむろ)の宿で名も高き

玉屋与を宿として 九九十の寺々を

尋ね捜せどわからない それほどしい上を

染め衣にして くれたぜんたい高野が分からない

げんげんばらばら何事じゃ は文高島田 私しゃ器量よし

いてがらはよけれども

ものが言えない差し向かい あなたと呼ぶも口のうち

皆さんのぞいちゃいやですよ

(歌詞の出典:郡上の映像(Gujo.com)exit)

猫の子(猫比子)

全10種類の中では一番可らしいおどりをするのがこの「猫の子」で、櫓に掲載される名称では「猫比子」と表示される。郡上おどり大百科exitによると、郡上では農家の副産業として養蚕業が盛んでした。蚕を食い荒らすネズミ退治のためにが飼われ、大切にされてきました。このおどりでは、そのしぐさや所作をマネし、若い衆が踊りに飽き足らないで即的に歌い踊ったのが始まりと言われている。

本番のおどりでは、「にゃーーん!」や「Fooooo!」などをマネた掛けがかけられる。また、唄い手も一番試される演でもあり、唄い始めの「ニョーホォーー」という詞で常人とは思えないほど長く伸ばして唄うことがあり、これに合わせて先述の掛けがかけられて一層場を盛り立てる構図となっている。

歌詞

猫の子がよかろ でしやわせネズミョ捕る

ねずみ取りゃいたちが笑う いたち笑うなも捕る

桑もよう咲けお蚕もよかれ 若い糸引きょ頼まずに

はよう立つ糸目はとれる る見番色男

思って来たのにこの戸が開かぬ 憎や戸の掛け

憎や戸の掛けよりも 掛けた婆さの気が憎や

てっかりてっかりと のようらくさげた様な

よせばよいのに舌切り雀 ちょいとなめたが身のつまり

坊主破れし衣 行きも帰りも木にかかる

婆さもと箱根の番所 通りぬけたも知らなんだ

元まで入れて 中で折れたらどうなさる

今年ゃうろ年うろたえました のおる子の親がない

寝たか寝なんだかに問やれ しょうじき寝たとうた

富士の裾野を仰いで見れば 甲斐でみるより駿河よい

様と三日月ゃ宵にばかござる いつかござれよ有明

ゆん這人が屋根から落ちて の鳴きまねして逃げた

来るかくるかと待つは こずに待たぬさ来てかどに立つ

様の親切たばこの煙リ 次第しだいにうすうなる

破れ将棋の駒よ とおもえばがでた

色で身を売る西瓜でさえも 中にゃ苦労()の種がある

一夜御座れと言いたいけれど まんだかかまの側で寝る

だれもどなたも猫の子しょまいか でしやわせネズミョ捕る

ゆん這人がふみころいた でかえしやれ熊猫

なんと若い衆よじゃけらはおきゃれ じゃけらしてから子ができた

よそへ踏みだしはばかりながら 音頭とリます御免なさりょ

小野染みになれば 日焼けなすびをただれる

桑の中から小唄がもれる 小唄聞きたや顔見たや

おもて四で心は丸い 人は見かけによらぬもの

のひねりで気が行くなれば 筏流しは棹ささぬ

が持ちたい持ちたいが 持てば飲みたい着てみたい

よくも付けたよ名を入れと ほんにあるのは付けばかり

思うて通えば千里も一里 障子一重もこりゃ遠い

いやとゆうのに無理押しこんで 入れて泣かせる籠の

一合のも口でうつせぱ二合となる

門に立ったる西巡礼 住まい名のれよ婿に取る

住まい名のれば恥かしょござる 臼の取リの子でござる

好きと嫌いと一度にきたら 立てたり倒したリ

けちで助で間ぬけで馬鹿で お先き煙草で屁をたれる

一つことばか面ないで 品をかえてはやろまいか

(歌詞の出典:郡上の映像(Gujo.com)exit)

さわぎ

全10種類の中で中盤~終盤にかけておどることが多い演。お囃子に字余り唄があることが特徴的である。郡上おどり大百科exitによると、元時代に流行した騒歌(さわぎうた)を基にしたおどりで、遊里で三味線や太鼓を使って賑やかに唄ったものが芸人を介して郡上に伝わり、座敷商人の余の歌として定着したとされる。おどりでは三味線や太鼓を用いることはないが、下駄の音と手拍子で場を盛り立ててくれる。

