野口正明(のぐち まさあき)とは、元プロ野球選手である。故人。
| OB | |
|---|---|
| 野口正明 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 福岡県飯塚市 |
| 生年月日 | 1925年3月7日 |
| 没年月日 | 2004年3月24日 |
| 身長 体重 |
176cm 68kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手、内野手、外野手 |
| プロ入り | 1942年 |
| 引退 | 1954年 |
| 経歴 | |
| 選手歴 | |
| プロ野球選手テンプレート | |
1925年3月7日生まれ。福岡県飯塚市出身。力士の父親を持つ。
1942年は内野手としてプレー。40試合に出場し、打率.163、2本塁打、5打点を記録。
1943年、投手に転向。西沢道夫・石丸進一とともに先発投手として活躍しして、12勝4敗、防御率1.38と好成績を残した。
1944年、6勝6敗、防御率3.06を記録。同年シーズン終了後に応召を受けて退団。
終戦後、1947年に中部日本ドラゴンズに復帰。野手として25試合に出場した。
1948年、急映フライヤーズへ移籍。同年は6勝5敗、防御率3.18を記録した他、打撃面では少ない打席数ではあるものの打率.294を記録している。
1949年、大映スターズへ移籍。12勝13敗、防御率4.94を記録。
西鉄では川崎徳次とともにエース格として活躍。1950年に10勝13敗を記録すると、翌1951年には12勝8敗を記録。
1952年、23勝12敗、防御率2.59を記録し、最多勝のタイトルを獲得。西鉄球団にとっても初の最多勝受賞者となった。
その後は社会人野球チームの監督を務めた他、解説者としても活動していた。
サイドスロー気味の投球フォームから、クセのあるボールや変化量の大きいシュートを使い、打たせて取る投球で活躍した右腕。
プロ野球史上最長となる2イニング戦った試合では6番ファーストとして出場している。また、晩年の沢村栄治から安打を記録している。
| 通算:9年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 225 | 74 | 7 | 83 | 65 | --- | --- | .561 | 1301.1 | 369 | 366 | 561 | 456 | 3.15 |
| 通算:11年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 374 | 827 | 783 | 61 | 161 | 9 | 70 | 5 | 17 | 0 | 25 | 1 | 64 | 7 | .206 | .231 |
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最終更新:2026/01/14(水) 20:00
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