郭皇后とは、魏の初代皇帝・曹丕の妻である。字は「女王」。冗談みたいだが本当の字。名は不明。諡は「徳皇后」。
史書によって評価が大きく違う女性である。
安平郡広宗県の出身。父が南郡太守を務めており、比較的裕福な家の生まれ。父から「この子は私の中の王だ。」と高く評価されていた。
しかし、幼い頃に両親が他界し家も没落してしまう。その為、召使いとして働いていたが、曹操に見いだされて曹丕の屋敷の女中として仕える。その美貌で曹丕の寵愛を受け、貴妃となった。
智謀に優れていた為、数々の策を曹丕に進言し、彼が太子になる為に尽力した。
その後、甄皇后が曹丕に死を賜ると、皇后に指名された。しかし、没落した家の出身という事で「身分が低い」と周囲から反対を受ける。曹丕は彼らの意見を退けて彼女を皇后に立てた。
曹丕に対して恨み言を言った、として甄皇后は死を賜っているが、「魏略」や「漢晋春秋」では、この差し金が郭貴妃であるとされている。
曹丕が皇帝に即位すると、野心を抱いた郭貴妃は曹丕に讒言する。彼が体調を崩した時、郭貴妃は「体調が優れないのは甄皇后が呪いをかけているからだ。」と伝えた。曹丕は激怒し、寵愛の薄れていた甄皇后に自殺を命じた。そして、郭貴妃は亡くなった甄皇后の遺体の整えられた髪を掻き乱し、口に糠を詰め、棺桶にも入れずに葬った。
しかし、曹丕が崩御し曹叡が即位するとこの所業を糾弾され、自殺を命じられた上に「母と全く同じ様に埋葬せよ。」とされ、髪を乱し、口に糠を詰められて葬られた。
これらの記述を見れば、「野心家で嫉妬深く、他人を陥れる性悪女」という印象を受ける。しかし、この甄皇后暗殺説は信憑性に欠ける。
まず、正史「三国志」には、郭貴妃が甄皇后を陥れたとは記していない。
彼女自身に子が無かったため、曹叡の育て親となっている。その為、曹丕が崩御して皇帝に即位した曹叡は、郭皇后を皇太后(皇帝の母のこと)としている。曹叡即位から9年という長い時間が経ってから亡くなり、諡に「徳」という非常に優れた言葉を送っている。遺体は彼女の遺言に従い、曹丕の墓の西に埋葬された。(当時、西が女性の葬られる場所とされていた。)
甄皇后が死を賜ったのが221年であり、曹叡の生年は204年とされているため、当時曹叡は17歳である。仮に郭貴妃が甄皇后を暗殺したとすれば気付かないわけがない。その上で上記のような厚遇をしている。よって曹叡が郭皇后に不信を抱いていたとは考えにくい。
彼女が皇后に立てられた時、周囲に反対された経緯を良く理解していた為、自分の身内への便宜を最低限に押さえ、「嫁を貰うなら同郷で自分に釣り合う者を選びなさい。権勢を期待して無理な結婚はするべきではありません。」と語っている。また、後漢の外戚たちが皇后の権威を利用して滅んだ事から「それぞれ自戒して、処罰を受ける人間とならないようにしなさい。」と語り、親類が罪を犯さず、驕らない様に勤めている。
また、曹丕が遠征に出た時、長雨によって城壁や楼閣が壊れたため、担当の官吏が大事を取って逃げる様に促した。しかし彼女は、「楚の昭公の妻は留守を命じられ、洪水となり使者が迎えに来ても割り符がなかったため、とうとう溺死しました。(夫の使者である確証が無かった為同行を拒んだ。)いま帝は遠方においでですが、幸い私にはそれほどの危機も迫っていません。なのに居場所を移すとは何事ですか?妻は夫の不在を守るのが務め、そう簡単に外出するものでは無いのです。」と語った。
曹丕が後宮の者を処罰しようとした時も、その者の言葉を良く聞き、とりなしたりしていた為、後宮での信望も厚かった。
これらを見れば、「野心家で嫉妬深く、他人を陥れる性悪女」と言った印象は無く、むしろ謙虚で夫を良く助ける賢妻と見ることが出来る。
ほとんどの人物が三国志大戦で彼女の存在を知ったと思われる。それほどに知名度が無かった。三国志大戦が無ければここまで知られる事は無かったであろう。
1から皆勤で登場している。しかし、全てが最もレアリティの低いコモンカード。また、常に相手の武力を下げる「だけ」の効果の「弱体化系」計略の持ち主である。カードは甄皇后を貶めたという設定に準じ、女王様のようなイラストである。同じコスト1に、武力派筆頭の楽進と、非常に優秀な妨害計略を持った高知力伏兵の賈詡が居るためなかなか選択肢に上がらない。しかも、三国志大戦2ではただでさえ微妙と言われていた連計系の「弱体化の連計」でほとんど使われなかった。
三国志大戦3になって兵種が弓兵から騎兵に変更、武力1である賈詡の「離間の計」が弱体化した為、武力2で中知力の彼女に注目が集まった。さらに、低士気で仕える「弱体化の小計」が士気効率に優れ、知力依存が高く低知力脳筋武将に対する有効な対抗手段となる事が認知された。武力依存の強まった環境も追い風になりコスト1妨害計略持ちの筆頭となることもあったが、計略に修正が入った現在では使用率も落ち着いている。
三国志大戦DSでもあきまん氏が描いたDS用限定の郭皇后が存在する。専用イベントもあり、甄皇后と大奥のような女のバトルを繰り広げる。計略はR甄皇后と同じ「鼓舞の舞」を持つが、特技に魅力が無く微妙なスペックだったりする。
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6 ななしのよっしん
2018/11/13(火) 23:34:28 ID: fEjNfabuW+
曹植の「洛神の賦」は甄氏に対して詠ったというのが本当だとして、それを郭氏が察知して曹丕に伝えたのかもしれない
曹丕は曹操の後を継いだばかりで(曹彰が蒸し返してきたこともあったし)ピリピリしてて、それを聞いてキレたとか
さすがに飛躍しすぎかね
7 ななしのよっしん
2018/11/14(水) 00:22:16 ID: fEjNfabuW+
>>6
「洛神の賦」は甄氏の死後のものだった
まあ要するに曹植と甄氏に何らかの関わりがあったという意味で
8 ななしのよっしん
2019/02/10(日) 16:06:26 ID: rq5aKGFIqH
洛神賦の神女のモデルは、現在学会では甄氏説より曹丕説が有力になっているわけだがw
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最終更新:2024/12/05(木) 12:00
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