歌詞

~本唄~

はーめよ騒げよ一寸先ゃ闇よ 今も裸の下戸が来た

蝶々蝶々か来てはちらちら迷わせる

今宵一夜浦島太郎 あけて口惜しや玉手箱

明日はお立ちかお名残りおしの十日も降ればよい

理になびけとうのは野暮よ と女はしだい

は破れさせそでさせん させる

の匂いをに持たせ しだれに咲かせたい

色のこ別嬪さんに惚れて カラスみたよな苦労する

ついておいでよこの提に 消して暗うはさせはせぬ

させさせ薄くはならぬ 煎じつめたる仲じゃもの

も嫌いよも嫌だ とももとのあいが好き

よそで陽気な三味線きいて 内で陰気な小言きく

あかりで山こえて 唄で郡上へ駒買いに

馬鹿朝顔根もないに 命までもとすがりつく

様は良い細谷うぐいすおもしろい

惚れてくれるなわしゃじゃに 連れて行くにもがない

浮気男と釜のは 沸くもいがさめやすい

惚れていれどもすかれておらず 磯のあわびの片想い

寝にくる寝床は どこじや東の下

とは言うたが どちが西やら東やら

さいた盃中見てあがれ 中にゃ五葉の

(歌詞の出典:郡上の映像(Gujo.com)exit)

~字余り唄~

は あちらの藪からこちらの藪までチュンチュンたばた

羽なみをえて品よくとまる 止めて止まらぬ色の

島田を根っからポクッリ切って 男のへそにたたきつけ

それでも浮気の止まない時は 宗十郎の芝居じゃないが

あんどの陰から ひゅうひゅらひゅうと化けて出る


の一本橋すべりそうでころがりそうで危ないけれど

の唐お手手をつないで 様となら渡る

落ちて死んでも二人連れ


になりたや大阪満の 天神様のお庭の

元は尺八中は 裏は大阪満の天神様の

文を書く法名を書く筆の軸


摺鉢を伏せ眺める三一の

味噌を擂るがの富士の山


ござるたんびに

ぼた餅かいうどん素麺そば 限(きり)ゃないで

なすび漬食ってお茶まいれ

の切になみなみたっぷリたまりし

澄まず濁らず出ず入らず


はしょぼしょぼ降るの唐小田原

ガラガラピッシャンドッコイ姉さん今晩は

かと思ったさんか


瀬田の唐

所(ぜぜ)の鍛冶屋大津鍛冶屋から晩まで

まずに食わずにトツテンヵッテン

たたいて延ばして持て来てかぶせた唐擬宝珠(ぎぼし)

それにうつるは所の


朝顔によく似たこのさかずき

今日もさけさけ明日も咲け


が出ない時きゃ

干支じゃないけど子未の隣りのどんケツ

ギュッギュらくわえてチュッチュラチュッと、スヤ

ケツからコエが出る


郡上八幡名広の電気職人さんは

がないので命がけ


郡上おどりに来年来るやら又来ないやら

来てもえるやらえぬやら

(歌詞の出典:郡上の映像(Gujo.com)exit)

甚句(郡上甚句)

全10種類の中で終盤におどる演で「まつさか」をおどる前に一度だけおどることが多い。櫓では演名が「郡上甚句」と掲出される。郡上おどり大百科exitによると、「甚句」という盆踊り歌は「地の句」が訛ったものと言われており、その地方で唄い継がれたものをしている。また、江戸時代末期に流行した相撲甚句も影し、もともと地相撲が盛んだった郡上でも盛んに唄われるようになった。

