郤正 単語

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郤正とは、三国志に登場する人物である。

出自

字は先。元々は郤纂という姓名だった。本籍は河南偃師(河南省偃師)。
の郤倹は益州刺史だったが失政が立ち、巾族の残党を称した相らに殺された(この時の益州の混乱に前後して劉焉が益州に入り、独立政権を築くことになる)。
の郤揖は孟達に従って営都督となり、孟達に降った時に随行して中書史となったが、郤正が幼い頃に亡くなっている。そのため郤正のは別の人物と再婚し、そのせいもあり郤正は幼い頃から学問に励み古典読み尽くし、名文章を書けるようになった。

やがて20歳になって出仕し、秘書吏、秘書史、秘書郎、秘書を歴任した。 郤正は政治っていた宦官黄皓と隣同士の屋敷に住んでいたが、黄皓から迫も受けなかったが特に取り立てられることもなかったという。

劉禅に付き従う

263年(炎元年)、劉禅が攻めてきた軍に降するとき郤正は降文書を書いた。そして劉禅陽に移送された時妻子を追いて随行した。安楽に封ぜられた劉禅は郤正の補正を受けて落ち度く振る舞うことが出来たため、郤正をく認めるべきだったと後悔している。

が西譲すると安陽県西太守となり、278年(咸寧4年)にした。
正史の郤正伝には彼が書いた『釈譏』という対話形式の文章が掲載されている。

エピソード

  • 郤正がの所を尋ねた時、皇帝だった劉禅皇太子劉璿の評価をに聞かれ「に孝行を尽くし、群臣に仁をもって接しておられます」と答えたがから「それは世間並みのことだ、皇太子としてもっと学ぶべきことがあるはずだ」と反論され、郤正もが言うことが正しいと思った。
  • 郤正がもっとも有名なのは、正史三国志の注(『』)に書かれた次の逸話であろう。
    司馬昭宴会に招かれた劉禅宴会音楽が流れた時、を流す旧臣達と対照的に笑っていた。司馬昭賈充に「人はここまで情になれるのか。諸葛亮孔明)がいてもこれでは補佐しきれなかっただろう。まして姜維では」と賈充は「こうでなければどうして殿下を併できたでしょう」と言った。
    司馬昭劉禅に「どうですか、思い出されますかな」とると劉禅は「いえいえ十分楽しい、思い出すことはありませぬ」と返した。
    すかさず郤正が劉禅に「あのような質問をされたら先祖の墳墓は隴・にありますゆえ、西を思って悲しまぬ日はありませぬと返してください」と諌めた。
    司馬昭はこのやりとりを聞いていたようで、また劉禅に「思い出されますかな」とると劉禅は先の郤正の言葉通り答えた。司馬昭は「なんと、郤正の言葉通りですな」と言うと劉禅は驚いて「はい、その通りです」と返して一同は大笑いになった。
    この話を劉禅馬鹿正直さの現れと取るか、処世術のための韜と取るかは意見の分かれることと思う。
  • 郤正は姜維について「彼は将軍となりながら質素で余財く、俸給を使い尽くした。失敗した人は非難されるとはいえ彼の評価がめられないのは残念だ。学問を楽しみ慎ましく生きた、模範とすべき人物である」と肯定的に論じている。孫盛(東歴史)が郤正の論を批判し、裴松之がこれに反論する形で郤正や姜維を擁護している。

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掲示板

  • 8 ななしのよっしん

    2021/11/29(月) 21:22:43 ID: uwSpNu/Ti2

    黄権劉備が死んでも祝賀に行かなかったからって出世はするし、孫晧司馬炎にやり返したからって何かされるわけでもないし

    現代ならともかく当時じゃ処世術にはとても・・・

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  • 9 ななしのよっしん

    2022/06/11(土) 00:16:21 ID: xLkPQhmDPg

    司馬昭宴会エピソード』は本当に。これ本当にあったの?
    このエピソード事実なら、「郤正の補佐によって落ち度なく振る舞うことが出来た」と矛盾する(落ち度があったことになってしまうから)。
    それに劉禅の二度の返事を聞いた司馬昭が「人はここまで情になれるものなのか」と述べているが、劉禅郤正の忠義をの当たりにし、彼を評価するのが遅かったと悔やんでいる。本当に救いようのないアホなら自分を省みることすらできないだろう(「劉禅情な人」と矛盾する)。
    あと司馬昭、もうちょっとで死ぬのに宴会やってるとか余裕そうだな…。
    論、人間は多様な側面があり、物事が起こるタイミングもあるから、『絶対になかった』とは言えないが…。

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  • 10 ななしのよっしん

    2024/03/19(火) 15:08:21 ID: 2dc7GnJkn0

    >>7
    それな
    >>8
    司馬昭って曹氏一族だけじゃなくて、臣下もかなりの数殺してる
    一方での様な頭がキレるタイプじゃないので、保身の為に無能のフリをするのは(芝居を見抜けないので)理に適ってる

    それにべると曹丕は陰湿なエピソード多いけど、気に入った人には甘い(孟達とか)し、司馬炎に至っては、祖伯父の冷酷な様とべると、驚くほど寛大だったからね

    相手によって処世術も変わるんだよ

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