野口明 単語

ノグチアキラ

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野口明(のぐち あきら)とは、元プロ野球選手監督である。故人

概要

1917年8月6日生まれ。愛知県名古屋市出身。野口二郎野口昇・野口渉も後にプロ野球世界プレーしている。

商業学校に進学。正捕手として通じて4度甲子園大会に出場し、1933年夏の甲子園大会では全制覇を達成。この大会では、明石中学との準決勝で歴代最長試合となる延長25回を戦い、1-0で辛くも勝利している

卒業後、明治大学に進学。1936年日本職業野球連盟発足に伴い結成された東京ネタースに引き抜かれ、大学中退して同球団に入団。投手としてプレーすることとなった。

1936年、開幕戦で先発登板勝利を挙げ、同球団最初の勝利投手となった。同年は:8勝、:7勝を挙げた。

1937年リーグ最多の257回を投げて、チーム勝利数の約3分の2にあたる19勝を挙げた。にもリーグ最多投球回となる235回1/3を投げ、西村幸生ヴィクトル・スタルヒンと並ぶ15勝を挙げて、最多勝投手となった。

1938年、応召を受け退団。1941年まで兵役にした。

1942年大洋軍に入団。ポジション投手ではなく内野手として登録された。に4番ファーストとして起用され、1943年にはリーグ最多の42打点、8三塁打記録し、最多打点タイトルを獲得。また、5月名古屋軍戦では延長28回にまで及んだ日本プロ野球歴代最長試合ファーストとして出場。この試合では野口二郎延長28回344球投じて完投している(結果は4-4の引き分け)。

1944年西鉄軍解散に伴い、阪急軍へ移籍。

阪急でもファーストレギュラーとしてプレーし、1947年には117試合に出場して、打率.253、3本塁打、52打点記録している。

1949年中日ドラゴンズへ移籍。中日では捕手としてプレー

中日では正捕手として起用され、移籍2年1950年には全試合に出場して、打率.271、18本塁打、73打点記録

1951年打率.265、8本塁打、49打点記録してベストナインに選出され、オールスターゲームでは第2戦MVPに選ばれている。翌1952年打率.269、8本塁打、63打点記録し、2年連続でベストナインに選出された。

1955年、選手兼任監督に就任。同年チーム2位へと導いたが、自身の出場は2試合にとどまり、同年限りで現役を引退。翌1956年は3位に終わり、同年限りで中日を退団。

引退後は、ナゴヤ球場からほど近い尾頭にて、喫茶店を経営していたという。

1996年10月5日がんのため死去享年79歳。

人物・エピソード

投手捕手一塁手と、異なる3ポジションで一流の成績を残した日本プロ野球創期の名選手。

プロアマ双方で最長イニング試合に出場した一の選手でもある。

1942年に復帰して以降は野手としてプレーしているが、1948年には7試合投手として登板している。

通算成績

投手成績

通算:5年 登板 完投 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
NPB 113 58 10 49 40 --- --- .551 751.0 301 328 295 212 2.54

打撃成績

通算:15年 試合 打席 打数 得点 安打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
NPB 1326 5082 4666 459 1169 61 572 29 13 2 393 8 373 41 .251 .310

監督成績

通算:2年 試合 勝利 敗戦 引分 勝率
NPB 260 151 108 1 .583 Aクラス2回

獲得タイトル・記録

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