本番のおどりでは、「あ~どっこいどっこい!」と相撲甚句ニュアンスが入った掛けがかけられる。

歌詞

櫓太鼓にふとさまし 明日はどの手でこいつぁ投げてやる

相撲とりにはどこがようて惚れた 稽古がえりの乱れ

相撲にゃなげられ女郎さんにゃふられ どこで立つ瀬がわしが身は

西は富士が嶺 東は波中を流るる隅田

明けましたら起しておくれ お前頼りでぁ居るわいな

相撲取りじゃの楽じゃのと うて育てた親はない

歌うて出たぞえお庭のが いつに変わらぬよい

にゃ負けてもけがさえなけりゃ さりゃ私が負けてやる

ゆんべ横町で先にカカに出会て おまえまめなか達者なか

いで自慢なものは おらが在所のと炭

小田のかわずは身にあやまりがあるか 両手をついて鳴く

ついて行きたい送りに出たい せめて御番の札所まで

どうせこうなりゃ二足のわらじ 共にはいたりはかせたり

じゃ磨粥川うなぎ ひびく那留石宗

おらが在所の大島村は のなる木がおじぎする

じゃじゃと待つうちゃがすんだら何を待つ

お前松虫わしゃきりぎりす 障子ひとえで鳴きあかす

しぼり浴衣にかんざし添えて 毛付け土産と投げこんだ

信州信濃の新そばよりも わたしゃあなたのそばがよい

の十四日にゃお寺の前で 切子あんどんを中にして

西の山から東の山へ おまえたずねて北の山

他所へふみ出しはばかりながら 音頭とりますごめなさりょ

よその若い衆かよう来てくれた 裾がぬれつら豆の葉で

お前一人か連れ衆はないか 連れ衆あとから駕篭で来る

気よければ王様の 宮の太鼓の音のよさよ

小那松茸わさび 気良じゃの子坪佐炭

いやなお方の親切よりも 好きなお方のやぼがよい

八重山吹手には咲けど 末は実のないことばかけ

惚れりゃ千里も一里じゃなどと 虎の尾につく古

のれん松葉の散らし 待つに来んとは気にかかる

郡上はよいとこ住みよい所 も良ければ人もよい

上をおもえば限りがないと 下を見て咲く百合

ゆたれどをおくれ ひのえのうまの年

ひのえのうま年なれど かのえのさるの

わしとおまえは十円札よ 五円きれてもまだ五円(ご縁)

せかずとお待ちよ時節がくれば 咲いてみせます床の

今年ゃこうでもまた来年は こうもあるまいなよ殿

(歌詞の出典:郡上の映像(Gujo.com)exit)

まつさか

全10種類の演で一番最後におどるのがこの「まつさか」である。一番最後におどるため、他の演べてかなり単調な節回しとサッパリとした振り付けとなっている。郡上おどり大百科exitによると、江戸時代に盛んに行われていた伊勢参りで、伊勢の木遣音頭郡上に伝わったものが「まつさか」とされる。「まつさか」にも4種類の歌詞があり、それぞれ特定の縁日でしか唄われない歌詞がある。

また本番のおどりでは、「ハイハイッ!(ホイッホイッ!)」、「アイヨーヤーマーヤートセー!」と掛けがかけられる。

歌詞

~「名所案内」~

ヨーホイ モひとつショ 合点とが掛るなら 是から文句に掛りましょ

総てお寺は檀から やせづくりもこやしから

下手な音頭も囃子から おはやし頼む総和様

舟の々と 世にも名高き長良川

その水上の越美線 郡上八幡名にしおう

三百年の昔より 士農工商おしなべて

祝う夏祭り 音頭手拍子面

謳い楽しむ盆踊り 郡上八幡出る時は

も降らぬに袖しぼる これぞにこの里の

人の心をそのままに いつしか唄となりにける

山は秀いでて清く に酔い

涼風もみじ狩り

との戯れと 名所の多きとて

訪ねる人の数々に いざや探らんしるべ

大日ケ岳仰ぎつつ をおとなへば

六十丈の吐いて よせつけぬの音

糸長々と 一千年の昔より

由緒はふかき長に 今も睦月の六つの日を

喜び菊の祭り 人は浮かれてくるす野の

宮居に匂う桜花 もえでる揚

のどかなる 野の那留石の

その名は高く世にく 宗の流れ今もなお

みてこそ知れの 絶えせぬの末かけて

積るの山の上に

朝日に映る 昔をしのぶ殿

山の端出ずる月影に匂う 愛宕染や

ひがんや山 訪い来る人の絶間なく

ひくからぬ稚児の 峰卯山おろしの

いでそよそよと立ちし名の 浮きて流るるあさが

深き思いを 行き交う人は深

小町にちなむ小野の里 契りはかたき石の面に

写りましますの冠 ならぬ帽子

ふもとつづきの村里は 寿永の名

出でし所と言い伝う名も 高ゆかりある

高賀の山のの宮 矢納が渕や粥川

うなぎ群がるそのさまを 振り返りつつ蓬来の

岩間流るる長良川鹿のおちこちに

ひかれて舟に棹させば 浮世のもいつしかに

洗い捨てたる心地する の都かの里

郡上八幡出る時は も降らぬに袖しぼる

踊りと歌で町の名も 広く聞こえて栄えゆく

里の皆衆も他所の衆も 音頭手拍子うちそろえ

これぞに総輪様 永く伝わるこの里の

郡上おどりの誉れをば 万代までも伝えなん

(歌詞の出典:郡上の映像(Gujo.com)exit)

