野中信吾(のなか しんご、1983年9月24日-)とは、佐賀県出身の元プロ野球選手(外野手)である。
OB | |
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野中信吾 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 佐賀県神埼市 |
生年月日 | 1983年9月25日 |
身長 体重 |
168cm 70kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投両打 |
守備位置 | 外野手、二塁手、遊撃手 |
プロ入り | 2001年ドラフト5巡目 |
引退 | 2013年 |
経歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
神埼高校で2度甲子園に出場し、俊足と守備力、思い切りの良い打撃を評価され、2001年のドラフト5巡目で日本ハムファイターズに指名され入団。当時は内野手で、スイッチではなく右打ちだった。
高卒1年目から代走で一軍デビューしプロ初安打も放ったが、2年目のオフ、横山道哉とのトレードで横浜ベイスターズへ移籍。本人も元々横浜入団を希望していたらしい。このため、日本ハム出身の選手であるというイメージが薄く、横浜時代はよく生え抜きと間違われていた。
横浜移籍後、スイッチヒッターに転向、二軍で盗塁王を2回獲得するなど結果を残したが、一軍では代走要員に留まった。2007年、スイッチから右打ちに戻し、前半戦は代走・守備固め、後半戦からはスタメン出場の機会が増え、自己最多の79試合に出場しチームトップの15盗塁をマーク、プロ初本塁打も放った。
しかし前年の活躍からレギュラー奪取が期待された2008年は打撃不振で結果を出せず、以降は石川雄洋や藤田一也の台頭で影が薄くなる。その後は代走要員に戻ってしまい、2010年オフ、一輝とのトレードで桑原謙太朗とともにオリックス・バファローズに移籍。
オリックス1年目の2011年は12試合の出場、3年連続無安打に終わり、ドラフトで即戦力内野手を多数獲得したチーム事情もあって、オフに出場機会を求めて外野手に転向。
2012年は坂口智隆の故障で、交流戦から1番か2番のレフトかセンターでスタメン出場の機会を与えられ、4年ぶりの安打を放つとそのまましばらく準レギュラーで起用された。交流戦明けまでスタメンで主に起用されたが、徐々に打率を下げ、7月以降はまた代走・守備要員に戻る。それでも閉幕まで一軍に残り、74試合に出場、12盗塁をマークした。
しかし2013年は6試合の出場に終わり、オフに戦力外通告を受ける。現役続行を目指したが獲得球団はなく、現役を引退した。
俊足が最大の武器だが、打撃難とボーンヘッドの多さで一軍・レギュラーに定着できずに終わった。
引退後はトレーナーの専門学校に通いながら、仁志ベースボールアカデミーでコーチを務める。2016年、地元の神埼市で教育委員会の学校体育補助員に就任した、
通算:11年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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NPB | 312 | 372 | 312 | 71 | 67 | 2 | 17 | 47 | 32 | 0 | 23 | 5 | 59 | 6 | .215 | .279 |
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最終更新:2025/04/09(水) 18:00
最終更新:2025/04/09(水) 17:00
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