~「歌でお城を」~

お開きなされよ皆の 衆歌の殿様常縁が

歌で下に名をあげて 歌でおを取り戻す

平和の里にふさわしき 歌の郡上物語

郡上の始まりは 下総東氏が功により

山田を加えられ 承久年間胤行は

千葉に館して 郡上の開祖となる

文武すぐれしわが東 勅撰集に名をつらね

その名下に聞こえたり 戦乱続き消えかけし

足利時代の文学 支えしはわが東

五山文学あればこそ 殊に七代常縁は

和歌に秀でし功により 将軍の歌会にも

常に列して名は高し 時に関東に乱起り

ときの将軍義政は 常縁に命じてぞ

回復はかりける 常縁郡上の兵つれて

関東に転戦十余年 そのころは応仁の

戦乱ながく打ちつづき 美濃土岐氏は山名方

郡上の東氏は細川昨日の友は今日の敵

争いあうぞ是非もなき ついに土岐氏の臣なる

斎藤椿大挙して 東氏本

を襲いて奪いけり 常縁関東にこれを聞き

痛く嘆きて歌一首 亡追善法要に

ちなみて無常歌いしに この歌郡上に伝わりて

開く者胸をうたれけり 妙椿これを伝え聞き

心はかよう歌の 敵とはいえど常縁の

ゆかしき心思いやり 関東に歌だより

ついに一矢も交えずに 十首の歌と引き換えに

郡上の領地返しけり かくて再び常縁の

徳にうるおう郡上領 歌の真実のふれあいに

こえてみあい 戦わずして手に入りし

歌の咲く郡上領 げにもゆかしき和歌の徳

歌の真実の尊とさよ 歌で開けしわが郡上

歌でおも守られて 歌の郡上の名も高く

平和日本ともろともに 栄えゆくこそうれしけれ

(歌詞の出典:郡上の映像(Gujo.com)exit)

~「宗祇水」~

歌の殿様常縁 歌でおを取り戻し

いよいよる和歌の徳 その名下にとどろきて

時のの召しにより 将軍の師ともなり

九十四年の生涯は ひたすら励む歌の

法師も都から 文明二年はるばると

あこがれ訪いし篠に学びし古今集

励む三年の功なりて ついに義の秘伝うけ

もろともをひく 郡上名所の歌の遺跡

妙見社頭にいたりては「神のみ山のざかり

の匂う峰」を詠み 那宮に詣でては

も幾世か みやいはなれぬほととぎす」

文明五年すぎて 宗都にかえるとき

常縁これを見送りて 別れを惜しむ小駄良

の下に憩いては 名残りは尽きず

紅葉の流るるみよしの忘るな」と

心をこめし餞の歌の 真実は今もなお

その名もゆかし宗 清きはこんこんと

平和とこしえに 歌ののいさおしと

奏でつづけるうれしさよ 讃えつづけるゆかしきよ

(歌詞の出典:郡上の映像(Gujo.com)exit)

~「およし物語」~

およし稲荷物語り 昔の歌の文句にも

きじも鳴かずば撃たれまい 長良の人柱

ここは郡上八幡を造る時

お上の評定ありけるが あまたのあるなかに

およしといえるあり 里の小町とうたわれて

年は二八か二九からぬ 人にすぐれし器量よし

ついにえらばる人柱 聞きたる親子の驚きは

何んにたとえんものもなし 親子は思案にくれ果てて

泣くばかりなる有様も お上の御用と聞くからは

ことわるすべもなく 涙そこでおよしはけなげにも

心をきめて殿様や おのためや親のため

死んで柱にならんとて 明日とはいわず今日ここに

進んで死出の仕度 のりんずの振袖

の献上の帯をしめ 薄化粧なるかたち

静かに立ちし姿こそ 霜におびえぬ菊の

々しくも見えにける すでに覚悟の一念に

西に向いて手を合わせ 南西方如来

後世を救わせ給えかし またにお暇乞い

先立つ不幸許してと あとは言葉も泣くばかり

これが今生のお別れと うしろをばひかれつつ

一足行っては振り返り 二足歩いて後戻り

親子のきずな切れもせず 親も泣くなく見送りて

どうぞ立な最後をと 口にはいえず胸のうち

ただ手を合わすばかり なりかくては時もうつるとて

役人衆にせかれつつ およしひと言

呼ばわるもかすかなり にはの影もなく

ただひとのほととぎす を残して山の

露と消えゆく人柱 この世の哀れとどめける

これぞおよしのいさおしと 伝え聞いたる人々は

に祈りて今もなお およし稲荷物語

(歌詞の出典:郡上の映像(Gujo.com)exit)

郡上おどりの開催日程

郡上おどりは、7月中旬~9月上旬までの全31日間行われ、時間帯は平日日曜日午後8時から午後10時30分、土曜日午後8時から午後11時8月12日に行われる「納涼祭」のみ午後7時30分から午後9時30分、徹夜踊りのある「盂蘭盆会」は午後8時から翌4時または5時までとなっている。また踊る日によって、趣旨・的とる対が変わってくる。また、おどり会場も日によって決まっており、ここでは、それについて詳しく解説する。

縁日の名称と開催日一覧

見出しの日付は2019年の開催日程

郡上おどり発祥祭(7月13日開催)

31日間のトップバッターを務め、郡上おどりシーズンの始まりを告げる祭りとして知られている。また、本祭の他におどり流しが行われる。

おどり会場:郡上八幡旧庁舎記念館前(→地図で見るexit)

犬啼水神祭(7月14日開催)

」と呼ばれる地蔵菩薩2体をったお祭り。この地蔵は、1955年地の東にあるで上の貯水槽工事を行っていた際にたまたま出土したもので、地元の人に神様として大切にられている。当日は発祥祭と同じく郡上八幡旧庁舎記念館前でおどりが行われる。

おどり会場:郡上八幡旧庁舎記念館前(→地図で見る)exit

八坂神社天王祭(7月16日開催)

郡上八幡北部、トンネル付近に鎮座する八坂神社ったお祭り。前述の七大縁日の一でもある。この八坂神社園社とも呼ばれ、郡上八幡城門の方角の護りとして重要な役割を果たしている。

お祭り当日は、神社や向かう路地などがろうでライトアップされ、幻想的な雰囲気を演出してくれる。

なお、おどり会場は神社内ではなく、上殿町の一画を封鎖しておどりが行われる。

おどり会場:上殿町(→地図で見るexit)

下柳町 神農薬師祭(7月20日開催)

吉田に架かるの1つである新の北詰口に鎮座する薬師如来像、薬師お祭り。現地の案内によると、薬師はその昔、組の富だった治左ェ門方に立ち寄った一巡礼(いわゆる「お遍路さん」のこと)が手厚いおもてなしを受けたお礼として薬師如来像を置いて立ち去ったのが本像の由来とされる。
おどりは発祥祭と同じ郡上八幡旧庁舎記念館前で行われ、薬師からはちょうどを渡った場所にある。

おどり会場:郡上八幡旧庁舎記念館前(→地図で見るexit)

常磐町 電気地蔵祭(7月21日開催)

郡上八幡電気るという全的にもしい地蔵菩薩像、電気地蔵お祭り。かつては郡上八幡旧庁舎記念館の裏手にある常磐町(現在八幡町)の細い路地を封鎖しておどりが行われていたが、現在郡上八幡旧庁舎記念館前で行われている。なお、この祭りが旧庁舎記念館前でおどりが行われる最後の祭りとなる。

おどり会場:郡上八幡旧庁舎記念館前(→地図で見るexit)

毛付市・赤髭作兵衛慰霊祭(7月27日開催)

郡上八幡城に伝わる伝説の1つ、「力石伝説」の立役者となった兵衛お祭り伝説の内容については郡上八幡城の記事に掲載されているため、そちらを参照のこと。また、毛付はかつて行われていた「土用の毛付」(良を集めて売り出す市場のこと)の名残で、27日と28日の2日間にわたって開催される。

おどり会場:ホテル園前(→地図で見るexit)

毛付市・岸劔神社川祭・凌霜隊慰霊祭(7月28日開催)

郡上おどりの一連の祭りの中で、一三祭同時に開催される。おどりは公園で行われる。岸劔神社川祭は、郡上八幡城山ふもとにある神社お祭りである。およしちゃんによると、神社の起こりは平安時代にまでさかのぼり、気良の里(現在の明宝)にあった白山神社の御体となる宝が大によって流されてしまい、それが偶然にも吉田郡上八幡直下のの岩場引っかかっているを当時の人が発見。これがきっかけとなり、神社が付近に建立され、郡上の人たちの信仰の対となったのであった。明治時代には社殿を宮ヶ瀬北側から公園に遷宮し、現在の位置となった。

岸劔神社川祭では、おどりの他に日中はかかり岩で事が執り行われ、には大神楽が行われる。

そして、凌霜隊慰霊祭は幕末に活躍した「霜隊」を慰霊するお祭りで、幕府軍と新政府軍の間で勃発した戊辰戦争で、会津(会津若松)救援を的に、郡上士の朝比奈茂吉をリーダーとして結成されたのがこの霜隊である。霜隊は白虎隊とともに会津の守備を任され、新政府軍と戦った。

おどり会場:公園(→地図で見るexit)

慈恩禅寺弁天祭・乙姫水神祭(7月30日開催)

この日も二祭同時に行われる。慈恩禅寺exit郡上八幡南部に建立された臨済宗妙心寺のお寺で、お祭りではお寺に鎮座する弁財天られる。おどりの他に、お寺では間に弁財天のご祈祷を受け付けたり、お寺の名物である「てっ園」をライトアップし、間特別拝観の受付を行う。

は、吉田の支流のにいるとされる神様で、お祭り当日は特設の神楽屋台が設置される。

おどり会場:川原町(→地図で見るexit)

大乗寺三十番神祭・小中学生郡上おどり発表会(8月1日開催)

8月に入って最初の郡上おどりのお祭り。七大縁日の一で、郡上八幡城のほぼ西側に位置する日蓮宗のお寺、大乗寺exitお祭り。大乗寺では三十番っており、この日はその三十番に対しての縁日である。当日は午後8時からのおどりのほか、午後7時から郡上の小中学生による郡上おどり発表会が行われる。

おどり会場:本町(→地図で見るexit)

山内一豊夫人 千代の夕べ(8月2日開催)

山内一豊の妻である千代の功績を讃えたお祭り千代は、郡上八幡城の始祖で遠藤の祖にあたる遠藤盛数(えんどうもりかず)のという有力説があり、郡上八幡城でも千代に関する資料が展示されていたり、公園山内一豊とともに像が建てられている。当日はその像の前でおどりが行われる。

おどり会場:公園(→地図で見るexit)

およし祭(8月3日開催)

郡上八幡上に伝わる伝説「人柱およし伝説」に登場する女性、およしを慰霊するお祭り。およしは、郡上八幡城修する際に人柱となったとされる女性で、詳しい内容については郡上八幡城の記事を参照のこと。当日は下町プラザ向かいに特設の神楽が設置される。

さらに、この日だけ最後の「まつさか」の囃子唄が「およし物語バージョンとなり、一味違ったおどりを楽しむことができる。

おどり会場:下殿町(→地図で見るexit)

城山地蔵祭(8月4日開催)

別名「賽河原地蔵菩薩」とも呼ばれる地蔵お祭り。郡上おどりの全会場の中で一番小さな路地で行われる。

おどり会場:大手町(→地図で見るexit)

宝暦義民祭(8月5日開催)

1754年(宝4年)に発生した宝騒動(郡上)の義民を慰霊するお祭り。宝騒動は、当時のだった金森頼錦(かなもりよりかね)が幕府の奏者役による出費で年貢増徴策を打ち出すが、その負担に耐えかねた庶民が起したという騒動である。この騒動により頼錦は易されてしまい、お断絶となった。

お祭り当日では、演の「ヤッチク」の囃子唄が「宝義民伝」バージョンチェンジ。このバージョンはこの日の踊りでし聴けないので必聴である。

おどり会場:積園前(→地図で見るexit)

洞泉寺弁天七夕祭・郡上八幡城下町花火大会(8月7日開催)

七大縁日の1つで、この日から「盂蘭盆会」最終日まで郡上おどりのお祭り毎日開催される。郡上八幡城の西側、宗から小駄良を渡った先にある浄土宗のお寺で、慈恩寺と同じく弁天像をる。毎年旧七夕に開催され、当日はその弁天像が特別に御開帳される。

また、これに並行して郡上八幡城でも花火大会が行われる。この花火大会は全的にもしく、守のある山の頂上から打ち上げられるため、おライトアップと打ち上げ花火の見事なコラボレーションが楽しめる。さらにおどりながら鑑賞できるため、2つのイベントを同時に楽しむことができる。

なお、この日は公園全体が日中から交通規制がかかるので、おの頂上駐車場に駐する際は規制開始時間に要注意である。

さらに、2019年開催では関連イベントとして「小駄良イルミネーション」が開催された。

おどり会場:本町(→地図で見るexit)

越美南線開通記念祭・郡上市人権の夕べ(8月8日開催)

国鉄路線の越美南線(現在長良川鉄道線)の開通を記念したおどり祭りで、郡上八幡の玄関口である郡上八幡前でおどりが行われる。また、合わせて郡上市人権の夕べが併催される。

おどり会場:郡上八幡前(→地図で見るexit)

秋葉祭(8月9日開催)

郡上八幡城から南西方向、ちょうど郡上八幡とおの中間の距離に位置する今町でのおどり祭り。通りの一画を封鎖して行われる。ちなみに秋葉祭は8月11日に下日吉町でも行われる。

おどり会場:今町(→地図で見るexit)

恵比須祭・個人おどりコンクール(8月10日開催)

今町よりもさらに西側に位置する新栄町のおどり祭り。この祭りでは、並行イベントとして中日新聞社共催の「個人おどりコンクール」が開催され、コンクール出場者たちがこれまで磨き上げてきたおどりを披露して優勝をす。コンクール終了後は一般も参加できる通常のおどり会場となる。

おどり会場:新栄町(→地図で見るexit)

秋葉祭・嵐璃橘之丞慰霊祭(8月11日開催)

2つ行われる秋葉祭のうちの1つ。火防の神様である秋葉三尺坊大権現(通称:秋葉様)をお祭りで、こちらは下日吉催となる。また、日吉町出身の歌舞伎役者である(あらしりきのじょう)の慰霊祭が合わせて開催される。

おどり会場:下日吉町(→地図で見るexit)

納涼祭(8月12日開催)

郡上八幡まちNET」が催するおどり祭り。もともと8月12日には郡上おどりのお祭りは存在してなかったが、郡上おどりの人気ぶりを受けて町の有志がお祭り企画。「盂蘭盆会」前日にもかかわらずおどり祭り開催が実現した。お囃子は「八幡おはやしクラブ」のメンバーが担当する。

2018年開催の納涼祭では、さくらももこ監修のキャラクターGJ8マンもおどりに参加した。

おどり会場:下町プラザ(→地図で見るexit)

盂蘭盆会(8月13日~16日開催)

郡上おどりの一番のメインイベント。七大縁日の一でもあり、通称「うらぼん」と呼ばれる。4日連続で行われ、この期間だけ「徹夜おどり」が行われる。「徹夜おどり」は、午後8時から開始して翌4時また5時まで休憩一切なしのぶっ通しで唄い踊り続けるイベントで、これを休まず完走することが郡上おどりの一番の醍醐となっている。(ただし、おどりの輪とお囃子自体がノンストップという意味なので、ムリだと思ったらサッと輪から退出して適度に休憩したり、途中で止めて帰宅することは各自自由である。また、完走することは強制されてないのでこれから参加する方は安心してよい。)
おどり会場も2、3町区またいで行われ、通常よりも広いおどり会場となっている。

2019年開催の盂蘭盆会では、ニコニコニュースチャンネルから徹夜おどり模様が全日程生中継された。(下記関連生放送参照)

また、前座イベントとしてGJ8マンよる「GJ8マン音頭」が開催される。

十八観音祭(8月18日開催)

盂蘭盆会」の次に行われるおどり祭り。かつては愛宕公園がおどり会場となっていたが、現在は下愛宕町の路地の一画を封鎖して行われる。このおどり祭りではの町情を楽しみながら、狭い路地で身を寄せ合って踊ることができる。

おどり会場:下愛宕町(→地図で見るexit)

日吉神社祖霊祭・団体おどりコンクール(8月19日開催)

郡上八幡南部に位置する日吉神社お祭り。岸劔神社川祭の同じく、おどりと合わせて神社巫女らによる大神楽奉納が行われる。

また、併催イベントとして団体おどりコンクールが行われる。個人おどりコンクールと同じく、出場団体がおどりで競い合って審員判定で優勝をす。

おどり会場:立町(→地図で見るexit)

宗祇水神祭(8月20日開催)

日本の名選の選定第1号である宗お祭りで、当日は宗周辺の路地に和歌が書かれたぼんぼりを設置され、幻想的な雰囲気を演出してくれる。さらに、おどりの前には小駄良水中花火大会が開催される。おどりは本町の路地で行われ、本町がおどり会場になるのはこの祭りで最後となる。
さらに最後におどる「まつさか」の囃子唄が、この日は「宗バージョンとなる。「宗バージョンはこの祭りでしか聴けないので、ぜひ行って踊ってみることをオススメする。

おどり会場:本町(→地図で見るexit)

桝形地蔵祭(8月24日開催)

郡上八幡城から南西方向、国道256号沿いに鎮座する桝形地蔵お祭りで、七大縁日の中では一番最後に行われるお祭りとなる。また、この縁日だけおどりの輪がL字に形成される。

おどり会場:上桝形町(→地図で見るexit)

小野天神祭(8月25日)

郡上八幡城から南東方向の直下に位置する八幡神社お祭り八幡神社は「小野満宮」という名前が正式名称で、その名の通り天神(菅原道真)を神社である。当日は社殿の御開帳が行われる。また、これまで寺院神社に関する縁日が登場してきたが、おどりが神社内で行われるのはこの祭りのみである。
神社内は砂利が敷いてあるため、おどる際は足を取られたり、下駄の中に石が入らないよう要注意である。

おどり会場:八幡神社(→地図で見るexit)

商工祭・おどり変装コンクール(8月31日開催)

8月のおどり祭り大トリを務めるのがこの商工祭である。(年によっては9月初旬開催の時もあり)
この商工祭では「おどり変装コンクール」という郡上おどりの全日程の中で最もユニークな大会を催しており、地元の人からは「変装踊り」の通称名で知られている。ルールはその名の通り、自分の好きな人やキャラクターなどに仮装しておどるというコンクールである。コンクールは前日までの事前エントリー制で、「個人の部」と「団体の部」の2部門で出場を受付けている。
2018年度開催では、およしちゃんGJ8マンと同じく、郡上八幡観光キャラクター(非認)のあゆレディーコンクールに出場している。

おどり会場:新町(→地図で見るexit)

女性の夕べ(9月1日開催)

9月に入ってから最初のおどり祭り。この祭りの次はいよいよフィナーレの「おどり納め」となる。以前の女性の夕べでは、地区町会対抗で女性限定のおどりコンクールが行われ、地元住民の女性が所属する地区町会に分かれて、団体戦でおどりを競い合う大会が開催されていた。現在ではコンクール止となり、通常のおどりのみ開催される。おどり会場は商工祭と同じく新町の大通りとなる。

おどり会場:新町(→地図で見るexit)

おどり納め(9月7日開催)

31日間の日程でフィナーレなるおどり祭り。このおどり祭りをもって1年間の郡上おどりのシーズンはひとまず終了となる。なお、「おどり納め」から約一週間後に安養寺では「昔をどり夕べ」というおどり祭りが開催され、これを終えると郡上おどりのシーズン全に終了となる。
また、午後11時からは屋形おくり行列が開催される。

おどり会場:新町~今町(→地図で見る)

その他郡上おどりに関する豆知識

郡上おどりの免許状について

郡上おどりでは、当日現地で踊った人の中で、「これはっ!?」と思うほど踊り上手な人に、郡上おどり保存会のメンバーから郡上おどりの免許状をその場で貰うことができる。(厳密には免許状の引換が手渡される。)

免許状はおどりの種類と同じく全10種類。免許状を貰うには一つ条件があり、「装が浴衣(または甚平)で、下駄を履いていること」、つまり郡上おどりに相応しい恰好で踊ることが条件となる。

また、課題曲は当日開始時刻にその場で発表される。(聞き逃した人は、櫓に課題曲が書かれた札が掲げられているのでそれを確認すればOK)

このためランダム性に富んでおり、お当ての免許状が貰えないこともある。そんな条件の中、この免許状を全て集めて免許皆伝すことが郡上おどりのもう一つの醍醐となっている。

員となる郡上おどり保存会の踊り手は、櫓にいる歌い手と弾き手と同じく保存会公式浴衣を着用しておどることが多く、2019年現在デザインでは波のデザイン浴衣である。かなり分かりやすく立つデザインであるため、見かけたら近くでおどって免許状をぜひ狙ってみてほしい。

ちなみに郡上おどりで浴衣姿の踊り手が多いのは、この免許状の存在が背景にあることであり、これが一層郡上おどりの雰囲気を引き立てさせている。

郡上おどりの講習会について

現地では、6月中旬頃におどり保存会催の郡上おどり無料講習会が5日間かけて行われている。私参加、浴衣参加自由(下駄は禁止)で、現地での当日参加申請制となる。

この他、郡上おどり開催期間中は郡上八幡旧庁舎記念館ででも有料講習会が行われている。1日3部(盂蘭盆会の日は4部)、各コマによって講習課題曲が変わる。こちらは、事前ネット予約、当日受付どちらも可で各コマ50人までの募集となっている。(ただし、当日受付の場合は満員で参加できない場合が多いのでネット予約での事前申請を要推奨する。)
この講習会を受講すると郡上おどりの修了を受け取ることができ、さらに2講座以上受講すると、もれなく郡上八幡が貰える。

それでも踊れない、踊り方が分からない人は・・・

定期講習を受けてもイマイチ踊り方が分からない・・・、定期講習の存在を知らずぶっつけ本番で参加してしまった・・・そんな人は前述の郡上おどり保存会の踊り手の人の近くでマネして踊ってみたり、踊り方をいてみよう!保存会の方は気さくで寛容な人が多いので気軽に教えてくれることが多いと言われている。

ダンシングポリス

郡上おどりでは、警察官がおどりの輪の中に混じって郡上おどりを踊りながら祭り会場の警にあたっている。そのな方法としさから地元メディアからもたびたび取材を受けており、「ダンシングリス」とも呼ばれている。

郡上八幡博覧館について

郡上八幡観光スポットの1つ。郡上八幡歴史や民俗学についての常設展示のほか、郡上おどりを習得した学芸員による郡上おどりの上演会を定期開催している。郡上おどりオフシーズンの際は、ここへ行けば郡上おどりについて学べるのでオススメする。

岐阜県外でも開催される郡上おどり

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関連項目

関連リンク・参考サイト

掲示板

  • 5初版の人

    2019/08/21(水) 00:30:03 ID: fdZ4qd3s70

    >>4
    こちらこそここまで足を運んでいただき、まこと感謝です。(でも実際は放送することは記事編集に取り掛かるまで知らなかったですw)

  • 6ななしのさっしん

    2019/09/18(水) 20:07:34 ID: u8uHwrEL6X

    なんという良記事だ…たまげたなぁ
    また盆踊りシュタイナーもなー…来年に向けていっちょ練習するか
    10ヶ後くらいにまた記念カキコしにくるゾ

  • 7ななしのよっしん

    2019/09/23(月) 11:50:08 ID: +kwY4GmP15

    厚くてめちゃくちゃいい記事だ・・・
    よくここまで調べましたね

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最終更新:2019/11/19(火) 09:00

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